360 嬉しい嘘
和也の仕掛けた紙切れの罠によって、一樹が自分にとって大切な存在だと知られてしまった加奈。仲間を守るため、彼女は一人で竜尾湾へ向かった。
「罠かもしれない……」
初めはそう疑ったが、よく考えてみれば、罠である可能性は高い。それでも、ここまで来た以上、引き返すつもりはなかった。そう判断した加奈は、ゆっくりと彼のもとへ歩いていった。
「結局……仲間を見捨てることはできなかったんだな」
和也はため息をついた。
「怖いの?」加奈は嘲るように笑った。
「加奈……第四帝国に加わる気はないか?」
和也が突然、真剣な顔で尋ねた。
「はあ? 頭がおかしくなったの? 私たちは別のサーバーのプレイヤーでしょ」
和也からそんなことを聞かれるとは夢にも思わず、加奈は耳を疑った。
「俺たちは戦いに来ただけだ。だが、このあと入ってくる統治部門の連中は違う。あいつらは、お前たちを同じプレイヤーとして扱わない。お前が追われる側ではなく、協力者として扱われるように俺が口を利いて……」
和也の表情が険しくなる。
「ふん! あんたたちは全員、私の敵よ。私のためを思っているような口を利かないで」
加奈は吐き捨てた。
「分かっていないんだ、加奈。管理チームの連中は、俺たちとは比べものにならない……。断言する。あいつらが来たら、お前たちはあのとき降伏しておけばよかったと、必ず後悔する」
和也は心から忠告したが、加奈はまるで聞く耳を持たなかった。
「わざわざ私をここへ呼び出したのは、そんな話をするため? せっかく手間をかけたのに残念だったわね! まだ負けてもいないのに、戦いもしないうちから降伏するほど臆病じゃない」
加奈は冷笑した。
「まだ分からないのか……。どうやら……一度、痛い目を見てもらうしかない」
和也は冷たく笑うと、突然、手の中に激しく渦巻く火球を生み出し、加奈へ投げつけた。
しかし、火球は加奈のすぐ脇をかすめ、その背後の闇へ飛び込んだ。
「ふふん……どうやら、命中精度も大したことは――」
加奈が嘲笑いかけたそのとき、背後から悲鳴が聞こえた。
「うわああああああああっ!」
近くに隠れていた一樹が全身を炎に包まれ、地面を転げ回っていた。
「一樹、どうしてここに?!」
加奈はすぐさま水魔法で火を消し、彼を抱き起こした。
「あいつの話なんか……聞くな……。俺はずっと、お前のそばにいるから……」
一樹は火傷を負った腕を押さえ、苦しそうに言った。
「何言ってるのよ……。私だって離れるつもりなんかないってば」
加奈は思わず頬を緩めた。胸の奥に、甘い喜びが広がっていく。
「ふふん、原霊。見逃してやったというのに、自分からのこのこやって来るとはな」
一樹の姿を見た和也は、嬉しそうに顔をほころばせた。
「この思い上がったクソ野郎。もう加奈につきまとうな!」
一樹は痛みに耐えながら、加奈をかばうように前へ出た。
和也はその一部始終を眺めながら、心の中で笑った。
「俺が妹と話しているだけだ。お前に何の関係がある?」
「か……関係あるに決まってる! 加奈は俺の……彼女だ!」
「はあ?」
「えっ……?」
和也と加奈は同時に目を見開いた。
「そ……そういうことだから」
一樹は慌てた様子で、加奈へ必死に目配せした。
加奈は一瞬で顔を真っ赤にし、うつむいたまま何も答えなかった。
妹が恥ずかしがる姿を見た和也は、突然、大声で笑い出した。
「は……はははは! これはさすがに予想していなかった! どう見ても嘘だ!だが気に入った! はははは!」
「いったい何がしたいのよ?!」
加奈は恥ずかしさをごまかすように怒鳴った。
「ははは……ああ……分かった。分かったよ……」
和也は必死に笑いを収めようとしたが、それでも肩の震えを止められず、そのまま続けた。
「そこまで城を守り抜くつもりなら、加奈……次に会うとき、俺たちは敵同士だ」
和也は淡々と言い残すと、ゆっくりとその場を離れ、闇夜の中へ消えていった。
加奈は闇に消えていく兄の背中を見送った。やがてその姿が完全に見えなくなると、気まずい沈黙が二人の間に落ちた。
「ねえ……ザコ……誰があんたの彼女よ?」加奈が突然尋ねた。
「ごめん! あのときは焦ってただけなんだ」一樹はすぐに両手を合わせて謝った。
「ふん!」加奈は顔を上げると、こぼれる笑みを抑えきれないまま、得意げに立ち去った。
...
ハゲグ――
「絶対に城壁の上で迎え撃つな。敵が攻めてきたら、迷わず城壁を明け渡せ。城内へ誘い込み、市街戦に持ち込むんだ! 銀龍の刻印から返事は?!」
ニフェトが焦った様子で問いかけた。
広間では報告が矢継ぎ早に飛び交い、全軍が戦闘準備に追われていた。
「『ドイツ軍は城内の者を皆殺しにしたあと撤退する』という情報をアンドリアに伝えてから、返事が途絶えています!」松美が答えた。
「アンドリアが援軍を出さないなら……ブチャは?!」ニフェトが尋ねた。
「黒い森の決戦以来、行方不明です! それに、加奈と一樹からも応答がありません。桐司はすぐに竜尾湾へ捜索に向かいます! 二人の小隊も待っています!」
古志は答えながら、ハゲグの地図の上で指を走らせ、大通りの防衛配置を決めていった。
「俺たちは……もう背水の陣で戦うしかない!」
ニフェトはハゲグを死守する決意を固めた。
...
ドイツ軍の双頭の鷲を掲げた大旗が、ハゲグ西側の正門前に広がる砂漠に、すでに打ち立てられていた。
「和也……どこへ行っていた?」
慌ただしく戻ってきた和也を見て、ビスマルクは眉をひそめた。
「散歩していただけです」和也は苦笑した。
「余計なことはしていないだろうな?」ビスマルクは目を細めて尋ねた。
「していません、総統」和也はきっぱりと答えた。
「敵と内通していたら……クトゥルフの地下牢に放り込んで、たっぷり苦しんでもらうからな」
パーカーは不機嫌そうに言いながら、和也に治療を施した。
「勘弁してくださいよ」
クトゥルフの地下牢を想像しただけで、和也は身震いしながら苦笑した。
「最終準備に入れ。まもなく攻城戦を開始する」
ビスマルクは四人の将軍と攻撃時刻を確認し合い、攻撃態勢を整え始めた。
「このギルドさえ倒せば、このサーバーに残るのは取るに足らない残党だけだ」
ビスマルクはハゲグの塔に翻るKanatheonの大旗を見つめ、笑った。




