第8話 辺境の薬師と、王都の噂
マルコが峠を越えてから半月が過ぎた。
フォルデン村に商人が来るたびに、王都の話を持ってきた。話の種類が、少しずつ変わり始めていた。
最初は「悪役令嬢の話」だった。
やがて「辺境で変わったポーションを作っている薬師の話」になった。
そして今日は、「フォルデンのポーションが隣国ベルタニアで試されたらしい」という話だった。
「重篤化する風邪がベルタニアで流行ってるんだけど」と商人が言った。「医薬評議会の審査報告書が回って、試してみたらよく効いたって。王都にも噂が届いてるよ」
「そうですか」
「お嬢さん、あなた何者?」
「薬師です」
「……本当に薬師なの?」
「今のところは」
◇◇◇
王都では、国際医療会議が開かれていた。
商人からではなく、カイルが情報を持ってきた。近衛騎士団には独自の連絡網がある、ということを初めて知った。
「薬価統一案の後継説明が、できなかったそうです」
夕方、試薬の温度を管理しながら聞いた。
「できなかった、というのは」
「アルフレッド殿下が各国の代表団に説明しようとしたが、資料の根拠が示せなかった。代表団から不信感を示された」
陶製の温度計を確認しながら、思考がうまく動かなかった。
驚いた、ということではなかった。予想はしていた。根拠が示せないのは当然で、根拠を作っていたのはわたしだったから。
ただ、実際に起きた、というのと、起きるだろう、というのは違う感触だ。
「マニュアルは読めなかったのですか」
「書棚で発見されたそうです。ただ、独自の体系で書かれていて、文官長が判読できなかったと」
そうか、と思った。
読めるように書かなかった、というわけではない。わたしが三年かけて作った体系は、三年かけなければ読めない。それだけのことだ。
「ロードン侯爵が、なぜ引き継ぎ教育をしておかなかったのかと叱責した、という話も入っています」
「侯爵はご存知だったはずですが」
「過小評価していたのでしょう」
カイルが短く言った。
そういうものだ、と思った。知っていても、なくなるまで気づかないことがある。前世でもそういう話はよく聞いた。
◇◇◇
さらに一週間後、別の話が届いた。
エリナが側妃候補として宮廷に入ったが、貴族院の承認を得ていない、という話だった。アルフレッド殿下が国王の非公式な了承だけで手続きを進めた。貴族院が反発している。
「自爆してますね」
試薬瓶を並べながら、声に出た。
カイルが横に立っていた。
「そうですね」
「これで終わると思いますか」
「終わりはしないと思います」
「……わたしも、そう思います」
「ただ」
カイルが言葉を続けた。それだけでは終わらないことがある、というような言い方だった。
「ただ?」
「もう、あなたが気にすることではない」
それはわたしが昨日の夜に思ったことと同じだった。
だから少しだけ、不意打ちをくらったような感触があった。
「……そうです」
「ベルタニアの報告書が評議会に届いた頃には、王都でも話が変わります」
「評議会がどう動くかはわかりませんが」
「マルコはきちんとした人間です」
「……あの方をご存知なのですか」
「顔だけは」
それ以上は言わなかった。
わたしは試薬瓶を一本ずつ確認した。ラヴェンドラ、ミルトゥース、フォルカン。声は出なかった。
今日は、出なかった。
カイルが隣にいることが、今は違う意味を持ち始めていた。
なんというか――まだ、言葉がなかった。




