358 君のため
教皇都市とグズ城が陥落し、本サーバーに残る王都は、エルフのヴィネーヴ宮殿、獣人のハゲグ、人間のプラムス――わずか三つとなった……
「来たぞ!!!」
警報が瞬く間にハゲグ中に鳴り響いた。
「たった五人……?」
リオはすぐさま砲台へ駆け上がり、双眼鏡を覗いた。双頭の鷲が描かれた旗の下で、何者かが横断幕を掲げている。そこには、こう書かれていた……
「加奈、出てこい」和也たちは武器を収め、停戦を示す白旗を掲げていた。
「加奈、あのドイツ人と知り合いなのか!?」
Kanatheonの面々が一斉にどよめいた。加奈も、和也がここまで押しかけてくるとは思っていなかった。
「本当にしつこいやつ……」
加奈は眉をひそめ、城を出て会うことにした。
...
城門がゆっくりと開き、加奈は月明かりをまとってハゲグの外へ歩み出た。
「私がまだログアウトしていないって、どうして分かったの? そのまま無視してもよかったのよ」
加奈は不機嫌そうに言った。
「結局、こうして出てきたじゃないか……?」和也は笑いながら言った。
「ちっ……何が目的なの?」
加奈は怒りを押し殺し、苛立たしげに問い返した。
「君に会いたくなったから、会いに来た。それじゃ駄目か? へへっ」
「真面目に答えて! へらへらしないで!」
加奈は長身の和也を指さして怒鳴った。後ろにいたドイツ人プレイヤーたちは、こっそり笑いを漏らした。
彼らが和也とドイツ語で二言三言交わすと、和也は声を上げて笑った。
「何を話してるのよ!?」
加奈は馬鹿にされたと感じ、激怒した。
「知りたいか?」
和也は首を傾けて腰をかがめ、低く艶のある声で問いかけた。
「ふん……くだらない」
加奈は背を向け、歩き出した。
「分かった、分かった。怒るなって、怒るなって。ちゃんと話そう」
和也は慌てて笑顔を作り、加奈をなだめた。
「何よ!?」加奈は冷ややかに振り返った。
「まだギルドの仲間と距離を置いていないのか?」和也は尋ねた。
「あなたには関係ないでしょ……」
「朝奈比……小学校でたった一人、君の友達だった……。最後はあいつも他の連中と一緒になって、君を仲間外れにしたんだろ?」
和也はため息をついた。
「その名前を二度と口にしないで……」
加奈は魔杖を強く握りしめた。
「加奈。君の性格と才能なら、友達なんて必要ない。あいつらは最後には君の足を引っ張るだけだ。もう見限れ。あいつらに、君が付き合うだけの価値はない」
「私たちを仲違いさせようとしても無駄よ。そんな卑劣な手は私には通じない」
「来るぞ……」和也は眉をひそめて言った。
「何が来るの?」加奈は表情を引き締めて尋ねた。
「見えるか……俺たちの黒い軍服が……」
和也は背後にいた黒衣の魔導士たちを指さした。
彼らは百賢の旅と同じデザインの軍服を着ていたが、その色は黒だった。装備もさらに上質で、歴戦の兵らしい凄みを漂わせていた。
「百賢の旅の大賢たちが参戦する……。君たちでは、絶対にハゲグを守り切れない」
和也は真剣な表情で言った。
「大賢? 百賢の旅なら、もう黒い森の戦いに参戦してるじゃない」
加奈は眉をひそめ、和也の話を信じなかった。
「『百賢の旅』は軍団の呼び名にすぎない。所属しているのは全員、四次職の源魔師だ。そして大賢は、その中でも精鋭にあたる。俺たちはこれから始まる攻城戦に参戦する」
和也が脇へ退くと、その背後では黒衣のドイツ軍がハゲグの城壁の下に立ち、平然と談笑していた。どうやら和也の話は、まったくの作り話というわけでもなさそうだった。
「大賢……じゃあ、あなたも……」
加奈は和也も黒い軍服を着ていることに気づき、驚きの声を漏らした。
「俺の忠告を聞け……諦めろ……。君たちに技師がいても、守り切れるはずがない」
和也はため息交じりに言った。
「こっちにはこっちの策がある。余計なお世話よ!」
「もう食料が足りていないんだろ? 疲労ゲージの残量も半分しかないのに、どうやって戦う? 教皇の聖結界による加護があっても、何の役にも立たないぞ……」
和也は両手を広げて問いかけた。
「ふん、なるほどね。兵糧攻めでハゲグを戦わずして落とそうなんて、随分と甘く見られたものね。それに、こっちは教皇ソフィアに頼る必要だって――」
加奈は和也を嘲笑おうとしたが、ふと違和感を覚え、慌てて自分の口を押さえた。
和也は、ソフィアがハゲグにいることなど知らない!
「教皇ソフィアが……どうした?」和也は口元に陰険な笑みを浮かべた。
「卑怯よ! 私を引っかけて情報を聞き出したわね!?」加奈はすぐさま後ずさりし、魔杖の先を和也へ突きつけた。
「俺は質問しただけだよ、我が妹よ……」
和也は五輪の魔杖を取り出して地面へ突き立て、加奈と自分を小さな氷のドームに閉じ込めた。これでハゲグ側からは、二人のやり取りが見えなくなる。
城壁上のプレイヤーたちはたちまち混乱し、口々に何かを言い始めた。
「加奈……ここを離れろ……。君たちのサーバーの王都がすべて陥落すれば、別のプレイヤーたちが交代で引き継ぐ。彼らは管理部門の所属で、戦闘要員じゃない。そこまで生き延びれば、君は安全だ。俺たちは必ずほかの王都も落とす。友達と一緒に城を守り続ければ、君は間違いなく死ぬ。仲間を連れて逃げろ。王都を離れるんだ」
和也は加奈のもとまで歩み寄り、情のこもった声で耳元に囁いた。
「もうあなたなんか信じない! 口を開けば嘘ばかりの大嘘つき!」加奈は和也を指さして怒鳴った。
「忘れるな……朝奈比を」和也は加奈をじっと見つめた。
和也が魔杖で地面をひと突きすると、氷のドームはたちまち溶けて消えた。
「ありがとう……加奈! 助かったよ!」和也はわざと豪快に笑い、ほかのドイツ人プレイヤーたちとともに立ち去った。
「何を話してたんだ?」
「加奈、ちゃんと説明してくれ!」
城壁上のプレイヤーたちは、加奈に疑いの目を向け始めた。
「ああもう……ちっ!」
加奈は和也に利用されたのだと悟り、激しく後悔した。
...
すでに陥落したグズ城――
「それで、情報は?」ビスマルクが尋ねた。
「教皇がハゲグにいるのは間違いない。加奈の反応を見る限り、食料にもまだ余裕がある。」和也は報告した。
「教皇と食料……長期戦に必要な条件が二つとも揃っているな」ビスマルクは考え込んだ。
「プラムスを攻めたらどうだ?」キャロルが提案した。
「プラムスは守備兵が多い。こちらは兵力が少なく、短期決戦を狙っている。ハゲグには実力者が集中しているが、人数が少ないぶん、攻撃先としては理想的だ。」
普段は無口なヴェッカーが意見を述べた。
「どこでもいい……俺が城門を叩き壊す」
オットーは攻撃先に異論はなく、ただ好戦的な態度を露わにした。
「まさか……現地人の四次職プレイヤーが、あれほど強いとはな……」
パーカーは顔を青ざめさせ、右腕を失ったままゆっくりと壇上へ上がってきた。
「パーカー……なぜ自分で治療しない?」ビスマルクは眉をひそめて尋ねた。
「教皇都市を攻める部隊を率いていたとき、狂信者に遭遇した……。そいつは最後に『殉教』で自爆してきた。直撃だけは防いだが、右腕を吹き飛ばされた、そのうえ神威の呪いまで受けた。一定時間が経たなければ、傷は完全には治らない……」
パーカーは傷口を押さえ、痛みに顔を歪めた。
「呪いまで付与されるのか? その狂信者はどうなった?」ヴェッカーは興味をそそられ、尋ねた。
「ふん……『殉教』に失敗したあと、俺たちが生きたまま焼き殺した。愚か者め」パーカーは冷笑した。
彼らは再び攻城戦の話に戻った。ビスマルクはパーカーの状態を見て、本サーバーの中核戦力を潰すには、こちらも兵力を集中させる必要があると判断した。
「よし……次に狙うのは、ハゲグだ」
「はっ、総統」
諸将と和也は敬礼して応じた。
...
ハゲグの宿屋、その最上階にあるスイートルーム――
雨間刻は食卓を前にしても食事が喉を通らず、ただ座り込んでいた。柑々がバスルームに閉じこもってから、すでに随分と時間が経っていた。
「柑々……大丈夫か?」雨間刻が尋ねた。
「……………………」
中から返事はなかった。
「柑々?」
雨間刻は強くドアを叩いた。
「何よ……」
柑々の冷たい声が返ってきた。
雨間刻はほっと息をついた。
「急にログアウトして、そのまま二度と戻ってこないんじゃないかと思っただけだ」
柑々はもう答えず、荒道一狼が残した紙片を見つめた。
【柑々。すべて君のためだったと分かってほしい。これからしばらく休んで、このゲームから離れるつもりだ。デートする気になったら電話してくれ。俺の電話番号は――】
荒道一狼にからかわれていた日々は、まるで煙のように消え去った。
彼女はフレンドリストを開いた。ほかの者は全員が死亡状態となり、残っているのは雨間刻ただ一人だった。
荒道一狼の名前まで灰色に変わり、もうログインしてこなかった。
「私のため……?」
柑々はもう一度、荒道一狼の紙片を見つめた。ようやく作り直したフレンドリストと紙片を見比べながら考え込んでいると、何人もの声が頭の中に響いた。
『すべて柑々様のためです……』ディベルは言った。
『君のためだ。降伏しろ……』ニフェトは言った。
『君のためだ。俺と来い……』荒道一狼は言った。
「刻……どうして……荒道一狼は私を気絶させたの……?」
「あのときは状況が切迫していて、話し合う時間がなかったんだ……」雨間刻は後ろめたそうに答えた。
「話し合う時間がなかったから……?」
「君のためを思ったんだ。だから――」
「私のためなら、私の意志なんて無視していいの!?」
柑々の怒鳴り声がバスルームの中から響いた。
雨間刻は答えられず、黙ってドアの前に立ち尽くした。
しばらく静寂が続いたあと、バスルームから突然、焦げ臭い匂いが漂ってきた。
「柑々!!!」
雨間刻がドアを叩こうとした瞬間、ドアが開き、柑々が目の前に姿を現した。
深紫色のリップ、雪のように白い肌、薄紅色のチーク、深海を思わせる神秘的な眼差し――柑々は、かつての妖艶な化粧を施していた。
バスルームの中では、衣服と紙片が燃えていた。荒道一狼の手紙と、柑々の料理人の服だった。
「柑々……これは――」雨間刻は目を見開いた。
「私には必要ない」
柑々は雨間刻に背を向けて言うと、黒真珠にいた頃に着ていた、胸元が大きく開き、深いスリットの入った黒いチャイナドレスとハイヒールに装備を変え、幻音の魔杖を取り出した。最後に、長い間使っていなかった媚薬の香水を吹きかけた。夜の闇に輝く蝶のように、神秘的で人を惑わせる姿へと変わった。彼女が空中に残す光の粉に惑わされた者は、その幻影を追い、最後には自ら柑々の腕の中へ飛び込んでしまう。
「私には……誰も……必要ない……」
柑々はそう言い残し、一人で部屋を出ていった。
「俺はお前を守ると誓ったんだ」
雨間刻は、その拒絶を聞いてなお、彼女の後を追った。
「私はためらわずにあなたを見捨てる。あなたなんて必要ないから」
柑々はそう警告した。
雨間刻は、彼女がめったに見せない自信と魅力に目を奪われた。
まさか――これが、黒真珠の魔女・柑々なのか!?
だが、その胸の奥には、すぐに迷いが生じた。
柑々はこの姿に戻って……本当に幸せなのだろうか……?
雨間刻はその疑問を抱えたまま、黙って柑々の後を追った。
押しつけられた善意は……悪意と何が違うのだろう?




