雨
音を立てずに、水は流れていく。
流れた先に水は溜まる。
出尽くした時、水は、そこから動けなくなる。
雨の日の音楽室は暗い。
そして、楽器たちの匂いが立つ。
古い窓に当たる雨音が、ピアノの蓋を細かく震わせる。
風は、雨の日だけ、
音楽室に長く残るようになった。
私は、関係を詰めすぎないように、
雨の日の放課後だけ、クラスの音楽のノートを届けることを理由に音楽準備室を訪れることにした。
「失礼します。ノートを届けに参りました」
「ありがとう。そこに置いてください」
風は、窓の外に目を逸らした。
風は私を見ない。
「先日は、お茶、ごちそうさまでした」
「いや、こちらこそ、ありがとう。助かりました」
ここで、
「お姉様は、お元気ですか」
正解ではない質問を罪のない顔で聞く。
風は体をこわばらせた。
「死んだよ」
目を開き、口元を手で抑え、私は正解の反応をする。
知ってる。でも、知らない。
雨の音が聴こえる。
「ごめんね。言うべきじゃなかった」
「いえ。驚いてしまって」
「君は、姉と会ったことがあるからね」
「はい。きれいな方でした」
風は涙をこぼした。
肩越しに見える窓を伝う雨のように。
頬を伝う。
「ありがとう」
今日はここまでだ。
これ以上、寄り添っても、深く入り込んでもいけない。
もう、手の中にある。
ゆっくりでいい。
白い壁の傷を見つめて思う。
あぁ、雨が待ち遠しい。
次の雨の日も、
私は風に悲しみを言葉にさせた。
「赤ちゃん、見に行ってもいいですか?」
わかっている。これは不正解だ。
私はすべてを知っている。
これは、悲しみを引き出す、正解。
一度、私の前で涙をこぼした風は、堰を失っていた。
「無理だったんだ。出産なんて」
「そんな」
「2人とも失ってしまった」
雨音。
「先生」
ハンカチを差し出す。
本当は、指で涙を拭わせたい。
でも、今日は、
「ありがとう。大丈夫」
ハンカチを差し戻した瞬間、
そっと指に触れた。
風は、泣きながら、今日までのことを語った。
私は正解の顔で、それを聞く。
聞きながら、風の指の感触を思い出していた。
何度も。何度も。
話が途切れるたび、雨音だけが残る。
私は、その時間が好きになった。
誰もこのことを風に問う者はいない。
それは、風の悲しみを閉じ込めていた。
私が、たったひとつの水口。
流れ始めた水は止められない。
私には、気持ちなどわからない。
けれど、正解は知っている。
私にすべて流して、楽になればいい。
雨の日は、
世界が静かだから。
静かに悲しみが流れ出していくから。
雨の日は、また来る。
私は、きっとまたここへ来る。
何度でも。
きっと風も私を待っている。




