傷
傷は不思議だ。
消したいと思っても残る。
忘れたいと思っても残る。
痛みは先に消えるのに、
形だけが皮膚の下に沈んでいく。
だから私は、
傷を見るのが好きだった。
風の指の傷の理由は知らない。
聞いたことはない。
私のことも何も聞かない。
きっと、私自身には興味はない。
はるは、日に日にあの女に似てくる。
白く光を通すような肌に大きな瞳。
軽やかなステップで階段を降りる。
翳りのない瞳は、風が失ったものを持っている。
はるは、風にも似ている。
思い通りにならないことに、ひとしきり騒ぎ立て、
疲れ果て、諦めた時の顔は、風そのものだった。
はるは、風のカノンを真似るようになった。
風はその時だけ、穏やかな顔になる。
カノンを教える風と運指を真似るはるは幸せな親子のようだった。
ただ、何かが欠けている。
そうだ。
はるの指には傷がない。
何を使って、どうすれば、あの傷は作れるのか。
「その傷、どうしたの?」私が聞く。
「これ」風は顔を顰めて答えた。
「君がナイフを持つから」
風はもう、私と姉の区別がつかない。
だから、私に何も隠さない。
姉の腕にあった無数の傷。
その1本を防いだことでできた傷。
「ありがとう、ふぅ」
ありがとう。
風に傷を残してくれて。
「ナイフはどこ?」
「教えない」
「意地悪ね」
私は、傷を残したかった。
あの女は腕に残した。
風は指に残した。
だから、私も。
同じ場所。
同じ形。
そうすれば、完全な姿になれる。
痛みではない。
意味だ。
どうして人は、自分の身体にまで何かを残そうとするのだろう。
私は腕を撫でる。
まだ何もない皮膚。
それなのに、そこには既に傷の輪郭があるように思えた。
はるは隣で眠っている。
白い指。
風に似た指。
私は、その小さな手を握る。
残さなくてもいい。
この子の中には、もう十分に風が残っている。
歩き方も。
怒り方も。
鍵盤を見つめる目も。
だから私は、その手を静かに離した。
私には、その傷が必要だった。
毎夜、部屋の扉を少し開けて、
その扉の前に立つ風に、その姿を見せた。
腕にナイフを当て、ゆっくりと引く。
風はじっと見ていた。
完成されていく腕の傷、姉の幻を。
傷は美しく育っていく。
傷の数を数えるのをやめ、ピンクの傷が腐った色に変わる時、
風はいなくなった。
風は、傷を残した。
指に。
姉は、傷を残した。
腕に。
私に残ったのは、
静かな家。
カノン。
眠るはる。
誰もいなくなった部屋に残る、静かな反復。




