ガラス玉
傷にはそれぞれ理由がある。
私の傷は、あの女とは違う。
風の傷とは、崇高さが違う。
私は、あの子のために大学で心理学を学んだ。
特に教育に関わる特別な精神医学に興味があった。
あの子を理解することで、あの子を手に入れることで、
風が自分でガラスの箱に入ってこられるように学びたかった。
あの子は月曜から金曜までをベビーシッターと過ごす。
しかし、ストレスが溜まる金曜日はひどく暴れてベビーシッターが嫌がるという。
金曜の講義は1コマだった。
それは、私にとって、必要のない講義。
単位や卒業にはこだわっていない。
興味のある知識だけを得るための場であり、何者かである場であった。
「金曜は授業がありません。アルバイトをさせてください」
そう、風に言った。風は困った顔をしたが、「大変だよ。でも・・・」
「助かる」
そう言った。
こうして私は、金曜日の林の中の家を手に入れた。
私が家に着く頃、風は出勤の準備をしている。
私がいるので、子どもはあえて起こさない。
風を送り出すと、風のベッドで寝ている子どもの隣に横たわる。
さっきまで風が寝ていたベッド。
アラームだけセットして、天井を見て呼吸だけする。
アラームはG線上のアリア。
ゆっくり、静かに音は鳴りだすが子どもは起きない。
私は、子どもの着替えをベッドの上に置いて、起きるのを待つ。
置かれた着替えが誰の何をするためのものかは、子どもが知っている。
ちゃんと手が通らなければ手伝ってやる。
前後ろが逆なんて大したことじゃない。
できたら、大きなガラス玉を光に当ててキラキラさせる。
反射した箇所を猫のように子どもは追う。
ご褒美だ。
朝食は、グラノーラにミルクを入れて柔らかくなったらスプーンを渡す。
あの子はスプーンを鷲掴みにしてグラノーラを口の中に運ぶ。
食べ終わったら、食器を一緒に流しまで運ぶ。
食器は汚れがはっきりわかるので全て白にしている。
食器洗いに興味を持つように、
洗うときは何度も水を垂らして光に当てる。
あの子はずっとそれを見ている。
晴れた日の午後は、庭で水遊びをする。
ホースだったり、プールだったり。
雨の日は、雨と遊ぶ。
遊び疲れるとびしょびしょのままバスルームに向かう。
私は、床を拭いて、温かいシャワーをかけにバスルームに行く。
私がシャワーを出すのを待っている。
そして、シャワーでまた遊ぶ。
ドライヤーは嫌いらしく、音がするだけで逃げるので、使うのはやめた。
しっかりとタオルドライをして昼寝をする。
私はまた、風のベッドで天井を見る。
そして寝息が聞こえたら、風の姉の部屋に行く。
私の金曜の楽しみは、風と風の姉が何を思ってここで暮らしていたかを考えること。
風の姉の部屋は、そのままにされており、
埃も時間も止まったままだ。
本や手紙から湿った紙の匂いがする。
処方された薬もそのままだった。
私とは違う。
風の姉は精神を病んでいた。
そのために無数の傷を腕に持っていた。
あんなに美しい風の傷が、手元にあるのに。
生を感じるための傷ではなく
生を得るための妊娠ではなく
自己表現の行為。
なのに、あなたは自分が欲しかったものを
「全て」私に置いていってくれた。
かわいそうなヒト。
部屋中からこだまして聞こえる。
「ふぅをかえして」
だめよ。もう、返さない。
あなたが自分で置いて逝ったんだから。
私は生きている。
ここで。
あなたのベッドで息をしている。
あなたが自分の手にしているものに気がつかず、自分を傷つけ
家族を傷つけ、勝手に逝ったんだから。
ここは、私の居場所にするから。




