195 未来の約束
入り口には衛兵がいたが、ジェラールが話を通していたのか止められることなくあっさりと中に入れてしまった。
長い廊下を進むと、いくつもの扉が目に入る。
だがジェラールの目的地は決まっているようで、途中の扉には目もくれることなく進んでいく。
やがてたどり着いたのは、青い蝶の刻印が施された美しい扉の前だった。
ジェラールは戸惑うことなく、その扉を押し開ける。
ドキドキしながら扉の向こうを覗き込み、オルタンシアは驚いてしまった。
「わぁっ……!」
ひんやりと冷たい空気と共に、そこには雄大な景色が広がっていた。
遠くにそびえ立つ雄大な山々と、青々とした草原。
そして一面に広がるのは……美しい青の花。
「シャングリラの花だ……!」
その幻想的な光景に、オルタンシアは目を奪われずにはいられなかった。
「……この場所は、希少な植物をできる限り元々の生息地に近い環境で育てることを目的としている」
傍らのジェラールがそう説明してくれ、オルタンシアは目を丸くした。
「あの向こうの山は……?」
「あれは単なる目くらましの術だ。実際にあそこにあるのはただの壁でしかない」
「そ、そうなんですか……」
いくら巨大温室と言っても、さすがにこの雄大な景色はまやかしだったようだ。
「でも、すごい……」
図鑑や、公爵邸の庭園で見るだけではわからなかった。
本来シャングリラの花は、この雄大な自然の中で花を咲かせるのだろう。
「公爵邸の庭園ももちろん綺麗ですけど、この光景は圧倒的ですね……」
雄大な自然に近い環境を再現しているからだろうか。
オルタンシアはかつて数年過ごしていた領地での日々を思い出し、少々しんみりとしてしまう。
そんなオルタンシアの視界に、ひらひらと舞う蝶が映る。
「わぁ、綺麗……」
まるで宝石のように、美しい模様を宿した青い蝶だった。
きっと入り口の刻印は、この蝶を模していたのだろう。
青い蝶がシャングリラの花に止まる様などは、今まで目にしたどんな芸術品よりも美しく見えた。
オルタンシアはちらりと傍らのジェラールに視線をやる。
彼は目の前に広がる美しい光景をじっと眺めているようだった。
(ここに来るのがお兄様の目的だったのかな……)
選ばれたものしか見ることの叶わない美しい光景。
ジェラールは何らかの理由でこの場所に来ることを望み……ほんの気まぐれかもしれないが、この美しい光景をオルタンシアと共有しようとしてくれたのだ。
それが、たまらなく嬉しかった。
「……ありがとうございます、お兄様。ここに連れてきてくださって」
感謝の思いが溢れ、オルタンシアはそう口にする。
するとジェラールはオルタンシアの方へと目を向けた。
「……気に入ったか」
「はい、とても」
「そうか」
どこか既視感を覚えるやりとりだが、さすがのジェラールでもこの雄大な自然ごと公爵邸に持ってくることはできないだろう。
そう考えていたオルタンシアの前で、彼は意外なことを口にした。
「それなら、いつか連れて行ってやる」
「え…………?」
彼の言葉に、オルタンシアは目を丸くした。
連れて行ってやる……とは、遠く離れた地であろうこのシャングリラの花が咲く高山へ連れて行ってくれるということなのだろうか。
(でもそれって、ものすごく大変だよね……)
ジェラールはただでさえ忙しい身で、ここまで遠くへ旅行に行くことは難しいだろう。
それに、彼にはいずれオルタンシアよりもずっと大切な相手ができるかもしれない。
そうなれば、いつまでもオルタンシアに構っているわけにもいかないのに。
そう、頭ではわかっているのに……。
(嬉しい……)
ただの気まぐれかもしれない。
なんとなく適当なことを言ってみただけなのかもしれない。
だがオルタンシアは、ジェラールが未来の約束をくれたことが嬉しかった。
(この約束はこれから私の心を縛る呪いになるかもしれない)
これがただの気まぐれなら、ジェラールはオルタンシアに「いつか連れて行ってやる」と言ったことさえすぐに忘れてしまうだろう。
だがオルタンシアは忘れられない。
彼がまだ約束を覚えているのではないかと、ずっと期待し続けてしまうだろう。
(でも、それでもいいの)
いつか彼と共に自然の中でシャングリラの花が咲き乱れる光景を見られる。
そんな日が来る夢を、オルタンシアは見続けることができるのだから。
「……楽しみにしていますね」
少しでも彼が覚えていてくれるようにと口にしたオルタンシアの言葉に、ジェラールは頷く。
それからしばらくの間、二人は言葉もなく目の前の美しい光景を眺めていた。




