繁茂
夏は、よく声が聞こえる。
鳥の声。
風の音。
草の擦れる音。
水の音。
返事をしないものほど、
何かを語っている気がする。
だから私は、
ときどき話しかける。
返事がないことを知りながら。
はるが私を呼ぶ。
でも、呼んでいるのは私ではない。
はるは私の名を音にするようになった。
それは日常の何かが足りない時。
そして、何かが多い時。
何かが変わった時。
心がざわめくと、はるは私の名を音にする。
はるの正常を求めて、はるの出す音。
私は、その音に返事はせずに、
足りないものを足し、多いものを取り除く。
そうして、はるをいつもの日常へ戻す。
ガラス玉をキラキラさせる。
はるは、ゆっくりと平常心を取り戻し、
私の名前の音を忘れていく。
夏の湿地は匂う。
水草。
泥。
温められた水。
腐りかけた草。
最初は苦手だった。
でも今は違う。
その匂いの奥に、林の家を見つける。
水たまりを見つけると、はるは石を投げる。
水面に輪が広がる。
私はその輪を見る。
ひとつの出来事が、
いくつもの記憶を連れてくる。
「きれ」
とはるは言う。
私が教えた「きれい」
夏。
はるは窓辺に座る。
風もそうだった。
でも、
風は外を見ていた。
窓ガラスに映る夏の光を見て、
「きれ」
とはるは言う。
誰に向けた言葉なのかわからない。
私は窓辺で、読書をする。
あの女の残した専門書。
はるを育てるために買ったのだろう。
でも、風に依存していたあの女は、最後まで読むことはできなかった。
読んでも意味はない。
必要もない。
それは、私もそう思う。
はるは、はるだ。
専門書に書いてある"こういう子"ではない。
あの子にあった生活は、あの子と暮らしてわかること。
そして、私の中にあの女を閉じ込めたように、
はるの中に風を残している。
その方法は本には載っていない。
葦のすっと伸びた葉を見ると、
自分の腕の傷より少し多かったあの女の腐った色の傷を思い出す。
自分の腕を重ねてみる。
葦の天に向かう美しさに、私の傷が同化していく。
風が吹く。
私の傷にさらりと触れて、風が私を綺麗にしてくれる。
「ありがとう」
風の声が聞こえる。
「見てる?」
と、私は言う。
返事はない。
はるのゆっくりとしたカノンが聞こえる。
満たされていくのがわかる。
成長していくはるは、風に似ていく。
ガラス玉を覗いて、はるを見る。
ガラス玉の中で風がピアノを弾いている。
その世界は、私のものだ。
夏の湿地は賑やかだ。
鳥が鳴く。
草が揺れる。
風が通る。
はるがカノンを弾く。
私は、その中から風を探す。
見つからない。
でも、見つからないことは悲しくない。
風はどこにもいない。
だから、
どこにでもいる。




