鳥
鳥に名前をつけて分けるのは、それを知るため。
でも、ここでは、そんなものはいらない。
雪に逆らい、ふわりと舞い上がった私は
私の湿地を見る。
湿地には、季節ごとに鳥がやってくる。
白い鳥。
灰色の鳥。
羽の先だけ黒い鳥。
細い脚で、水の上を歩く鳥もいる。
風に逆らわず、草の流れに合わせて揺れる鳥もいる。
鳥たちは、湿地に長くは留まらない。
朝にはいた群れが、夕方には消えている。
何かを置いていくわけでもなく、ただ空を横切っていく。
私は、その自由さが少し苦手だった。
湿地の鳥は、鳴く時より、飛び立つ時の方が静かだ。
水面に触れていた脚が離れ、身体が浮く。
それだけで、もう別の世界へ行ってしまう。
私は、空へ向かう鳥たちを見上げながら、時々、自分もいつか鳥になるのだと思う。
母からいつも言われていた。
「良い子は白い羽。悪い子は黒い羽が生えるのよ。」
肩甲骨を後ろ手に触らせ
「ほら、羽があるでしょう。」
私はその度に「いい子でいよう」と思った。
私は、白い羽が欲しかった。
そして、今、こうして空から、静かに湿地を見下ろしている。
草の揺れ。
黒い水。
雪の残り方。
窓辺に立つはる。
はるからは、私の羽が見えるのだろうか。
私は自分の羽を知らない。
湿地の鳥は、誰にも触れない。
ただ見ている。
私も、ずっとそうだった。
人の輪の中にいても、少し遠い。
笑うタイミングも、悲しむタイミングも、私は目で覚えた。
風景みたいに。
はるは、虫の羽音に返事をする。
「くぅーん」
鳥の声には応えない。
ただ、突然の羽ばたき、鳴き声に、眉を顰める。
湧き出るような声、音は受け入れるが、
切り裂くような音は嫌う。
湿地の虫にも、鳥にも、風にも。
世界が自分に話しかけていると信じているみたいに反応をする。
私は、はるの静かな生活を守りたい。
私だけ、鳥になっても、はるを脅かす鳥にはならない。
そして、はるが私を見つけても、
手を伸ばしても、一緒には飛ばない。
どんなに望んでも
私は、はるに羽は与えない。
湿地の鳥たちが空へ消えても、はるはここにいる。
裸足で床を歩き、窓を開け、水に触れる。
毎日、同じ順番で。
私は、その繰り返しに安堵した。
鳥は、いつか飛んでいく。
でも、はるは飛ばない。
ここにいる。
はるは、落ちていた羽を長く見ていた。
白とも灰色ともつかない、小さな羽だった。
指で撫でたあと、はるはそれを窓辺に置く。
飾っているわけではない。
捨てるわけでもない。
ただ、そこにある。
はると羽が、
湿地の黒い水のそばで、静かに年を重ねる。
だから私は、この家を好きになった。
鳥が飛び去っても、湿地だけは残る。
水は形を変えながら、ずっとここにある。
はるも、きっとそうだ。
私は、空へ昇りながら、湿地を旋回する鳥たちを見る。
白い羽が、雪明かりの中でゆっくり翻る。
ああ。
自由な鳥は、どこへでも行ける。
でも私は、帰る場所を持っている。
だから
私の背中にあるのは、白い羽でも黒い羽でもいい。




