288 「何が性欲だ!?」
薄暗い坑道の奥では、数人のNPC鉱夫が働いていた。
ランプの灯りが、彼らの疲れ切った影を岩壁へ映している。
カン! カン! カン!
「くそっ……なんで俺たちが、こんな遠いグズまで来て採掘しなきゃならねぇんだ……」
鉱夫は指に豆を作りながら、不満そうに呟いた。
「文句言うな……黙って働け……」
別の鉱夫は掘り出した鉱石を木箱へ入れ、そのまま外へ運び出す。
戻ってきた時、坑道は完全な静寂に包まれていた。
ランプの火も消えている。
「おい! 大丈夫か!? なんで灯り消してんだよ!」
鉱夫は慌てて松明を点け、ゆっくり坑道へ入っていく。
すると、さっきまで文句を言っていた仲間が、岩壁にもたれたまま俯いて座っていた。
「おい、ふざけんなよ……ちょっと離れた隙にサボりやがって。起きろって……おい……って、え!? どうしたんだ!?」
彼は苛立ちながら肩を強く押した。
すると男の身体は、そのまま崩れるように倒れ込む。
松明を掲げて顔を見る――
目と鼻と口から血を流し、目を見開いたまま死んでいた。
「うわぁぁぁ!!! たす――――」
ザシュッ!
可愛らしいピンク色の瞳が、彼の背後に現れる。
そのまま倒れる身体を優しく受け止め、ポケットから鉱石を取り出して確認した。
「黄魔鉱? また間違えたのかなぁ……グズって鉱山多すぎ……どこに兎牙蝙蝠がいるの……」
キティは泥の上へしゃがみ込み、蝋燭の灯りで毒物ノートをめくる。
だが記録に間違いはない。
この坑道こそ、兎牙蝙蝠の出現地だった。
坑道の奥から足音が響く。
キティは即座に壁へ張り付き、自身を隠す。
そして静かに眩暈毒の瓶を抜き、侵入者へ投げつけようと構えた。
「出てこい……」
低い男の声が響く。
キティが飛び出そうとした瞬間――
鋭い黒槍がすでに喉元へ突きつけられていることに気づいた。
反撃動作は完全に封じられていた。
キティは仕方なく喉を反らし、両手を上げながら、慎重に影から姿を現す。
「なぜ俺の鉱夫を殺した……」
黒鎧のプレイヤーは冷たく言った。
「鉱夫があなたの所有物だなんて知るわけないでしょ? 鉱山にNPCがいるなんて普通でしょ?」
「代わりにお前が掘れ。じゃないと納品に間に合わない」
「あなたと遊んでる暇はないの。さっさとその忌々しい槍をどけなさい。じゃないと解体するわよ」
キティは不機嫌そうに言った。
黒鎧のプレイヤーは鉄シャベルを差し出す。
キティは無意識にそれを受け取ってしまった。
「掘れ」
黒鎧のプレイヤーは冷淡に命じる。
キティは怒りのあまり笑い出す。
その右手は、いつの間にか背後へ伸びていた。
「アハハハハ! いいよぉ……その代わり、あんたの眼球を掘ってあげる!」
彼女は突然笑いながら、麻酔毒ガス瓶を握り潰した。
坑道は瞬く間に甘ったるい紫煙で満たされる。
周囲のNPC鉱夫たちは一瞬で昏倒した。
黒鎧のプレイヤーは即座に槍を突き出す。
だが手足が痺れ、力が入らない。
槍はキティに軽く掴まれ、そのまま脇へ投げ捨てられた。
「まずい、油断した……なぜ……奴に毒が効かない……」雨間刻が苦痛に顔を上げると、キティも同じように息苦しそうにしていた。
「ふふっ。だから言ったでしょ、私に逆らうなって。今からたっぷり遊んであげる」
キティは黒マントを羽織り、墨汁のような毒液を黒鎧プレイヤーの胸当てへ垂らした。
黒い毒液は強酸のように装甲を侵食していく。
だが皮膚へ触れると、ミント薬のような妙な冷感が走った。
男は突然目を見開き、白目を剥く。
舌をだらりと垂らしながら地面へ倒れ込み、痙攣し始めた。 鼻水まで噴水のように吹き出した。
「うふっ、うふふふっ。さっきまで威張ってたのにねぇ? 今じゃ解剖台の上で暴れる魚みたい」
キティはクスクス笑いながら、鎖鎌で相手の胸に、次々と穴を開けていく。
黒鎧の男は最後まで一言も叫ばない。
助けも求めなかった。
キティは内心で不思議に思う。
黒毒は拷問専用毒。
本来なら意識を保ったまま苦しみ続けるはずだった。
彼女は興味を持ち、相手の兜を外す。
そこには意外なほど整った美男子の顔があった。
「死んだ?」
キティは短剣を止め、男の頬を掴んで左右へ揺らす。
さらに手足を軽く叩いて確認した。
「筋力450前後、体質200。職業は暴君系……理論上まだ死なないはずだけど?」
キティは尋問経験が豊富だった。
だが、ここまで静かに死を受け入れる相手は初めてだった。
いや――むしろ彼は、キティに解放されることを望んでいるように見える。
「ふーん……つまんない」
キティは鎖鎌を戻し、立ち上がった。
「……殺さないのか」岩壁に頭をもたげたまま、雨間刻が掠れた声でぽつりと呟いた。
「死んでるようなものに興味はないわ。あなた……本当に退屈な男ね」
キティはつまらなそうに眉をひそめ、そう言い残すと、彼を置いたまま坑道の外へと歩き去っていった。
暴君はその言葉を聞き、静かに顔を逸らして岩壁を見つめた。
「兎牙蝙蝠の巣、どこなのよ……」
キティは再び毒物ノートを開いて調べ始める。
「ここだ! 黄魔鉱の含有量が一番高い坑道!」
突然、入口側から大声が響いた。
キティは舌打ちする。
暴君相手に高級毒を大量消費しすぎた。
ここで守魂衛みたいな盾役まで来たら逃げ切れない。
彼女はそっと顔を覗かせる。
すると複数の狂信者たちが松明を持ち、坑道へ入ってくるのが見えた。
その腕には赤い布――羅刹教の印。
「遊びすぎちゃったぁ~」
キティは後悔しながら、じわじわ袋小路へ追い込まれていく。
狂信者たちはさらに奥へ進み、彼女の動ける範囲はどんどん狭くなる。
「ははっ! 黄魔鉱の鉱山まで羅刹教の縄張りとはな! 今回は大儲け確定だぜ!」
「こっそり掘って正解だったな。レナに中抜きがバレたら終わりだ」
羅刹教徒たちは雑談しながら採掘を始めた。
カンカンカンカン――ザシュッ!
「うぎゃぁっ!」
先頭の教徒が突然胸を刺され、鉄鎖で天井へ吊り上げられる。
「待ち伏せだ!!」
後方の狂信者たちは即座に過負荷を発動し、迎撃態勢へ入った。
ボフッ――
紫煙が教徒たちの中央で炸裂する。
彼らは慌てて後退した。
坑道の奥から、耳障りな切断音が響く。
次の瞬間、先ほどの仲間の首が転がってきた。
「逃げろ! 逃げろぉ!!」
入口に近い者たちは真っ先に逃走する。
「おい! ビビるな!」
最後に残ったのは二人だけだった。
二人は背中合わせになり、坑道の気配へ神経を研ぎ澄ませる。
その時――
ひんやりした柔らかな風が、すぐ横を通り抜けた。
「その手には乗るか!」
一人が突然腕を伸ばし、透明化していたキティを正確に掴み取る。
キティは羅刹教の教徒が戦い慣れているとは知っていた。だが、透明化した自分に気づくほど細かいとは思ってもいなかった。
「くそっ! 離しなさいよ!」
彼女は狂信者へ何度も拳を叩きつける。だが力のない拳では、教徒に傷一つ付けられなかった。
「今……己の暴力を懺悔しろ!」
教徒はキティの肩へ拳を叩き込んだ。
「うああっ!」
「見ろ! こいつ、影の旅団の奴だ!」
もう一人の教徒がキティのベストに付いたギルド紋章を指差して叫んだ。
「やはりお前たちか……」
男はすぐに手首を締め上げ、キティは一瞬で息が詰まった。
「ちが……私は……屍毒を……調べに……来ただけ……」
彼女は目を真っ赤にし、口を大きく開けながら、必死に単語を絞り出した。
二人はその言葉を聞いて顔を見合わせ、すぐに手を離す。
「げほっ、げほっ……げほっ!」
キティは地面に倒れ込み、息を荒げたまま動けなくなった。
「なるほど、お前が屍毒を仕掛けた奴か……レナは影の旅団の毒剤師を見つけたら生け捕りにしろと言っていた。薄汚い格好しやがって、運が悪かったな」
教徒は嘲るように笑った。
「レナに渡す前に……少し苦しんでもらおうか……」
もう一人の教徒はキティの短いスカートを見て、下卑た笑みを浮かべた。
ドンッ!
男はキティを泥壁へ蹴り飛ばし、彼女の四肢は壁にめり込んで動けなくなる。
「顔には傷、声は汚い。けど体はなかなかだなぁ」
「ふん、壊すなよ。レナは生け捕りにしろと言ってるんだからな」
もう一人の教徒は冷笑し、横で見物していた。
「待って、毒を置いたのはあんたたちでしょ?! やめ……やめなさいよ! このクズ!」
キティの悲痛な叫びが坑道に響き渡った。
チリン、チリン……
「何の音だ?」
二人は手を止めた。坑道にはキティの荒い息だけが残る。
チリンチリンチリンチリンチリンチリンチリンチリンチリンチリンチリンチリン……
「まだ奥に何かいる……誰だ! 出てこい!」
二人はゆっくりと坑道の奥へ進んでいく。
チリン……チリン……チリン……チリンチリンチリンチリンチリンチリンチリンチリン……カン。
ふっ、と涼しい風がキティの顔をかすめた。
二人は声も上げず、同時に地面へ倒れた。
ドンッ!!
遠く入口のほうから激しい爆発音が響く。
キティは呆然と入口を見つめ、それから倒れた二人を確認した。
二人の体には大穴が空き、その場で惨死していた。
黒鎧のプレイヤーが影の中から歩み出し、手鈴をしまう。
一歩踏み出すたび、地面には血が滴った。胸の切り傷は浅くないらしい。
キティは驚愕する。
自分の秘毒を受けたはずなのに、なぜ動けるのか。
黒鎧の男はキティの前で立ち止まり、二人は無言で見つめ合った。
彼はキティの無惨な姿を見ると、首を振ってため息をつく。
「女の子に付け込むクズばかりだな」
彼は硬い泥壁へ手を突き込み、キティを救い出してから、そっと地面に下ろした。
「うあっ!」
キティは少し動くだけでも胸の奥まで痛みが走った。
黒鎧のプレイヤーは気にする様子もなく、黄魔鉱を拾ってゆっくり坑道を出ていく。
キティはもう彼に手を出す気になれず、すぐに鎮痛薬とスタミナポーションを飲み、少し休んでから足早に鉱洞を離れた。
坑道を飛び出すと、月が高く昇っていた。
彼女はほっと息をつき、兎牙蝙蝠の行方を追おうとしたところで、前方に黒鎧のプレイヤーが倒れているのを見つける。出血しすぎて気を失ったらしい。
「ぺっ!」
キティは彼の後頭部に唾を吐きかけ、そのまま砂埃を巻き上げるように去っていった。
だが心の中では、だんだん気分が悪くなっていく。
どうにも、彼を殺しておかなければ後始末が済まない気がしてならなかった。
「気を付けろ! この近くにいる! さっき俺たちは奇襲されたんだ!」
大量の羅刹教徒が松明を持って戻ってきた。先頭にいるのは、さっき逃げ出した男だった。
キティは眉をひそめ、気絶したままの黒鎧の男を振り返ってため息をつく。
…
「雨間君~味見してくれる? ありがとう、雨間君……」
柑々の夢みたいに甘い声が、雨間刻の頭の中で響いていた。
バシッ!
突然、強烈な平手打ちを食らい、雨間刻は顔の半分が熱くなるのを感じて目を覚ました。
「ゲームの中でまで性欲強すぎじゃない?」
キティは彼の横にしゃがみ込み、下劣な虫でも見るような目で睨んだ。
「何が性欲だ!?」
雨間刻は怒鳴り、起き上がろうとして全身を木に縛り付けられていることに気づく。
慌てて下を見ると、自分たちは数十メートルはある巨木の上にいた。
突然、下腹部が痛む。
「ふーん、寝ている間に、ここがずいぶんと元気になってたよ?」
キティは平然とした顔で、彼の股間を指で弾いた。
「何する気だ!?」
「静かにして。せっかく助け出したのに、自殺したいの?」
キティが適当に指を差すと、地上では何人もの羅刹教徒が松明を持って巡回していた。雨間刻は慌てて口を閉じる。
「どうやって俺の秘毒を解除した?」
「暴君の戦闘耐性を舐めるな……毒のデバフくらい、勝手に解除される……」
キティはそこでようやく納得した。
これまで彼女は相手を瞬殺してきたため、そんな特性を知らなかったのだ。
「どうして俺を助けた?」
雨間刻が問い返す。
「じゃあ、どうしてあなたは私を助けたの?」
キティは逆に聞き返した。
「もう……目の前で女の子が酷い目に遭うのを見たくなかっただけだ……」
キティは眉をわずかに寄せ、それ以上は何も言わなかった。
「お前は?」
雨間刻が聞く。
「私は人に恩を作るのが嫌いなだけ。私はアンドリアだけのものだから」
キティはアンドリアの名前を口にした瞬間、少女みたいな笑みを浮かべた。
雨間刻は見慣れた反応だと思った。
このゲームには変態プレイヤーが多すぎる。
「さっきのあんた、死人みたいな目してたのに、夢の中では『君は綺麗だ』とか寝言ばっか言ってたから、叩き起こすしかなかったの。何かあった?」
キティは雨間刻のそばにしゃがみ込み、自分のパンチラにも気づかない無防備な様子で、鎖鎌の刃で後頭部をかきながら豪快に聞いた。
雨間刻は気まずさのあまり、どこを見ればいいのか分からなくなる。
「余計なお世話だ! それと……少しは動きに気を付けろ……見えてる……」
「また硬くなってる。まさか私に興味あるの?」
キティは彼の体を軽く突いた。
「おい! 遊ぶな! 早く解――」
雨間刻が怒鳴った瞬間、
バシッ!
キティはまた平手打ちを食らわせた。
「うるさい。死にたいなら今すぐ殺してあげる」
雨間刻は、自分の人間としての尊厳まで失った気分になり、さらに沈んだ表情になる。
「女でしょ? あんたの装備とレベルなら金に困るわけないし。絶対に女」
「男は金か女でしか悩めないのかよ!?」
「男なんて、その程度の生き物だしね」
雨間刻は言い返そうとしたが言葉が出ず、結局ため息をついた。
「好きな女を取られた?」
彼は黙って俯き、答えない。
「その反応、図星ね。相手はそんなに強いの?」
「戦ったことはない。……でも、彼女のためなら……アイツに、絶対に勝つ!」
雨間刻の目に、突然、奪われた者としての激しい怒りと不退転の炎が燃え上がった。
数え切れない人間を見てきたキティは、その表情を見て嬉しそうに微笑む。
「どうして殺しに行かないの?」
「あの子は花みたいに脆いんだ。もしあいつに何かあれば、あの子は一生、俺を許してくれない……」
雨間刻は、ずっと手を出せなかった理由を口にした。
「チッ~じゃあ、あんた第三者ってことね? 名前教えて。私が殺してあげる。友達価格で二割引きにしとく。どう?」
キティは雨間刻の肩を軽く叩きながら笑った。
「やめとけ……余計なことするな。あいつは弱くない」
雨間刻は眉をひそめる。
「ははっ、私の心配? 安心して。転職してからの暗殺任務、全部成功してる。不成功なら料金なしよ」
キティは楽しそうに笑った。
「俺は……そんなやり方で勝ちたくない……。俺があいつより上だって証明したいんだ!」
キティは目を細め、怒りを燃やす雨間刻の表情を楽しそうに眺める。
強いくせに、どこか馬鹿みたいで可愛い男だと思った。
「あなた、ちょっと面白くなってきたわね……。大きなことをやる気はない? うちのギルドに入りなさいよ」
「銀龍の刻印? いや、ああいう大組織は俺には向いてない」
「フン~影の旅団よ」
キティはベストの襟をめくり、徽章を指差した。
「えっ? 火野良?」
雨間刻が驚く。
「そう。あの人、なかなか面白い男なの」
「いや……やっぱり俺は中立でいたい」
雨間刻は色々考えた末、再び断った。
「チッ、うじうじした男。そんなだから一生誰かに踏みつけられて、好きな女にも振り向いてもらえないのよ」
「影の旅団に入ったら何が変わる?」
「もうすぐ……名を上げる時代が来る……。一戦で有名になれるわ!」
キティは凶悪な笑みを浮かべた。
月光に照らされたその顔は、まるで亡霊みたいに不気味だった。
「お、俺は……少し考える……」
雨間刻はどもりながら答える。
「フン~それでこそ男よ」
キティは大笑いし、彼の肩を強く叩いた。
「そろそろ解いてくれないか?」
「ははっ、新しい毒の調合を試したいの。もうちょっと我慢して」
キティはリュックから十数種類もの原料を取り出す。
雨間刻の顔色が一気に青ざめた。
「やめろ……頼むからやめてくれぇぇぇ!」
バシッ!
雨間君……大丈夫かな……?
次章、ハゲグ城攻略のその後の旅路をお楽しみに!




