426 赤の怒涛
「南門がこれだけ混乱してるなら、今のうちに突っ切って初心者の村に戻れるよ」
キティが言った。
「初心者を見殺しにするつもり?!」
松美は驚愕した。初心者たちのうめき声が、ミツバチの羽音のように耳に響いていた。
「この初心者たちが持ちこたえられるのは、せいぜい10分。その後はドイツのプレイヤーの魔物に、家から一人ずつ大通りへ引きずり出されて八つ裂きにされる。うまく利用しなきゃ、せっかくの機会を無駄にするだけだよ」
キティは、プラムスの高い塔の周辺がすでにドイツのプレイヤーで埋め尽くされているのを見ていた。初心者たちでは、まともな損害を与えられない。
「早く決めて。近くの巡回部隊が、私たちの周囲に集まり始めてる。監獄を境に防衛線を敷くつもりかもしれない」
菜々子が報告した。
一同は自然と火野良に目を向け、指示を待った。火野良は不意に顔を上げた────
「行くぞ。初心者の村に退く。キティの言うとおりだ。俺たち数人の力じゃ、戦況は変えられない」
火野良は苦渋の決断を下した。
仲間からは多少の不満も漏れたが、皆おとなしく従った。一行はすぐに姿を透明にして監獄の塔から飛び降り、南へ走った。
裏路地に入ると、初心者の一団がドイツのプレイヤーのバリケードに行く手を塞がれていた。背後には、牙をむいて爪を振りかざす人狼の群れがいた。
「魔物に引き裂かれるのを待ってろ!」
バリケードの向こうで、ドイツのプレイヤーたちは逃げ場を失った初心者たちを嘲笑った。
「力ずくでバリケードをぶち破れ! あいつらはこっちを押し返すことしかできない!」
初心者たちの戦闘力はひどく低かったが、その中には転生したベテランプレイヤーも少なくなかった。
1体の人狼が群衆に飛び込み、血に染まった爪を振り回した。何人もの初心者がその場で引き裂かれた。
「止めろ!!!」
ドイツ側の近衛兵2人がバリケードの陰から飛び出し、大盾を構えて裏路地を塞いだ。
ドォン!!!!!!!! 火野良が飛び込み、近衛兵たちの背後のバリケードを粉砕した。
雨間刻は魂喰いの大剣の腹で2人を横殴りにし、一撃でミンチにして壁にへばりつかせた。
「加奈! 人狼は任せた!」雨間刻はすかさず叫んだ。
「伏せろ、ザコども!!」
加奈は初心者たちに怒鳴り、大きな火球を召喚した。
初心者たちはすぐに伏せ、両手で頭を覆った。
ゴォ………………! 燃え盛る炎が火竜と化して100メートル先まで駆け抜け、進路上の人狼を焼いて炭に変えた。火竜はさらに狭い路地を伝って広がり、裏路地を「田」の字の形に焼き払った。
「火野良!?」初心者たちの隊長が火野良の姿を認めた。
「ついてこい! 俺が街の南側から外へ連れ出す!」
初心者たちは急に足を止めた。
「いや、街の奥へ攻め込むんだ」
「ドイツのプレイヤーに一人ずつ潰されるだけだよ。本当に死にに行くつもり?」
キティは不機嫌そうに言った。
「一度死んだ身なんだ。復讐もしないうちにドイツのプレイヤーに撤退されてしまったら……十次職まで進めたって、今日抵抗しなかったことを後悔する。幸運を祈るよ、火野良」
初心者たちの隊長は笑い、十数人の仲間を率いて、さらに危険な地区へ踏み込んでいった。
小隊の面々は唖然とした。自分たちが逃げているというのに、初心者たちは戦っていたのだ。
一行は道を駆け抜け、行く手を塞ぐドイツのプレイヤーを背後から襲い、ほどなく南門付近までたどり着いた。
「あと交差点を二つ越えれば城壁だよ。乗り越えれば安全だ!」
キティは初めて笑顔を見せた。
雨間刻は不意に足を緩め、黙って振り返ると、遠くのプラムスの高い塔を見つめた。
「ドイツのプレイヤーの後方が手薄になった時に、ノクスが騒ぎを起こしたのは偶然じゃない……柑々が危ない」
「柑々さんが?! どういうことだ?!」
火野良は驚愕した。柑々がプラムスへ行って以来、連絡はなかった。
「柑々はもともと、明日ノクスがプラムスに潜入して、俺たちを救い出す機会を探るよう手配していたんだ。きっと今日のドイツ側が特に手薄だと気づいて、人をやってノクスに行動を早めるよう伝えたんだ。俺の考えが当たっているなら、ルースに知られた時点で柑々も裏切り者だ。あいつを一人で残せない」
雨間刻が言った。
「だからって! プラムスの高い塔にはルースの親衛隊がいるんだよ。四次職が何十人も! どうやって柑々を助け出すつもり?!」
キティはひどく動揺した。雨間刻が死を覚悟で突っ込んでいくのではないかと恐れた。
「わからない……だが、柑々のそばに戻らなきゃならない。お前はもう安全だ、火野良。俺の任務も終わった。ここで別れよう」
雨間刻は火野良に歩み寄り、握手を交わした。
火野良は深呼吸し、雨間刻を見つめた。
「気をつけろよ」
雨間刻は大槍に持ち替え、一人でプラムスの高い塔へ駆け戻っていった。
「馬鹿じゃないの?!」キティは地団駄を踏み、悔しげに叫んだ。
火野良は周囲の初心者たちを見つめた。死傷者が相次いでも、街の中心へ攻め込むのをやめようとしない。
「どうやら……うちのサーバーには馬鹿が大勢いるらしいな……」
...
「意地の張り合いに勝ったところで、何になるの?! ノクス!」
アンドリアは苛立ちながら、城壁の上をせわしなく行き来していた。初心者が一人、また一人と魔物に引き裂かれていくのを見て、胸が痛んでたまらなかった。
「隊長、背後から回り込んで初心者を街の奥へ押し込めば、魔物が殺しやすくなります」
ドイツ側の新兵の一人が言った。
アンドリアは不意にはっとし、その場に立ち尽くした。
「回り込む……回り込む……」
その言葉が頭の中で何度も反響し、次第に大きくなっていった。
「ノクスは決して無謀な人じゃない。あの時、私の正体を隠すために丸一か月も口をきかなかった。そんな人が、ろくに考えもせず百人余りを死なせるわけがない。考えろ、アンドリア! きっと綿密な計画があるはず!」
アンドリアは指を噛みながら考え込んだが、ノクスの狙いが読めなかった。
西の城壁から、南でいく筋もの戦火の煙が上がるのを見た瞬間、アンドリアの脳裏にひらめきが走った!
「南で騒ぎが起きて……ドイツのプレイヤーは街の南側の通りに、急いで防衛線を築いている」
「城壁の守りはがら空き……これが陽動なら、ノクスは必ず精鋭部隊を用意して、今にもプラムスに奇襲をかけるはず!」
「どこ?! 考えろ、アンドリア! あなたを誰よりも理解しているのは、あの人でしょう?!」
アンドリアは爪をほとんど噛み尽くしそうになっていた。
「抵抗軍に加わる? ルースはきっと、私のギルドのみんなを殺し尽くす。Kanatheonと同じように、尋問もせずに処刑するはず」
「それともドイツのプレイヤーに手を貸して、本サーバーの革命軍を鎮圧する? それなら勝利はほぼ確実。名声も富も手に入る。ドイツのプレイヤーが去る頃には、私のギルドはこの侵略戦争を、無事に切り抜けているはず」
アンドリアの中で、相反する思いが激しくぶつかり合っていた。
この時、アンドリアは自分がただのちっぽけな初心者であればと、心から願った。そうすれば何もかも投げ出してノクスの隣に立ち、彼のために戦えるのに。
銀龍の刻印というギルドのために、自分はあとどれだけ犠牲を払わなければならないのか。いったい……自分は何を守っているのか。
「あれだけのことを経験して……銀龍の刻印は、まだ銀龍の刻印なの? 私は、まだ私なの? 何を迷っているの?! 銀龍の刻印……違う! 私の友達は、今まさに南で戦っているじゃない!」
アンドリアは胸壁の縁を握りしめ、熱い涙をとめどなく流した。
ドイツのプレイヤーは、沈んだ様子で涙を流すアンドリアを見て、その胸の苦しみを察した。
「アンドリア隊長……今日は休まれてはどうですか。任務は私が引き継ぎます」
アンドリアは涙を拭い、鎧の留め具を確かめた。新兵と近くの守備隊を集め、西門の外の空き地へ連れ出した。
「さあ、行こう。南門が攻撃されている。西門にも伏兵がいる可能性が高い。奇襲を防ぐため、森を掃討しなければならない」
「隊長、西門に伏兵がいると考える根拠は? 守備隊まで動かして、問題はないのですか?」
ドイツ側の大隊長が言った。
「私がアンドリアだ! プラムスの元城主だ! どこからプラムスを攻めればいいかは、誰よりもよく知っている!」
「そして私はお前の上官だ。死ねと命じたら、生き延びようとするな! わかったか?!」
アンドリアは鷲の大旗を手に、大隊長を指さして怒鳴った。
「は……はい、隊長」
ドイツのプレイヤーは、自分より階級の高いアンドリアに逆らえなかった。
「隊列を組め、出発!」アンドリアが命じた。
40人のドイツ部隊は隊列を整え、西の森へ向かった。
「わかったわ、ノクス……あなたなら必ず、西門から攻め込む別働隊を用意している!」
アンドリアは激しい怒りを胸に、馬を全速力で走らせた。
「アンドリア隊長、先に斥候を出して地形を確認しませんか?」
ドイツ側の兵長が尋ねた。
「必要ない! 戦いは速さが命だ!」アンドリアは即座に却下した。
馬蹄と軍靴の音が重なり、四十人の部隊が森へ踏み込んだ……
周囲の木陰に、赤い光が灯り始めた。
「アンドリア隊長、周りに何か——」兵長が叫んだ。
ドォン!!!!!! 狂信者が1人、空から降ってきた。拳の一撃で兵長の馬をぺしゃんこにし、さらに片手で兵長の頭を握り潰した。
「敵襲!!」ドイツのプレイヤーたちはすぐに円陣を組んだ。
「アンドリア隊長、どう……」
先ほどの大隊長は慌てて振り返った─────アンドリアは双頭の鷲の大旗を引き剥がし、銀龍の刻印の旗を露わにした。その顔は、鉄の仮面をかぶった死神のように冷たかった。
「私は最初から……お前の隊長などではない……」
アンドリアは冷酷に言い放った。
ドイツのプレイヤーたちは、色とりどりの姿をした本サーバーの狂信者の大群に、たちまち取り囲まれた。
「アンドリア?……気をつけろ! 銀龍の刻印のお姫様に怪我をさせるな!」
アビルは長く待ち伏せしていた性殿騎士団を率い、総出で飛び出してきた。騎士たちは40人のドイツのプレイヤーを、瞬く間に素手で引き裂いた。
ドイツのプレイヤーたちのうめき声や悲鳴は、交響曲のように耳に心地よかった。アンドリアは目を閉じ、恍惚とした顔で殺戮の調べに聞き入った。
「お姫様……ドイツのプレイヤーを死なせるために送り込んできたのか? ここで待ち伏せしてるって、どうしてわかった?」
アビルは笑いながら尋ね、拳についた血を拭った。
「私ほどプラムスを知っている者はいない」
アンドリアは手綱を引いて馬首を返し、己の街プラムスにそびえる塔を、燃えるような眼差しで見つめた。
「まさか……銀龍の刻印と肩を並べて戦うことになるとはな」
アビルは皮肉っぽく笑った。
アンドリアははっとし、ビリッと音を立てて、自らの手で銀龍の刻印の旗を引き裂いた。
「何をするんだ?!」赤ネームたちは一斉に驚きの声を上げた。
「あなたが肩を並べて戦うのは、銀龍の刻印じゃない……本サーバーの仲間よ」
アンドリアは地面に散らばった旗の切れ端を見て、気持ちがすっと晴れた。
「ふん、パフォーマンスか。お前ら! もう一度プラムスを揺るがしてやろうぜ!」
アビルが声を張り上げると、200人の赤ネームが身を覆っていた黒いマントを脱ぎ、森全体が一気に真紅の光を放った。
この赤い光は、もはや悪に傾いたカルマ値を示すものではなかった。それが示すのは───本サーバーの怒りだった。
ポンッ。アンドリアはついに、使用を禁じられていた氷竜を召喚した。
陽光を浴びて氷晶の鎧が透き通るように輝き、その結晶に反射した赤ネームたちの怒りの光が、アンドリアの瞳に映り込んだ。
「さあ……さあ……さあ。私に続け!!!!!」
ドォン——森の一帯が凄まじい力で粉砕され、氷竜が木々をなぎ倒して飛び出した!
「うおおおおおっ!!!!!!!!!!」
赤い光が巨大な怒涛と化し、西からプラムスへ押し寄せた。




