200 空の巣症候群
約束の夜会の日。
ドレスアップを済ませたオルタンシアはそわそわしながらジェラールを待っていた。
「とっても素敵ですお嬢様……!」
パメラは感動に目を潤ませ、オルタンシアの周りをせわしなく動き回りながら出来栄えをチェックしている。
オルタンシアも変なところはないだろうかと、再び鏡の前に立った。
ジェラールの贈ってくれたドレスは色あせずきらめいていて、何度見ても感嘆のため息が漏れてしまう。
意外なことに、このドレスはオルタンシアによく似合っていた。
ドレスの煌びやかさがオルタンシアの平凡さを殺すことなく、うまく引き立ててくれているのだ。
(お兄様がそこまで考えて……るわけないよね)
きっと仕立て屋の腕前がよかったのだろう。
ぼんやりと鏡の中の自分を眺めていたオルタンシアは、奇妙な感傷に襲われていた。
(私……ママに似てるかな)
幼い頃は、平凡な自分と華やかな母親は少なくとも容姿の面ではあまり似ていないと思っていた。
だが、《時間跳躍》で自分が生まれる前の母の姿をあらためて見たからだろうか。
こうしてきちんと着飾ったオルタンシアは、案外……母の面影を宿しているようにも思えるのだ。
「ふふっ……」
「あら、どうなさいましたかお嬢様?」
「ううん、なんでもないよ。……綺麗にしてくれてありがとね、パメラ」
「お嬢様……!」
また感極まって涙ぐむパメラに、オルタンシアはくすりと笑う。
なんにせよ、今夜はジェラールの恋人に会うのだ。
思ったよりもみすぼらしくないのは有難い。
そんなことを考えていると、部屋の扉を叩く音が耳に届く。
「はいっ!」
パメラが弾かれたように扉へ駆け寄り、喜色の声を上げる。
「ジェラール様! お待ちしておりました!」
このタイミングでやって来るのはジェラールだろうとわかってはいても、オルタンシアはどきりとしてしまう。
おそるおそる振り返ると、ちょうどパメラがジェラールを部屋に招き入れたところだった。
(わぁ……!)
ジェラール自体は、普段と同じく過度に着飾ることなく、品位を落とさないシックな装いをしている。
だが恋心を自覚してからこうして社交界に出る彼を見るのが初めてだからだろうか。
今夜、恋心に区切りをつけると決めたはずなのに、いとも簡単にときめいてしまうのだ。
入室したジェラールは、すぐにオルタンシアに目を留めた。
彼の視線がこちらに突き刺さるのを感じ、オルタンシアはじわじわと体温が上がっていくような心地を味わっていた。
「あの、どうでしょうか……」
無言の空間がどこか恐ろしく思えて、オルタンシアは俯き気味にぽそぽそとそう口にする。
……ジェラールの顔は見られなかった。
そもそも彼はオルタンシアがどんな格好をしていようが、よほど見るに堪えないものでない限りは気にしないだろう。
そうわかっていても、せっかく彼が贈ってくれたドレスなのだ。
こうして感想を求めてしまうのも、いじらしい乙女心の表れなのである。
ジェラールは無言のままオルタンシアの方へ近づいてくる。
目の前に彼が立った気配がして、オルタンシアはおずおずと顔を上げた。
ジェラールは感情の読めない瞳で、じっとオルタンシアを見下ろしている。
何かとんでもなく悪いことを言われるのではないかと、オルタンシアの脳裏に嫌な想像がよぎる。
だがジェラールのまなざしがふっと優しくなったかと思うと、彼は今まで聞いたこともないような柔らかい声を出した。
「……俺の見立てた通りだ。よく似合っている」
「えっ」
思わず声が出てしまった。
今、ジェラールは何と言った?
(俺が見立てた通り!? 私の聞き間違いじゃなくて!?)
オルタンシアはてっきり、ドレスを贈ってくれたと言っても細かい部分は仕立て屋に丸投げしたのだと思っていた。
だが今の言い方だとまるで……ジェラール自身がこのドレスを選んだようではないか。
(言葉の綾だよね……? なんというか、恋人ができてお兄様も少しは女性の喜ばせ方みたいなのを気にするようになったのかな)
きっと、ジェラールは変わったのだろう。
……オルタンシアではない、誰かの影響で。
そう考えるとまた切なさが押し寄せてきたが、オルタンシアは精一杯の笑みを浮かべて礼を言った。
「ありがとうございます、お兄様。……すごく嬉しいです」
まだ公爵家に引き取られたばかりのころ、どうやってオルタンシアとコミュニケーションを取るべきか試行錯誤していたジェラールが同じように大量のドレスを贈ってくれたことが思い出される。
(あのころに比べたら、お兄様は本当に変わったよね)
「愛情」というものがわからなかった彼が、やっと愛する人を見つけることができたのだ。
オルタンシアは傍で見守っていた「妹」として、兄の巣立ち(?)を応援しなければ。
「空の巣症候群にならないようにしなければ……」
「何の話だ」
「いいえ、大丈夫です。行きましょうお兄様」
オルタンシアがそう言うと、ジェラールはこちらに向かってすっと手を差し伸べてくれた。
その動きも様になっていて、彼が本当に恋人相手のエスコートに慣れているのだと実感させられる。
再び痛みを訴え始めた胸の内に、オルタンシアは必死に気づかないふりをした。




