夢
オキシトシンは感情がなくても分泌されるのだろうか。
私には、愛情はわからない。
でも、風が私に愛がないことはわかる。
私は、風が私を必要とすれば、それでいい。
どうしても必要だと言わせたい。
あの血の通った指の傷が欲しい。
ゆっくりとゆっくりと手に入れて、
手に入れたあと、
どうすれば壊さずに済むのか。
考えよう。
私の在学中、風には音楽教師でいてもらおう。
辞められると観察ができない。
最近の風は、月曜日に疲れている。
原因は、あの子だ。
風は、休日、一日中、泣き喚くあの子と一緒にいる。
心の通じぬ子と向き合っている。
ピアノを弾いて、鎮めようとする。
投げられる食事、叩きつけられるおもちゃ。
それでも風は、向き合おうとしていた。
きっと、母親はいてもいなくても同じだったのだろう。
風はそれを知っていたから「出産は無理」と言ったのだと思う。
育てられていなかったのだ。
母親がいた頃から、風が育てていたのだ。
まずは、そこに入っていこう。
でも、
子どもは苦手だ。
あの子どもは、風を劣化させている。
あの指を痛めつけ、汚し、色を変える。
あの指は、もっと静かな場所にあるべきなのに。
でも、あの子は私に似ている。
きっと風の気持ちはわからない。
風もあの子をわからない。
分かり合えない2人が、私でつながる。
あの子と私。
私と風。
私は風の生活を観察し、夢をみる。
あの子の好きなことを探し、分かりあうすべを考える。
月を見る。
キラキラ光る星。窓。水。
繰り返し。
あの子の好きなもの。
音に敏感。
ガラスの割れるような、黒板を爪で描くような、身勝手に突き刺さる音を嫌う。
ピアノの音は、好き。
風の音は好き。林のざわめく声も好き。
同じ道を行き、同じ道を帰る。
裸足が好き。足裏の感触を確認するように歩く。
風はその全てを止める。
理解できない。
自分の枠の中にはめ込もうとする。
だからあの子は風を拒絶する。
泣き喚き、逃げる。
風にはわからず、疲弊し、苦しむ。
繰り返される週末の暮らし。
私は、月曜日に音楽準備室を訪れ、話を聞く。受け止める。
でも、
あの子の正解を風には教えない。
私が聞いている間だけ、
風は悲しみを言葉にできる。
「先生、あの子のために頑張ってらっしゃるんですね」
そうだ。自分は頑張っている。
それだけを確認させ、悲しみを垂れ流し、風はあの子のいる家に向かう。
繰り返し。カノンのように。
私の父と同じだ。
私の本当の姿、好きなものから目を逸らす。
私自身から逃げる。
自分の枠に収まらない私が怖かったのだろう。
家では静かに本を読み、私とは関わらなかった。
傷だらけの私の腕を直視できなかった。
母もそうだ。
目を逸らし、悲しそうな顔をする。
以前、外食をする両親を見たことがある。
二人で笑っていた。
家では見たことのない顔だった。
私は、一人で生きるために、傷を作る。
傷を加える度に、私は「生」を感じ、父と母は「死」を感じる。
わかってる。
私はいい子でなくてはいけない。
そのために必要な行為。
風には、時を見てこの傷を見せよう。
姉と同じ、腕にある無数の傷を。
私たちが、こうして生きることを選んできたことを教えよう。
風が、愛した姉を自分の宝箱に入れたように、
私も、ガラスの箱に風とあの子を入れて、
ずっと見ていたいと思った。
だから、自分の意思でガラスの箱に踏み込ませ、自分で鍵をかけさせよう。
それできっと、私は傷を作らなくなる。
大学に入る年、私は親の残した家を売った。
両親の保険料が口座に入り
「あぁ、亡くなったのか」と思った。
悲しみはなかったが、あの白い壁の傷だけが、惜しかった。




