384 行かない
狼部隊の石竜が、ふらつきながら野営地へ戻ってきた。隊長はすでに十数人の聖職者を集め、負傷兵の治療に当たらせていた。
「パーカー様!」
パーカーは石竜が無事に着陸したのを見届けると、その場に倒れ込んだ。隊長はすぐに彼女を支え、指揮所へ運び込んだ。
しかし、聖職者たちにもパーカーを治療することはできなかった。
「すぐに我々のサーバーの教皇のもとへ送れ!」隊長は命じた。
「教皇のもとへ送るな……今の私は、あの神恩に焼き殺される」パーカーは弱々しく答えた。
「ただちにルース様へ戦況を報告し、教皇を討つための援軍を要請します」隊長は告げた。
「Achtung!」パーカーは怒鳴り、ソファから立ち上がった。
部隊の兵士たちは一斉に胸を張り、直立不動の姿勢を取った。
「ルースへの報告は不要だ。我々が敗北したことは、ビスマルク総統から直々に尋ねられないかぎり、誰にも漏らすな」
パーカーは神杖の先で隊長の顎を持ち上げた。
「りょ……了解しました、将軍。ですが、敗因を知る必要があります。同じことを繰り返して野営地を失えば、私の責任になります」
隊長が正面から食い下がると、パーカーはため息をついた。
「煉獄……プレイヤーの精神値とカルマ値が規定値を下回ると、システムが魔獣を解き放ち、周囲の空間を煉獄へ変える。ムー大陸へ戻るには、その魔獣を倒さなければならない。倒せなければ、永遠に結界の中へ閉じ込められる」
「堕落した聖職者は、聖職者へ対抗するために存在する。一種の特殊な派生職だ。だからこそ、総統は私を教皇の討伐へ向かわせた」
「はぁ……ビスマルク様を失望させてしまった…………」
「明日、私は我々のサーバーへ戻り、自分のギルドのメンバーを集めて事態を収拾する。この件を外へ漏らせば、狼部隊の誰一人として許さない。分かったな、隊長?」
「Verstanden(了解)」隊長は敬礼した。
「魔獣を手なずける……そんなことが可能なのか!?」
パーカーは真子が従えていたコウモリの魔獣を思い出し、胸の奥から不安がこみ上げた。
…
「私の仲間たちは!?」
目を覚ましたソフィアは、すでにKanatheonの洞窟にいた。
「ドイツ軍の反撃を受け、全員戦死した」ニフェトは眉をひそめて告げ、古志は暗い表情でうつむいた。
「……」
ソフィアは黙って顔を伏せた。
「それと、ソフィア。もっと地下深くへ移ってもらう必要がある。一つは、そのほうが安全だから。もう一つは、神恩の効果範囲を狭めるためだ。そうすれば……君のそばで復活できるプレイヤーの数も減らせる」
古志は説明を付け加えた。
「分かりました……何か守りを固めるために、私にもできることはありますか?」ソフィアは重い声で尋ねた。
「いや、今はゆっくり休んでくれ。俺たちは南へ斥候を送り、反撃の準備を進める」古志はソフィアを安心させるように答えた。
「ところで、真子は立ち去る前、審判官たちに教皇の前で懺悔するよう言っていたよね。どういう意味か分かる?」松美は尋ねた。
「懺悔……堕落した聖職者は、教皇の前で一連のクエストを完了すれば、聖職者の資格を取り戻せます。そうすれば、そのプレイヤーは両方のスキルを持てますが、一度に使えるのはどちらか一方だけです。つまり、あのドイツ人の女性プレイヤーは堕落したあと、すでに懺悔を済ませていた。それでも逃げるために、もう一度堕落を選んだということです。
堕落した聖職者の呪いは、教皇の神恩と反発します。光が強まれば、それだけ濃い闇も生まれます。ですが、二つの力は同じ場所に共存できません。互いの力は大幅に高まりますが、その代償として命を削ります。堕落した聖職者には回復スキルがないため、戦いは教皇に有利です」
「しかし、ラロの経典には、七人の堕落した聖職者が大聖堂で反乱を起こしたという記録があります。彼らは教皇を殺して魔道を広め、生きた人間を血の生贄にして、大聖堂の地下に煉獄を作り出そうとしました。各地から集められた大司教たちによって倒されました――後に『七大罪人の反乱』と呼ばれた事件です」
ソフィアは説明した。
「何度でも繰り返せるの!?」松美は驚いて尋ねた。
「神は罪人を何度でも赦します。結局はゲームバランスのためでしょうか? ただし、懺悔のクエストは繰り返すたびに難しくなり、護心石を犠牲にしなければ完了できない場合もあります。それに、堕落を繰り返すとスキルの効果が下がり、どちらの力も中途半端になってしまいます」
ソフィアが体を起こすと、松美はすぐに水を飲ませた。
「真子を捜しますか?」パシュスは眉をひそめて尋ねた。
「本人が隠れるつもりなら、見つけられない」ニフェトは首を横に振った。
松美がソフィアを地下へ連れていき、古志も付き添おうとしたが、ニフェトに引き止められた。
「情に弱い松美には言うな。夢葬者をソフィアの近くに配置しろ。復活したプレイヤーが三次職未満なら…………」
ニフェトは眉をひそめ、手刀で首を切る仕草をした。
「分かった……」古志はうなずき、その場を離れた。
ニフェトは何かを言いかけて口を閉ざすと、表情を消し、入口へ戻った。
二日後――
何事もなかったかのように日常が戻っていた。ドイツ人プレイヤーたちの注意は北東へ集中し、Kanatheonは貴重な猶予を得て、各地で物資を集めていた。
萌僧は洞窟から二キロ離れた場所を巡回し、分かれ道の一つを進んで、深い森に覆われた山を登った。周囲は次第に荒れ果て、土の道にまで若草が生えている。道の先は草むらで行き止まりに見えた。
萌僧は口を尖らせ、引き返そうとした。しかし、盗みで鍛え上げた目が、草むらの向こうに数棟の建物があることを捉えた。
草をかき分けて進むと、四方を山に囲まれた小さな盆地へ出た。そこには、廃墟となった小さなギルド村があった。
萌僧は姿を消したまま村を一周した。ドイツ人プレイヤーの痕跡がないことを確かめると、物資を捜し始めた。
一軒目の小屋では、使えそうな物がすでに根こそぎ持ち去られていた。机も椅子も倒され、本やカップ、皿といった価値のないアイテムは、ゴミとなって部屋の隅に積み上げられている。
二軒目の小屋は、入口が太い蔓に覆われていた。蔓に残った切り傷から、誰かが力ずくで入ろうとして失敗したことが分かる。萌僧は当然、すぐに諦めた。
最後の建物は二階建てで、おそらくギルドホールだろう。
萌僧は人差し指で扉をわずかに押し開け、中を覗いた――何もおかしなところはない。
木の扉がギィィと軋み、マホガニー造りの大広間へたちまち陽光が差し込んだ。立派な階段が二階へまっすぐ延び、中央には大きな蝋燭を載せたシャンデリアが吊るされている。
萌僧はふと、ハゲグで狂ったように覗き回っていた日々を懐かしく思った。
部屋を一つずつ調べていくと、倉庫の扉はすでに爆破され、中は空っぽだった。
ただ、マホガニーの床を覆う埃の上には、真新しい足跡が一筋だけ残り、二階まで続いていた。
萌僧は誰かがいると確信し、姿を消したまま足跡を追って二階へ上がった。床には大きな赤黒い血だまりがあり、血の跡は部屋の奥にある衣装棚まで続いている。
「何か隠れてるな?」萌僧は直感でそうつぶやき、短剣を抜いて慎重に扉を開けた。しかし、衣装棚の中にあったのは大きな血だまりだけで、誰もいなかった。
すっかり当てが外れた萌僧はしゃがみ込み、血に触れてみた。まだ濡れている――
背筋がひやりとした。同時に、氷のように冷たい何かをうなじへ突きつけられた。
「降参!」萌僧は驚き、すぐに両手を上げた。
「本サーバー……の人……ドイツ軍に寝返ったの?」
少女の声には、苦しげなうめきが混じっていた。
「違う! 俺にはギルドがある!」萌僧は脚を震わせながら答えた。
「どこの……?」少女は尋ねた。
「教えない! 殺されても絶対に教えない!」萌僧は降参しても、Kanatheonの情報だけは決して明かさなかった。
少女は突然、萌僧の襟首をつかんで引き起こし、ギルドの紋章を確認すると、うなじに突きつけていた尖ったものを下ろした。
萌僧がこっそり振り返ると、緑色の髪をした少女が体の半分を血に染め、床に倒れて苦しそうにもがいていた。
萌僧は窓から飛び降りて逃げようとしたが、突然足を止めた――
「加奈!?」萌僧は驚いて叫び、加奈のもとへ駆け寄ると、すぐに包帯を取り出して応急処置を始めた。
「やっと……あなたたちを見つけた」
加奈は苦笑すると、そのまま意識を失った。
…
「駄目! ニフェト、外へ出てはいけません!」パシュスは両腕を広げ、洞窟の入口を塞いだ。
「どいて!」ニフェトはパシュスを押しのけ、開けた平原へ走り出た。
萌僧と一樹が加奈を支えながら、洞窟へ向かって歩いてきた。
ニフェトは真っ先に加奈の治療を始めた。
「遅すぎるわよ!」ニフェトは怒鳴りながら、感極まって涙を流した。
加奈と一樹が姿を消してから、すでに一か月が過ぎていた。ニフェトは二人が鉄耳山脈にいることだけは知っていたが、密書を送ることもできなかった。毎晩一人で岩に座り、散り散りになったギルドメンバーたちの行方を記録していたが、その多くは二度とログインしなかった。
明日になれば、きっと戻ってくる。最初はそう自分に言い聞かせていた。だが、翌日になっても誰もログインしないと、また同じ言葉を繰り返した。明日こそ、と。
しかし、残った者たちも次々と姿を消していった。ニフェトがどれほど皆を奮い立たせる言葉を口にしても、ギルドメンバーは指の隙間からこぼれ落ちる水のように、つなぎ止められなかった。
ニフェトは人数が減り続けるメンバーリストを開くことさえ怖くなった。やがて感覚が麻痺し、行方不明になったギルドメンバーのHP低下の警告にも目を向けなくなった。
ニフェトたち四人は小さな平原を横切った。
「ニフェト……あなたを待っている人がいる」
加奈は意識を取り戻すと、そう告げた。
「誰?」ニフェトは険しい表情で尋ねた。
「シモン。銀龍の刻印の代表よ」
加奈は希望を見つけたかのように、目を大きく見開いた。
ニフェトは突然足を止めた……。
「ニフェト! 早く戻って!」パシュスは驚き、ニフェトを抱えるようにして洞窟へ連れ戻した。
「何人か実力者を選んで、一緒に来てくれ。シモンはプラムスの情報を持っている」一樹は息を切らしながら告げた。
「行かない」ニフェトは暗い表情で答えた。
洞窟内は静まり返った……。
「私たちはシモンを監視していたドイツ軍を追い払うために、もう少しで全滅するところだったのよ! それなのに、お嬢様みたいに駄々をこねるつもり!?」加奈は激怒し、ニフェトへ指を突きつけて怒鳴った。
「Kanatheonのメンバーは九割も戦死した! そのとき、銀龍の刻印はどこにいたのよ!?」ニフェトは加奈を上回る怒りを爆発させ、その声は洞窟の奥深くまで響き渡った。
Kanatheonの者たちは何も言えず、ドイツ軍がハゲグを虐殺した夜の光景を思い出していた。
「もう、好きにして……」加奈は力なく立ち去り、一樹とともに洞窟の奥へ休みに向かった。
ほかの者たちがどれほど説得しても、ニフェトは考えを変えなかった。
「ニフェト様、ソフィアがお会いしたいそうです」通路を守っていた夢葬者が告げた。
…
皆さんなら、自分たちを見捨てた盟友を助けますか?




