398 退路なき潜入
「泣いてはどじょうを 困らせた……」
柑々は声を枯らし、今にも途切れそうな声で歌っていた。
【システムメッセージ: フレンド 一度だけ登場 HP残り20%】
柑々の歌声が途切れた。
【システムメッセージ: フレンド 一度だけ登場 HP残り0%】
「困ら……せた……」
柑々は沈んだ顔で、最後の一節まで歌い切った。
「ごめんなさい……」
夢葬者の鏡像へ向かって頭を下げた。
そのとき、何者かが扉を押し開けて入ってきた。
柑々はすぐに楽しそうなふりをして、夢葬者の鏡像とともに窓の外を眺めながら、一人で会話を続けた。
その人物は一歩踏み出し、手を伸ばして鏡像の腕を握り潰した。
「……」
柑々は力なく振り返り、幻音の杖をゆっくりと抜いた。
「……」
その人物は柑々を見つめたまま、無言で扉を閉めた。
...
「何事だ!?」上階の守備兵が塔の最下層へ駆け下り、ちょうど仲間が夢葬者を殺したところを目撃した。
「こいつが潜入していた!」暴君の一人が両手斧を構えて怒鳴った。
「こいつ……柑々と一緒に入ってきた客じゃないか!?」入口を守っていた暴君は仰天し、すぐさま階段を駆け上がって、鍵のかかった柑々の部屋の扉を激しく叩いた。
「開けろ!」暴君が怒鳴った。
「どうしたのぉ?」扉の向こうから、柑々のとぼけた声が返ってきた。
「立入禁止区域の守衛として命じる! 今すぐ扉を開けろ! さもなくば力ずくで破壊する!」暴君は巨大な鉄槌を振り上げた。
「待って、壊さないでよ!」柑々は慌てて扉を開けた。
「お前は幻像師だな!? 連れはどこだ!」暴君はすぐに、窓辺に立つ夢葬者を見つけた。
暴君は問答無用で、窓の外を見つめる夢葬者に拳を叩き込んだ。
ドゴッ――鮮血が飛び散る。
「うぐっ!!」夢葬者は本物だった。床に倒れて身を丸め、血を吐き出した。
暴君は仰天し、自分の拳についた血を呆然と見つめた。偽物ではない。
「何するのよ!? ルース様から友達の見学許可はもらってるんだから!」柑々は目に涙を浮かべ、暴君を何度も叩いた。
「す、すまない……。すぐに聖職者を呼んでくる!」暴君は慌てて謝った。
「いらない! 今すぐこの人をギルドに連れて帰るから!」柑々は、ずっと布で顔を隠していた夢葬者を支え、高塔を出ていった。
「道を空けろ!」暴君は二人のために自ら道を開いた。
二人は無事にプラムスの大通りへ戻った。
柑々はすぐに夢葬者を支え、薄暗い路地へ入った。
「大丈夫!? 命に関わる傷じゃない!?」
夢葬者は首を横に振り、脇腹を押さえながら腰を下ろした。
「まさか、あの一発が……あれほどの威力とはな」夢葬者は額にびっしりと汗を滲ませ、何度か咳き込み、血を吐きながら言った。
「ご……ごめんなさい! みんな死んじゃったと思ってたの!」柑々は夢葬者を抱きしめ、泣き崩れた。
「謝るのは俺のほうだ……」夢葬者は苦笑し、柑々から変装用に渡された黒い革鎧を脱いだ。
「どうして?」柑々は怪訝そうに尋ねた。
「あの九皇の晩餐会で……お前が作った梨のワイン煮には、俺とドーンが荒道一狼を殺すために毒を仕込んでいた。雨間刻は、お前が毒入りの梨を食べるのを恐れて、あのデザートを叩き落としたんだ」
柑々は言葉を失った。あの夜、雨間刻が見せた不可解な行動の真相が、ようやく明らかになった。
嫉妬に駆られたのではない……自分を守ってくれたのだ。
「春野玄……ドーンは?」柑々が尋ねた。
春野玄の表情が曇った。
「あの夜、企みがばれてから、俺とドーンは教皇城を脱出し、森で毒を作り続けていた。ある日、川辺で蛙を殺して毒を採っているNPCの一団と出会った。その中の和也と名乗るNPCが声をかけてきてな。自分たちには秘伝の調合法があり、毒作りを手伝ってくれるプレイヤーが必要だと言った。俺たちは引き受けた……。まさか和也たちが、最後には自分たちを魔王だとあっさり明かし、標的の毒殺まで手伝うと言い出すとは思わなかった。それからも協力を続けたが……奴らの行動はあまりにも秘密主義で、しかも恐ろしいほど効率的だった。俺たちは次第に恐怖を覚えた。そして奴らがグズを陥落させ、正体を現したあと、俺たちはビスマルクという男の専属通訳になった。数百人もの源魔師が本サーバーへ入ってくるのを見て、ただ事ではないと悟ったんだ。ビスマルクの毒殺も企てたが、計画を見破られた。ドーンは……すべての罪を一人で背負った。俺はドイツ人プレイヤーのそばに残り、復讐の機会を待つことにした……」
春野玄は悲しげにそう語った。
「どうして名乗り出てくれなかったの!?」柑々は胸を痛めて尋ねた。
「柑々! 俺は正体を隠したままのほうが、役に立てたんです! ルースが俺と柑々様の関係を知れば、必ず監視を増やします! 実際、俺は陰で何人もの監視役を柑々様の周囲から遠ざけてきました」春野玄はため息をついた。
「ありがとう……」柑々は涙に濡れた目を瞬かせながら礼を言った。
春野玄は辺りを見回し、安全を確かめてから柑々に耳打ちした。
「地下牢の黒鋼の扉の向こうに閉じ込められているのは……大天使長ブチャです」
春野玄は険しい表情で告げた。
柑々はすべてを悟り、地下牢があれほど厳重に守られている理由をようやく理解した。
...
「子猫を取り逃がしたが……大物は捕らえた。悪くない」パーカーは満足げに言った。
「Kanatheonへの追撃を続けますか?」副長が尋ねた。
「遠くへは逃げられない……。さらに南へ進めばハゲグ城だ。捜索範囲はもうかなり絞られた……」パーカーは笑った。
...
ニフェトたちは無事、リオの小さな鉄小屋へ戻った。
しかし、誰も無事に生還したことを喜ぼうとはせず、暗い表情で口を閉ざしていた。
鉄小屋の中で立ち尽くしていた加奈は、突然、怒りを抑えきれなくなった。
「わからない。一人の命と一人の命を引き換えにして……何の意味があるの?」
加奈は拳を強く握り締めた。しかし、その声には力がなかった。
「加奈……」松美はやるせない声で呼びかけた。
「キティを助けて……火野良を失って。それに何の意味があるの?」加奈は問い詰めた。
「私たち十人だけでは、まともに戦える相手ではありませんでした。速度と攻撃力を兼ね備えた者にしか、源魔師と秤魂者を主力とする部隊を足止めできなかったのです」カミコが答えた。
「結果だけで、その行動の価値を測るべきではない。彼が自分を犠牲にして人を救うと決めた瞬間、その行動にはすでに意味があったんだ。もしかすると……こんな混沌とした時代だからこそ、最後まで信念を貫き通すのも悪くないのかもしれない……」古志は感慨深げに言った。
「彼はまだ死んでいない。それに護心石もある。信じてあげて! それより、自分たちの心配をしましょう。ドイツ人プレイヤーが撤退する日まで、隠れ続けるのは無理そうよ……」
ニフェトは神杖を強く握り、重い口調で言った。
...
「紳士淑女の皆様、本日は特別な日です! 我々は世にも珍しい猛獣を捕らえました! 果たして彼はクトゥルフの口から生還し、名誉市民となれるのでしょうか!? 皆様、その目で見届けてください!」司会者が興奮した声で叫んだ。
「時間だ。転移門へ入れ」ドイツ人プレイヤーが小屋の中にいる男へ告げた。
男は何も言わず、胸を張って堂々と紫色の転移門へ入った。
「それではご紹介しましょう~! 土着民最強の戦神――火野良選手!」司会者が絶叫すると、周囲から割れんばかりの拍手が巻き起こった。
「………………」火野良は無言で周囲を見渡した。
闘技場には平坦な砂地が広がり、近接戦で殺し合うにはもってこいの場所だった。
向こう側に転移門が現れ、笑顔のピエロが二本のフランスパンを手に姿を現した。
「それでは――始めましょう!」
火野良はクトゥルフを倒せるのか!?




