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永遠のアポストロフィS  作者: 美憂
コントラスト

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6/25

指

私には「愛」が何かがわからない。

人に、

人の心に関心が持てない。

ただ、それが苦しいと思ったことはない。

ただ、日の当たらぬところにひっそりとあるものが気になった。

誰も関心を持たず、通り過ぎるもの。


物置の隅にある、何に使うかわからない棒や、いじめられることすらないクラスの子。

花壇の中に咲くたくさんの花の下に隠れて咲いているような小さな雑草。

階段についている擦れた塗料の色。

白い壁に刻まれた傷。

何のためにそこにあるのか。


表情のない「音楽教師」。


高校の音楽教師も誰に関心を持たれることなく、

そこにいた。

時間割をこなし、淡々と日々を過ごす。

誰も聞いていない授業を始める。

生徒の名前すら覚えていないかもしれない。


同級生は、あだ名をつけるわけでもなく

バカにするでもなく、興味もなく。

やはり、そこにいる。

成績のために、たった一つのルールを守っている。


携帯電話の音がすると、音楽教師は唇にクロスするように指を当てる。

これが唯一の「注意」であり、ルールだ。


傷。

そのクロスされた指には傷があり、それは白い壁の傷に似ていた。

ただ、時間を忘れて見ていた白い壁の傷に。


何かによって深く刻まれた傷。

その傷が、鍵盤の上を舞い、音を奏でる。

その立体的になっていく傷と音の関係、

それを眺めることが心地いいことに気づいた。


ずっと、見ていたいと思った。


音楽教師は、放課後、勤務時間が終わるのを待つように音楽準備室で窓の外を見ている。

私は、帰り道、その窓の下を通り、窓を見上げた。

彼は、そこにいる。

私の中の確認だ。


私は、ひとりの家に帰る。


そして、指と傷を思い返す。


朝日の射す音楽室で、ひとり彼はピアノを弾く。

光は、彼の指の骨を薄く透かして白くする。

鍵盤の黄ばんだ白と跳ねる白い指。

音と光と指と傷。


桃色のチョークで飾られた指先。

それを洗う。

キラキラと跳ねる水。

白いタオルで拭う。

桃色と水と指と傷。


パンをちぎる指。

パンを口に運ぶ指。

指が軽く唇に触れる。


放課後。

見上げた窓に、確かに指が線を書いていた。


ツーッと。


いつからか、心地よさは指全体に広がった。

家の白い壁の傷を見た。

この心地よさがなんなのかわからぬまま、


「これが欲しい」と思った。

ただ、

「欲しい」と思った。


次の日、それは明確になった。

音楽教師は出勤しなかった。


何かが欠けた。

この1日は何かがおかしい。


傷が、指が、音が、光が、色が失われた。

こんな不安定な1日は、初めてだった。

両親がいなくなっても感じなかった喪失感。


こんな日は、2度とあってならない。


次の日、帰宅する音楽教師の後を追った。


家を知る。


その家を知れば、私は、この欠けた何かを埋められる気がした。

そして、その家は、私の知らない指の続きを隠している気がした。


私はそこを見つけてしまった。


家は手入れのされていない林の中に隠れるように立っていた。

私は、窓の下に身を潜めた。


そこに音楽教師は、女と暮らしていた。


家の中から、女の奏でるピアノが聴こえる。

音楽教師とは違った強弱のある安定感のない音だった。


「ふぅ?」


ピアノの音が止まると、女は言った。


「おかえり」

「ただいま」


私は、音楽教師の名が「風」であることを知った。

ため息のような名。

呼べば消えてしまいそうな名。

呼んで、瓶の中に詰めてしまいたい。


普段表情のない音楽教師が、笑みを浮かべていた。


違和感。


私は、家の呼び鈴を押した。

出てきた風は、怪訝な顔をした。


「どうしたの?」

ほらね、私の名前を知らない。

制服で、生徒と理解していた。


「先生、これ、落としましたよね?」


え?


「すぐ、追ったのですが、追いつかなくて。以前、この辺りでお見かけしたことがあって。そしたら、ここに入っていく先生が見えたので。」


携帯電話を渡し、良い子の笑顔で説明した。


「あ、ありがとう」

戸惑う風に、女は言った。

「入ってもらって。お茶を入れるわ。」

美しい笑顔だった。


女は、風と似ていた。

指が似ていた。

傷の位置が違うが、肌の色まで似ていた。

彼女の傷は腕にあった。


「双子なの。風の姉です。」

お茶を淹れながら、彼女は言った。

「生徒さんがくるなんて、初めてよ。」

大きなお腹をさすりながら笑顔を向けた。


「赤ちゃん」

と、言いかけると、風はあからさまに嫌な顔をした。

「そうなの。もうすぐ産まれるのよ。」

女は、「正解」ではない表情をしながら答えた。

その顔は、表情のない音楽教師の顔だった。


この子は生まれてくることを、望まれていないのだろう。


「昨日ね。私が病院に行くので、学校を休ませてしまって。」

私の違和感は、この女が作ったものだった。

風は、「別に1日休んだって・・・」と言いながら、生徒の前でいうことではないと言葉を止めた。


「先生がいなくて寂しかったです。」


女は目を見開いて、嬉しそうに微笑んだ。

「遅くなるから、もう、帰りなさい。」風は、そう言って玄関に促した。


「はい。私、赤ちゃん大好きなので、生まれたら遊びに来てもいいですか?」


「ぜひ、遊びに来てね。」女は笑った。

美しく白い顔。

美しい腕の傷。

私が女を見たのは、これが最後だった。

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