第7話 怖いものを教えてください
決めたのは朝だった。
乾燥棚のラヴェンドラ草を確認しながら、気づいたら決めていた。
隠れ続けることと、見える場所で仕事をすることは、違う選択肢だ。今まで「隠れる」を選んでいたのは、理由があった。静かにやり直したかった。王都の声が届かない場所で。
しかし状況が変わった。
噂は届く。隠れていても、いなくなったことにはならない。悪役令嬢が宮廷を攪乱している、という話は、わたしが何もしなくても広まり続ける。
ならば、わたしの仕事の評判を、わたしの名前で広める方が、いい。
「ドーヴィル様」
カイルが薬草の乾燥状態を確認していたわたしの横に立った。
「今月、医薬評議会の地方審査官がフォルデン峠を通ると聞いています。年次の薬草品質調査のルートです」
「……知っていたのですか」
「護衛の仕事には、情報収集も含まれます」
また護衛の仕事、か。
「その方に、ポーションを正式に審査してもらうことはできますか」
カイルは少しの間を置いた。
「取り次ぎます」
◇◇◇
マルコという名の審査官は、四十代の中年男だった。額に深い皺があり、目が細く、穏やかな口調をしていた。カイルが宿屋の食堂で紹介してくれた夕方、テーブルに座ってポーション瓶を三本並べたわたしを見て、「で、これは何ですか」と事務的に言った。
「複合型解熱・鎮痛ポーションです」
「複合型ですか」
「ラヴェンドラ草の解熱成分とミルトゥースの鎮痛成分を低温で同時抽出しています。単体より持続時間が長く、副作用が少ないはずです」
「はずです、というのは」
「試験サンプルが限られているためです。ただ、村の方に一名、試用していただきました」
マルコは瓶を手に取り、光に透かした。淡い青の液体が揺れた。
「正式な審査を受けたいということですか」
「はい」
「名前は」
「リゼット・ヴェルテールです」
マルコの眉が少し動いた。ヴェルテールという名前が、何かを呼び起こしたらしかった。王都での断罪の噂は、審査官の耳にも届いているということだろう。
「……審査は明後日、この村でできます。準備を」
「ありがとうございます」
◇◇◇
審査の前日の夜、眠れなかった。
眠れない、というより、手が止まらなかった。試薬の最終確認、記録の整理、提出書類の清書。やることをやり終えると、また最初から確認した。前世で締め切り前に同じことをしていた。
薬草名が声に出ていた。
「ラヴェンドラ、ミルトゥース、フォルカン、ラヴェンドラ……」
「怖いものを教えてください」
カイルの声がした。
顔を上げると、扉の傍に立っていた。いつからそこにいたのか、またわからなかった。
「……なんですか、それは」
「護衛の仕事は」
少し間があった。
「その人が何を怖がっているかを、知ることです」
うまく言葉が出なかった。
護衛の仕事です、という言い方はこれまでも何度か聞いた。でも、そういう意味の「護衛の仕事です」は初めてだった。怖がっているものを知ることが、護衛になる、という話。
「……失敗することが、怖いのだと思います」
言いながら、少し驚いた。そういうことを人に言ったことがなかった。
「失敗したことはありますか」
「業務の話なら、ほとんどありません。ただ」
やめた。
「ただ?」
「自分の名前で出したものが失敗したことは、ありません。今まで全部、他人の名前で出されていたので」
カイルが少しの間、黙っていた。
「では、初めて怖いのは当然です」
それだけだった。
当然だ、という言い方が妙に腑に落ちた。励ましでも慰めでもなく、ただの観察として言った言葉が、なんというか、一番効いた。
「……王命があっても、わたしを王都に連れ戻すつもりはなかったのですか」
聞いてみた。
「ありませんでした」
「なぜですか」
「護衛の仕事は、護衛対象が選んだ場所にいることです」
「それは規則ですか」
「……俺が決めたことです」
◇◇◇
翌日の審査は、三時間かかった。
マルコは厳密だった。成分の説明を繰り返し求め、抽出方法の根拠を問い、試験結果の再現を実演させた。わたしは答えられるものには全部答え、答えられないものには「現時点では不明です」と言った。
三時間後、マルコが書類を整えながら言った。
「これは評議会の議題になります」
「……そうですか」
「ヴェルテール令嬢。これを申し上げておくべきかと思いますが」
顔を上げた。
「あなたの名前は、評議会では知られています。王都で何があったかに関わらず、この複合型の配合は、審査結果に基づいてのみ評価されます」
「ありがとうございます」
「礼には及びません。それが仕事ですので」
マルコが帰り際、カイルに目配せをした。カイルは小さく頷いた。何かが通じたようだった。
その夜は、眠れた。




