367 生きる代償
ドイツ軍に降伏した影の旅団は、今どうしているのだろう……?
丸々と太ったイノシシが森の中で餌を探しながら、敏感な耳をぴんと立て、捕食者を警戒していた。
すぐそばの茂みがかすかに揺れる。イノシシはすぐさまその一帯を睨みつけ、安全を確かめると再び餌を食べ始めた。
その瞬間、茂みから木の槍が飛び出した。だが、イノシシの毛皮は木の槍を弾き返すほど硬かった。驚いたイノシシは全速力で山道へ駆け込む。しかし、その先は氷の壁に塞がれていた。
イノシシは甲高い唸り声を上げ、全身の筋肉を張り詰めると、砲弾のような勢いで氷の壁を正面から突き破った。
「うわっ!」白はイノシシに正面から突き飛ばされ、牙の一本が脇腹をかすめた。
傷に構う余裕もなく、全力でイノシシにしがみついたが、振りほどかれてしまう。
イノシシが茂みの中へ消えようとしたその時、雨間刻が横から飛び出し、木剣を振るってイノシシの脚を斬りつけることに成功した。
【システムメッセージ: 装備 初心者の木剣 耐久度残り0%】
その場で木剣がパンッと弾け、粉々に砕け散った。
「何だと?! 脆すぎるだろ?!」
今にも逃げられそうになり、雨間刻はやむなく黒槍に持ち替えて突き出した。穂先はたちまちイノシシの体を貫き、イノシシはギィギィと数回鳴いて地面に倒れ、そのまま息絶えた。
「刻! 武器を出しちゃいけないって分かってるだろ……」ハクは黒槍を見つめ、不安げに言った。
「今夜、腹いっぱい食えなかったら、坑道で働いてる仲間たちは納品に間に合わない。そうなれば、どのみち死ぬしかない」
雨間刻はシャツと布のズボンしか身につけていなかった。柑々から贈られた上等な鎧は、ドイツ軍によって着用を禁じられている。
二人は数人の影の旅団の仲間と一緒にイノシシを木の棒に縛りつけ、鉄耳山脈へ担いで帰った。
草原の小道を進む間、ハクは何度も雨間刻の顔を見つめていた。その視線に居心地の悪さを覚え、雨間刻は尋ねた。
「どうした?」
「お前が衝動を抑えきれなくなるんじゃないかと思ってな」ハクは真剣な顔で答えた。
「それで?」雨間刻は苛立たしげに聞き返し、肩に担いだ木の棒をさらに強く持ち上げた。
「柑々にはまだお前が必要なんだ。ドイツ人プレイヤーと衝突するような真似はするなよ」ハクは必死に諭した。
「あいつにはもう俺は必要ない……。あの夜、ハゲグから逃げて以来、一言も口を利いてくれない。今の柑々は自分の居場所を見つけて働いてる。自分のことは自分でできる」雨間刻は肩に食い込む重い木の棒を強く握った。
「ふん、そうか? 一昨日の夜、あいつが何気なく肉を食いたいって漏らした途端、お前は皆を巻き込んで森まで狩りに来た。俺を馬鹿だと思ってるのか?」ハクは鼻で笑い、大きなあくびをした。
「俺はただ――」
その時、雨間刻は白い鹿が草むらの向こうを駆け抜けるのを目にした。皆に担いでいた棒を下ろさせ、黒槍を取り出して狙いを定める。
ヒュッ!
白い鹿の悲鳴が空に響き渡る。雨間刻はすぐに魂喰いの大剣を取り出し、駆け寄った。
長い草をかき分けると、白鹿には自分の黒槍が刺さっているだけでなく、三本の矢まで命中していた。
「待て……これは――」
雨間刻は驚いて立ち上がった。すぐそばでは、低レベルの装備を身につけた二人のドイツ人女性プレイヤーが、怯えた目で彼を見つめている。
「げ……原住民が武器を手にした!!!」二人は悲鳴を上げ、その場から逃げ出した。
雨間刻の頭に、同じ言葉が頭の中で何度も響いた。
「殺せ!」
「絶対にあいつらを殺せ!!!!!」
雨間刻は黒槍を引き抜いて狙いを定めたが、すぐさまハクがその前に立ちはだかった。
「正気か?! ギルドまで巻き添えになるぞ!」
「あいつらに告げ口されたら、どのみち同じ結果だ!」雨間刻は言い返した。
「もしお前が――」ハクが反論しようとしたその時、空から黒い影が舞い降りた。
ズンッ……ドイツ軍のグリフォン騎兵が駆けつけ、二人が言い争う様子を目撃した。
騎兵はすぐさま伝書鳥を放ち、ほかの部隊に連絡を取った。
「待ってくれ!」ハクは両手を上げ、慌てて叫んだ。
「Freeze!(動くな)」全身を鎧で固めた翼騎兵が、軍用の槍を二人に突きつけた。
戦いになれば……装備を身につける暇すらなく、ドイツ軍に瞬殺される。
「こうなるんだよ……」雨間刻は重々しく呟いた。
…
鉄耳山脈、影の旅団のギルドホール――
バンッ!
火野良が鉄扉を蹴り開けると、ギルマスの玉座にはドイツ軍将校――ヘメルが座っていた。
「おお! 火野良ギルマス、ちょうど君を捜していたところだ」ヘメルは悠々と両脚を机に乗せ、強いドイツ訛りの英語で話しかけた。
「俺の仲間はどこだ?」火野良は怒りをむき出しにして尋ねた。
ヘメルが衛兵に目配せすると、雨間刻、ハク、残る三人のメンバー、そしてイノシシも運び込まれてきた。
「火野良……俺は関係ないんだ!」一人がすぐさま泣きついた。
衛兵は剣の柄でその後頭部を殴りつけた。たちまち血が流れ出す。
「君たち、困ったことになったね……」ヘメルは苦笑し、ギルマスの椅子をゆったり揺らしながら続けた。
「確か……条件の一つは……君たちが使える武器はノーマルレアリティのものだけ。違反すれば即処刑。覚えているかな?」
「木剣じゃイノシシを倒せなかったから――」メンバーの一人がすぐに反論した。
「黙れ!」火野良が怒鳴った。
影の旅団の面々は即座に口を閉ざした。ヘメルはギルマスの座に腰掛けたまま、その様子を見物している。
「こいつらも状況は分かっている。今回だけは見逃してくれ」火野良は眉をひそめて言った。
「おや……火野良ギルマス、契約は守らなければならないよ。私は君たちのギルドに自由な活動を認め、その代わりに鉱石を生産してもらっている。君たちだけを見逃せば、ほかの原住民ギルドに示しがつかないだろう? 皆に、私が甘い男で、いくらでも付け込めると思われては困る」ヘメルは問い返した。
「食糧を制限して、俺たちの活力を半分以下に抑えておきながら、何が自由だ?!」雨間刻が怒鳴った。
ヘメルの表情が一瞬で険しくなり、衛兵に目配せする。
「待て、俺が――」火野良は慌てて一歩踏み出した。
ズブッ!
「!!!」
鋭い剣が雨間刻の腹を貫いた。雨間刻は血を吐き、その場に倒れ込む。
火野良の表情は驚愕から怒りへと変わった。だが、自分の無力さを思い知らされ、悔しげに俯いた。
「次は首を刎ねる。治療しろ」
ヘメルは雨間刻に警告すると、聖職者に治療させた。
「君のメンバーは規則に違反して武器を抜いた。ルス総統にも報告しなければならない以上、処罰は避けられない。だが、納品をきちんと守っていることに免じて……」
ヘメルが意味ありげに言葉を切ると、火野良の顔に希望が浮かんだ。
「罰するのは一人だけにしよう。さて、誰にする?」ヘメルは笑みを浮かべた。
火野良は苦痛と無念を滲ませた目で、雨間刻、ハク、そして三人のメンバーを順に見た。全員が火野良と目を合わせようとせず、そっと視線を逸らした。
「君に一つ、恩を売ってあげよう」
ヘメルは興味深そうに火野良のそばまで歩み寄り、声を潜めて続けた。
「私が直々に選べば、彼らも君を恨まずに済むだろう」
火野良は絶望した。今日、どうしても一人を犠牲にしなければならない……。
「護心石を持っているのは誰だ?」火野良は母国語で尋ねた。
全員が一斉に俯いた。護心石を持つ者が犠牲にされると分かっていたからだ。
「頼む……ここに残ってくれた者はもう多くない。一人ひとりが大切なんだ!」火野良はギルマスとしての立場を捨て、懇願した。
一人のメンバーが黙って手を挙げた。
「どうやら志願者がいたようだね……画面を開きたまえ」ヘメルはそのメンバーの前まで歩み寄った。
「どうしてですか?」メンバーは眉をひそめて尋ねた。
「君たちのギルマスに責任を負わせ、二度と違反者が出ないようにするためだ」ヘメルは真顔で答えた。
メンバーには意味が分からなかったが、権力者の命令に従って画面を開いた。その途端、衛兵に両腕を拘束される。
ヘメルは彼のリュックから小さな赤い石をつまみ出した。護心石だ!
「おい! どういうことだよ?!」大切な復活アイテムを奪われ、メンバーは恐怖の声を上げた。
「罰には、意味がなければね」
ヘメルはゆっくりと火野良の前まで歩み寄り、護心石を手渡した。
火野良は訳が分からないまま、手の中の護心石を見つめた。
「そいつを連れ出し、巨大なガラス槽に放り込んで死ぬまで待て」ヘメルは命じた。
「はあ?! 待ってくれ!!! 俺は……」
メンバーはすぐさま引きずられていき、広間に静けさが戻った。
「友人の護心石を受け取りたまえ。君たちの命は……彼に救われたのだと覚えておくんだね」ヘメルは火野良を睨みつけ、笑みを浮かべた。
火野良の両目が血走った。しかし、怒りを押し殺すしかなかった。
「よし! 一件目は片づいた。次だ……君はギルドの生存者は三十人ほどだと報告したが、食糧の減りが妙に早い。まさか私に嘘はついていないだろうね? 火野良ギルマス」
ヘメルがギルマスの座へ戻って尋ねると、火野良は死神の鎌を首に突きつけられたような恐怖を覚え、慌てて首を横に振った。
「なら……このイノシシは……少し大きすぎると思わないか? 私にも分けてもらって構わないかな? ハハハハ!」
ヘメルが高笑いすると、ハクが突然手を挙げた。ヘメルは発言を許可する。
「俺たちはずっと腹を空かせています……腹いっぱい食べさせてもらえれば、生産量も上がる。お互いに得をするんじゃないですか?」ハクは俯いたまま尋ねた。
「ほう? なかなか筋の通った意見じゃないか! ハハハハ!」ヘメルは満足げに笑った。
誰もがうまくいったと思った、その時――
「駄目だ」
ヘメルの一言が彼らの期待を打ち砕いた。彼は気だるそうに顎を撫でながら続ける。
「君たちの活力度を低い水準に保つのも、我々の安全装置の一つだ。君たちも理解しているだろう? だから、豚の脚を一本残してやるだけでも十分に寛大なのだよ。分かったかね?」
影の旅団の面々が立ち去ろうとすると、ヘメルが呼び止めた。
「待ちたまえ! 火野良ギルマス、これは鉱石を生産した報酬と、ドイツサーバーのオークション出品リストだ。買いたいものがあれば、いつでも私に連絡してくれ」
ヘメルは火野良に五万竜貨を渡した。あまりにも莫大な金額だった!
火野良は報酬を受け取ると、すぐにリストを確認した。ドイツサーバーのオークションには大量の神器が出品されており、軟鞭や両手盾といった珍しい武器種まで揃っている。
「安心したまえ。君たちのサーバーで最強のギルドと、上級プレイヤーの大半はすでに戦死した。人口を抑えるという目的は達成されたのだ。ルス総統は軍備の生産と資源の収集に専念し、次のサーバーへの侵攻に備えている。我々はビスマルクとは目的が違う。だから、大人しく協力したまえ」ヘメルは笑みを浮かべた。
一行は黙って広間を後にした。するとドイツ兵が、雨間刻たちが危険を冒して狩ってきたイノシシを突然門の外へ放り出し、ゴミ同然に削除した。イノシシはたちまち黒い粉の山となり、大地に溶け込むように消えていく。
「……」
自分たちの城を黙って出ると、先ほど連れ去られた仲間が城門脇の「巨大な水槽」に閉じ込められ、意識を失っていた。そこで初めて、街灯を照らしていた光が、餓死したプレイヤーたちの光の塵だったことに気づく……。
雨間刻が担ぐ豚の脚は、まるで岩のように重かった。
突然、火野良が拳を振るい、雨間刻の鼻骨をへし折った。たちまち血が噴き出す。
「この大馬鹿野郎――」
なおも殴りかかろうとする火野良を、ハクが慌てて羽交い締めにした。
「もうやめろ! これ以上やったら、また一人減るぞ!」
火野良は護心石を雨間刻に投げつけ、そのまま振り返ることなく立ち去った。
「その石、大事に持ってろ!」
「三十人、か……」
城壁の上から彼らを見下ろし、ヘメルは静かに笑った。
...
これほど過酷な状況に置かれたとき、人は抗うのか。それとも、耐えるのか?




