196 そんなもの必要ないだろう
特別温室から一般客もいるエリアに戻ると、一気に現実に引き戻されたような気がした。
「なんだか、本当に別世界でした……」
オルタンシアがそう零すと、ジェラールがこちらを見た。
「また行きたい時はいつでも俺に言え」
「ふふ、わかりました」
オルタンシアがくすりと笑うと、ジェラールは満足げに目を細める。
どうやら彼が今日この植物園にやって来た目的は果たせたようだ。
(すごく綺麗で心地いい場所だったもんね。お兄様もたまにはああいう場所でリフレッシュしたいのかな……)
いつか彼が長い休暇を取得することができたら、また一緒に領地に行けるかもしれない。
数年あの場所で過ごしたオルタンシアは、幾分か領地のことに詳しくなった自信もある。
今度はオルタンシアがジェラールを案内することもできるだろう。
そんなことを考えながら植物園の出口に向かって歩いていたオルタンシアは、ふと目に入った光景に思わず足を止めてしまった。
(あれって……)
視線の先には、王立植物園の売店があった。
……魔神の作り出した世界で、ジェラールがオルタンシアに贈ってくれたブローチを購入した場所だ。
あの時のことを、あの世界のジェラールのことを思い出すと、胸が締め付けられるような切なさに襲われる。
オルタンシアが足を止めたのに傍らのジェラールも気が付いたのだろう。
「あの店がどうした。何か欲しいのか」
「いえ、その……」
オルタンシアは言葉に詰まってしまった。
ジェラールはオルタンシアがあの世界の話をするのをあまりよく思っていないようなのだ。
(ブローチを贈ってもらったっていうだけなら大丈夫かな……?)
ここで変に隠し立てをすれば、ジェラールはオルタンシアが何か重大なことを隠しているのではないかと疑うかもしれない。
彼が安心してくれるなら……と、オルタンシアはおずおずと口を開く。
「……向こうの世界でジェラール様とここに来た時に、彼があそこでシャングリラの花のブローチを買って、私に贈ってくださったんです」
オルタンシアがそう口にした途端、ジェラールは驚いたように目を見開いた。
「……何故そんなことを」
「あちらの公爵邸にはシャングリラの花壇がないから、せめて私にシャングリラの花がどんなものか見せようとしてくださったのではないでしょうか」
あの時はただ困惑しきりだったが、今ならわかる。
彼がどれだけ、オルタンシアを気遣ってくれていたのか。
「…………そうか」
ジェラールは感情のこもらない声でそう相槌を打った。
彼は何か思案するように売店の方を見ていたが……結局はそちらへ向かうことはなくオルタンシアの肩に手を触れさせた。
「行くぞ」
ジェラールはそう言うと、まだ売店の方を見ていたオルタンシアの視線をやや強引に出口の方へ向けさせる。
いつもそっとオルタンシアに触れるときの手つきとは違う、いささか乱暴なその態度にオルタンシアは少し驚いてしまった。
(お兄様……やっぱり気を悪くしちゃったかな)
あの世界では他人だったとはいえ、自分によく似た存在が妹にわざわざ贈り物をするなんて話を聞けば、不快になってもおかしくはない。
少し気が沈んでしまったオルタンシアをどう思ったのか、ジェラールはぽつりと口を開く。
「今のお前にはそんなもの必要ないだろう」
「……はい、そうですね」
「ここでも屋敷でも本物の花が見られるんだ。わざわざ紛い物を身に着ける意味はない」
「えっと、それはそうかもしれませんが……」
「……あんな安物よりももっといいのをやる。待ってろ」
「えっ……?」
その言葉の意味を問う間もなく、ジェラールはオルタンシアの背を押すようにして歩き出した。
(今の……どういう意味だったんだろう?)
ヴェリテ公爵家の令嬢たるもの、あまり安価な装飾品を身に着けるのはよろしくないということだろうか。
なんとなく釈然としないまま、オルタンシアは歩き出した。




