436 彼女だけの騎士
クトゥルフの血の蔦が石壁を伝って凄まじい勢いで増殖し、ルースの両手にべったりと張りついた。
「ルース総統!!」
親衛隊の3人は危険も顧みず血の蔦の中へ飛び込んだ。だが、2歩も進まないうちに、両脚をきつく絡め取られた。
「うわあ!!」
親衛隊も毒に侵され、間もなく地面に倒れて意識を失った。クトゥルフに血を吸われるがままだった。
クトゥルフは徐々に力を取り戻していった。一方、毒が深く回ったルースは、血を失いすぎて意識がもうろうとし、反応もなかった。
「今度こそ……捕まえた……!」
全身傷だらけのクトゥルフは、ルースの顎をつかんで吊り上げた。
パンパンパン——クトゥルフはさらに血の蔦を呼び出し、ルースの太い動脈が通る場所に食いつかせ、自分の体へもつないだ。5人は一つの循環系につながれ。
「ば……化け物!」
「なんて戦い方だ!?」
一部のドイツのプレイヤーたちは、クトゥルフのあまりにおぞましく常軌を逸した戦法に耐えられず、取り乱してその場を離れた。普段は闘技場の観客席に座り、クトゥルフに様々な方法でプレイヤーをいたぶり殺せと、しきりに要求していた連中だ。今はただ、思いがけず自分たちがクトゥルフと戦う側に回っただけだった。
「必ず勝つ!!!」クトゥルフは口を開いて噛みついた!
ブシャッ! 一噛みでルースの首を食い破り、鮮血が泉のように噴き出した。
「必ず勝つ!」ブシャッ、次は腕だった。
「必ず勝つ!」ブシャッ、続いて肩だった。
クトゥルフは口の中の脂身を残らず地面に吐き捨てた。どろどろに潰れた肉が、一つの塊になった。
「お前の肉なんか、ひとかけらだって食わない! 食うもんか!」
ブチュッ……クトゥルフはルースの腹を裂いた。
何人ものドイツのプレイヤーが背を向けて吐いた。耐えきれず、大広間へ退いて守りを固めた。
【Warnung: Die HP des Gildenmitglieds Lus sind auf 20 % gefallen】
【システムメッセージ: ギルマス ルース HP残り20%】
「ごほっ……ごほっ……あ……」
ルースが意識を失いかけたその時、クトゥルフが血を送り込み、強引に命をつなぎ止めた。
「でも、あの子はもう消えた……お前に闘技場へ放り込まれたせいで」
クトゥルフは沈んだ顔でうつむいた。
「ク……トゥルフ……落ち着け……私は————」
ルースは息も絶え絶えに言った。
「最後の一撃だ……猫娘と、あの子のギルドのために!」
ドン! クトゥルフが拳を叩き込むと、ルースの頭は風船のように破裂した。
【Warnung: Die HP des Gildenmitglieds Lus sind auf 0 % gefallen】
ルースの肥大した体が、ゆっくりと光の塵になって消えていった。
プラムスの塔は、一瞬にして静まり返った——
「ま……負けた! 早く退け!」
ドイツのプレイヤーたちは総崩れになり、すぐさま塔の外へ逃げ出して、強固な防衛線を築いた。
「勝ったよ……猫娘……見てくれたか? もう、俺のそばに戻ってきてくれるよな……」
最後の力まで使い果たしたクトゥルフは、天を仰いで微笑み、地面に倒れて意識を失った。
...
「俺は許されたのか?」
光がぱっと閃き、クトゥルフは再び意識を取り戻した。目を開けると、地下牢の血の池の中にいた。
威風堂々とした巨体の持ち主が、親しげに手を差し伸べてきた———
「お前の戦い方は、さすがに褒められないな」火野良は笑って言った。
まだめまいの残るクトゥルフは、火野良の手を払いのけ、ふらつく足取りで歩き出した。
「無理するな」火野良はクトゥルフのふらつく体を支えた。
クトゥルフは周囲を見回した。ほかの革命軍の者たちは数十メートルも離れた場所に退避しており、恐れずに自分に近づいてくるのは火野良だけだった。
「行かないのか?」クトゥルフは眉をひそめて尋ねた。
「出口はドイツのプレイヤーに塞がれてるんだ」
火野良は苦笑して答えた。
クトゥルフはリュックから金の大剣を取り出し、火野良に返した。
「ははっ、修理してくれてたのか!」
火野良はまるで親友に再会したかのように喜び、笑顔で金の剣を受け取った。
「いい大剣だ。攻守のバランスがいい」クトゥルフは笑った。
「どうして仲間を襲ったんだ?」
火野良は真剣な顔で尋ねた。
「俺には仲間がいない……」
クトゥルフは表情を曇らせて答えた。
肩に温もりが伝わった。
「一緒に行かないか? 俺がドイツのプレイヤーの転移門を壊して、お前を元のサーバーへ送り届けるまで」
火野良は親しげにクトゥルフの肩を抱き、笑顔で誘った。
寧々を除けば、クトゥルフは長いこと誰とも触れ合っていなかった——人を殺す時以外には。
心の安らぎと、いくつかの優しい笑顔。幸せは、こんなにもすぐそばにあったのだ。
「俺はお前を殺して、お前の伝説を壊したんだぞ。それでも俺と組む気か?」
クトゥルフが皮肉っぽく笑って尋ねると、火野良は太い眉を寄せた。
「いや、俺は伝説に負けただけだ。俺は今でも伝説だよ」
火野良は笑って言い、クトゥルフの耳元に顔を寄せた。
「ただ、お前ほどの伝説じゃないってだけさ」
「面白いやつだ」
クトゥルフは苦笑したが、ほかの者たちに受け入れてもらえるかが気がかりだった。
火野良はクトゥルフの不安をひと目で見抜いた。
「俺からみんなに話すさ。まずは一緒に、ここを出よう」
「お前ってやつは。これじゃ断ろうにも——」
クトゥルフは、火野良がここまで細やかに気を配り、人の心の機微まで読み取るとは思っていなかった。ギルマスとして……自分は火野良に遠く及ばない。
突然、地面が揺れ、地下通路の壁という壁に亀裂が走った!
「何だ!?」雨間刻が驚いて声を上げた。
「うああっ!」
加奈は凄まじい魔力の逆流に襲われ、全身を烈火で焼かれるような痛みを感じた。
ドン——ザァッ!!! 地下牢に溜まった血が半秒で壁へと飛び散り、半分近くが蒸発した。
空間全体が血の霧で満たされ、革命軍の者たちは咳き込み続けた。何も見えなかった。
「見て!!」由里が突然、鋭い声を上げた。
一筋の陽光が地下牢に差し込んだ。
皆は喜びに沸き、光の差すほうへ目を向けた——地下牢の左側の石壁が崩れ、地上まで大きな裂け目が開いていた。崩れ落ちた瓦礫が斜面を作り、その先から陽光が差し込んでいた。
「急げ! ドイツのプレイヤーも、まだ封鎖できていないはずだ!!」
火野良は即断した。革命軍はすぐに坂を駆け上がり、陽光を目指して走り出した。
だが、突然辺りが激しく揺れ始めた。ゴゴゴゴゴゴゴゴ。
今日、プラムスの塔の中で繰り広げられた激戦で、塔を支える構造はすでにぼろぼろになっていた。先ほどの衝撃波がその土台を粉砕し、開いたばかりの壁の穴が崩れ始めた!
車ほどもある巨岩が大量に降り注いだ。革命軍が駆け抜けるより早く、岩が次々と落ちてくる。このまま塔に閉じ込められれば、飢え死にするか、巨岩に押し潰されて死ぬしかない。
「急げ!!」火野良は焦り、近くで遅れていた聖職者2人をつかんで駆け出した。
差し込む陽光が弱まっていく——もう間に合わない。
ドン!!
「まさか……!?」革命軍の者たちは目を見張った。
クトゥルフは崩れかけた穴へ駆け寄り、木の幹ほども太い血の蔦を何本も呼び出した。その蔦で塔全体の重みを受け止め、高さ2メートルの小さな隙間を保った。
クトゥルフはぶはっと、口いっぱいの鮮血を吐き出した。足元からも何本もの血の蔦が噴き出して支えとなり、体は痙攣するように震えていた。全身の骨がギシギシと軋み、血の蔦の表面が裂け始め、血が細い筋となって噴き出した。長くは支えられないことを、クトゥルフ自身がわかっていた。
「早く……早く行け……」
クトゥルフは顔を真っ赤にして言った。
「急げ!!」革命軍は全速力で坂を駆け上がった。
火野良と雨間刻は何も言わず、クトゥルフとともに崩れた岩を支えた。
「いや……無駄だ……手を放しても……逃げる間はない」
クトゥルフは巨岩に触れた瞬間から、自分はここで永遠の眠りにつくのだと悟っていた。
「3つ数えたら、手を放せ——」
火野良は焦って言った。
「時間を無駄にするな……お前にはまだ、面倒を見なきゃならない仲間が大勢いる……俺の代わりに……あいつらの幸せを祈ってくれ……」
そう言うクトゥルフの鼻から、突然血が噴き出した。右脚の代わりをしていた血の蔦がたわみ、瓦礫が一気に数十センチ沈み込んだ。
「うお……うおおお!!!!」
クトゥルフは両腕を突っ張り、雄叫びを上げた。地面一帯がその血で真っ赤に染まり、さらに何本もの血の蔦が噴き出して瓦礫を支えた。プラムスの塔を丸ごと支え上げてしまったのだ。
「行け!!」クトゥルフは血まみれの口で怒鳴った。
「さらばだ、友よ」
火野良は眉を寄せ、クトゥルフの肩を叩いて立ち去った。
「ふん、格好つけやがって」クトゥルフは皮肉っぽく笑った。
ちょうどその時、加奈がクトゥルフのそばを通りかかった——
「待て! そこの子! Kanatheonのメンバーか!?」
クトゥルフは驚いて問いかけた。
加奈はすぐに半歩後ずさり、クトゥルフを敵意のこもった目でにらんだ。
「何の用!?」
「寧々……寧々さんは、お前のギルドのメンバーだろ! あの子が今使ってるメールアドレスを教えてくれないか!?」
クトゥルフの顔が喜びで輝いた。まるでプラムスの塔の重みさえ、その胸に湧き上がる喜びを押し潰せないかのようだった。
「あの子は……そうだけど。調べなきゃわからないし、今は時間がない」
加奈は断り、クトゥルフの脇を通り抜けようとした。だが、血の蔦につかまれた。
「何がしたいのよ!?」
「伝えてくれ!!! あの子に……俺があの子の仇を討って、ルースを殺し、火野良を助け出したって! 自分の罪を償ったって!」
「メールの返事をくれるように、伝えてくれないか? 俺のアドレスはあの子が知ってる」
クトゥルフは、寧々と連絡を取ることを一度も諦めていなかった。
加奈は1秒だけ考えた——
「わかった。約束する」
加奈はそう言うと、身を翻して地上へと駆けていった。
「猫ちゃん、今度は責任を果たしたよ……これでもう、俺を拒む口実はないだろ?」
クトゥルフはへらへらと笑い始めた。
革命軍の最後の1人も、地下牢を抜け出した。
「寧々……ありがとう」
クトゥルフは最後に、幸せそうに涙を流した。
「クトゥルフ!!! みんな脱出したぞ! お前も早く———————」
ゴゴ……プラムスの塔全体が崩れ始め、空を覆うほどの土煙が舞い上がった。地下から、星の数ほどの光の塵が噴き出した。
「さらばだ……仲間よ」
火野良はため息をつき、その場を離れた。
「行くぞ!」
「急いで撤退しろ!!」
全員が必死にプラムスの街から逃げ出した。
ゴゴォン……文明と覇権の象徴だったプラムスの塔は、一瞬にして崩れ去り、瓦礫の山と化した。




