282 静寂の終わり
ロシアサーバー、プラムス――
「奴ら、もう広場に集結しています。ほぼ総出です」
幹部の一人がヴァシリに耳打ちすると、彼は何度も頷いた。
「待て、お前は――」
突然、扉の外から言い争う声が響いた。
ドンッ!
大扉が無理やり蹴破られ、完全武装の男たちが十数人、反乱軍のギルドホールへ雪崩れ込んできた。
「おお~ロコフ、我が友よ! 心配していたんだぞ――」
ヴァシリは大げさに両腕を広げ、乱入者たちを歓迎した。
ロコフは地面を見下ろしたまま、荒く息を吐き続ける。
「お前の部隊は……」
「まあまあ、友よ。酒でも飲みながら話そうじゃないか」
ヴァシリは愛想笑いを浮かべ、無理やり酒杯をロコフの手に押し込んだ。
ロコフは酒杯をヴァシリの顔の前まで持ち上げ、そのまま手を離した。
酒杯は床に落ち、粉々に砕け散る。
「お前の兵が約束の時間に来ていれば……俺たちは虫族の巣穴を殲滅できていた……」
ヴァシリは軽くため息をつき、机へ戻って自分の酒を注ぐ。
一口含むと、苦笑した。
「ロコフ、俺は“出兵を検討する”とは言った。だが、承諾した覚えはないぞ」
「俺は幽語の森の端で何人もの仲間を失った。結果はゼロだ。黒獅子軍は敗北した……それがお前の望みだったんだろう……」
ロコフは一歩前へ出る。鼻先が触れそうな距離だった。
「落ち着けよ、ブラザー。俺は三つの王都を支配してるんだ。お前より考えることが多いんだよ」
ヴァシリは困ったように肩をすくめ、薄笑いを浮かべた。
「お前は後悔するぞ……」
ロコフは袖を翻し、そのまま去っていく。
「お前もな……」
ヴァシリはロコフの背中を見送りながら、邪悪な笑みを浮かべた。
「ヴァシリ様。先ほど哨戒兵から報告がありました。爆破された大聖堂の地下室から発掘された文献ですが、翻訳が完了したそうです」
一人の枢機卿が小声で耳打ちした。
「例のNPCに翻訳させたのか? 信用できるんだろうな?」
ヴァシリは急に身を乗り出し、盟友の警告など完全に忘れ去っていた。
「は、はい。ローレンベルトという名のNPCです。現在はプラムスの娼館で休ませています」
「文献には何と書かれていた?」
「当時、魔女と交渉した人類というのは――――」
枢機卿は眉をひそめながら答えた。
バシィッ!!
ヴァシリは彼を平手打ちで壁まで吹き飛ばした。
「フレーバーテキストなんぞ誰が気にする?! 馬鹿かお前は?! 俺が知りたいのは『異端巫王』を召喚する方法だけだ!!」
「も、もう少し時間が必要だと……」
枢機卿は慌てて回復術で自分を治療し、驚いた顔で立ち上がる。
「失せろ! さっさと翻訳を終わらせろ!」
「ヴァシリ様、攻城戦が近づいています……そろそろ防衛配置を――」
別の幹部が怯えながら進言した。
「巫王さえ支配できれば、こんな細かいことに悩む必要もなくなる……」
ヴァシリは独り言を漏らしながら、机の戦略図へ歩いていった。
…
「砲弾の半分は海に捨てろ。上陸後は火砲を使う暇なんてない」
ナスティアは鍛冶師たちに命じ、海賊船を衝角戦向けに改造させていた。
「まさか……虫族が海戦でここまで便利とはな」
カルロフは砲弾箱を丸ごと海へ放り投げる。
ドボンドボンと水柱が何本も上がった。
「もっと早くあいつらと出会えていればね……」
ナスティアはバッグを開き、ほんのり熱を持つ竜玉を片手で持ちながら考え込む。
カルロフはため息をつき、振り返って再び弾薬運びへ戻った。
「こんなの食えもしないし、武器にもならん……はぁ、時間の無駄だったな」
「まさか、それをプレゼントにするつもりじゃないだろうな?」
カスターは戸惑った顔でナスティアを見た。
「ありえないでしょ?! 私はそんな馬鹿じゃない!」
「そうか~? でも一昨日の夜、かなり楽しそうだったぞ?」
カスターはナスティアの耳元へ顔を寄せ、からかうように囁いた。
「み、見られてたの?」
「真っ暗な中で七色に光る玉なんて、誰でも見るだろ? はははは!」
カスターは腹を抱えて笑った。
「光る玉がどうしたって?」
ちょうどカルロフが砲弾箱を抱えて戻ってきた。
「魔法の話だよ。お前の頭じゃ分からんから、そのまま運んでろ」
カスターはカルロフを茶化し、足元の缶詰を蹴って渡した。
カルロフはつまらなそうに去っていく。
「で~どうだった?」
カスターはニヤニヤ笑いながら、さらに話を掘り下げてナスティアを逃がさない。
「まあ……悪くなかったかな~」
ナスティアは間抜けな笑みを浮かべ、甲板の手すりに寄りかかって水平線を眺めた。
「修正されたのか? 何もできなかった感じ?」
「関係ないでしょ? 他にやることないの?」
「あるさ……でも、お前のほうが気になるんだよ……」
カスターがナスティアの肩へ手を伸ばした瞬間、彼女が放った二本の氷柱がその動きを止めた。
「寝言は寝て言え!」
ナスティアは鋭い視線でカスターを睨み、中指を立てる。
「はぁ~お前がダメなら……ニーナと少し話してくるか~」
カスターは笑いながら言った。
「おい……死にたいの……?」
ナスティアは瞬時に魔法杖を握り、冷たい声で返した。
「冗談だって~冗談~。下の牢で女海賊と遊んでくるだけだ」
カスターは意地悪く笑い、そのままゆっくり船内へ降りていった。
ちょうどその時、ニーナが船内から上がってくる。
「ナスティア様。一樹さんが、船尾上部の操舵席へ来てほしいと言っていました」
…
ナスティアは船尾へ向かい、一樹の姿を見るなり表情をぱっと明るくした。
「どうしたの、一樹君?」
「海蛇族と戦った経験って多い? この海賊船で航行してたら、絶対に海蛇族の注意を引くと思うんだ」
一樹は指で輪を作り、望遠鏡代わりにしながら言った。
「海蛇は見えた?」
ナスティアは一樹が作った指の輪に顔を寄せ、遠くを覗き込んだ。
彼女は少し身を屈めて手すりへ寄りかかり、その身体はぴったり一樹に触れていた。
二人は船尾の隅で親密な姿勢のまま、白い砂浜と緑の海を眺める。涼しい風が頬を撫で、一樹は人生でこれほど幸せを感じたことがなかった。
「あらあら~海蛇は見えないけど、小蛇なら一匹捕まえたわね」
ナスティアは顔を横に向け、悪戯っぽい笑みで一樹を見上げた。
「や、やめてよナスティア……」
一樹は恥ずかしそうに目を逸らし、手すりへ伏せて海を眺めた。
「悩み事?」
ナスティアは隣に立ち、そっと彼の身体へ寄り添いながら尋ねる。
「僕たち……恋人なの?」
「誰が君と恋人だって? あはは」
「で、でも……僕たちもう……」
一樹は慌てて言った。
「それだけで決まるもの?」
ナスティアは面白そうに問い返す。
「やっぱり……僕じゃダメなのか……」
一樹は暗い顔で俯き、身体を覆う虹色の輝きまで、気分に合わせて弱くなった。
「君はリストに入ってるよ、一樹君」
「何のリスト?!」
「デートリスト。しかも一番上」
ナスティアは愛しそうに一樹を見つめた。
「じゃあ……システム翻訳に頼ってばかりじゃダメだな。自分で少しロシア語を勉強しないと」
「ふふっ、じゃあ簡単なのから始めようか」
ナスティアは嬉しそうに笑った。
「例えば?」
「поцелуй меня」
ナスティアは笑いながら言う。
「どういう意味?」
ナスティアはそっと一樹の頬へ手を伸ばし、熱っぽい目で見つめた。
「キスして」
二人は抱き合い、互いの体温を確かめ合うように、熱いキスを交わした。
その時、カルロフが砲弾箱を抱えて船内から上がってきた。
「カルロフさん、船首の大砲を取り外したいんです。手伝ってもらえますか?」
ニーナはカルロフのもとへ駆け寄り、慌てて尋ねた。
「いいぞ。船尾へ砲弾を運び終えたら――」
カルロフは額いっぱいに汗を浮かべながら、優しく答える。
だがニーナは、彼の荒れた大きな手をぎゅっと掴んだ。
頬を赤く染めた姿は、とても愛らしい。
「ダメです! 今は上へ行っちゃダメです! 船首のほうで、カルロフさんの力が必要なんです!」
「わ、分かったよ、ニーナ」
カルロフは締まりのない笑顔を浮かべ、砲弾箱を下ろしてニーナについて行った。
...
魔都制御室――
「本サーバーの防衛準備はできた?」
六口が真剣な顔で尋ねる。
「ムー大陸の各地に強力なNPC部隊を巡回配置しました。どの王都が攻撃されても、最低一部隊は三十分以内に到着できます。問題ありません」
ニフェトは答えた。
「アンドリア、競技会を欠席して本当に大丈夫なの?」
六口はまだ不安そうに問いかける。
「問題ないわ。ノクスが処理してくれる。それに荒道一狼が人類自衛連盟の本部も突き止めた。場所はプラムスの娼館の一室。普段からNPCの出入りが多いらしく、夢葬者を店員に偽装して潜入させたけど、連中は他のNPCと何も変わらなかった。だから今は様子見よ」
アンドリアは淡々と答えた。
「よし! 短期決戦だ。ロシアのハゲグにある黒獅子ギルドの礎石を一気に破壊するぞ」
六口はようやく安心し、目の前の戦いへ意識を集中させた。
…
ロシア・ハゲグ城。
二人の狙撃手が城壁の上で雑談していた。
「今回、虫族が攻めてくるって話だろ? 弾薬も全部火属性仕様に変えられたわ」
「三つも王都があるんだ。まさかハゲグが狙われるなんて、そんな不運あるか? それに火砲も五門あるし、大丈夫だろ」
「ははっ、仮に虫族が来ても、俺たちの遠距離火力なら一キロ外から殲滅できるさ!」
「はは~まあ見てろよ。そろそろカウントだ」
【5、4、3、2、1。
第5回攻城戦開始――――――】
突然、ハゲグ全体を激震が襲った。
前方の農地一帯が同時に崩れ裂け、城壁の守備兵たちは危うく壁から振り落とされかける。
ブブブブブブブブブブブブブブ――――
守備兵たちは余震の中で立ち上がる。
やがて土煙がゆっくり晴れ始め、その奥で揺れる黒い影が見えてきた。
「俺たち……終わった……」
城壁前方には、膨大な虫族の軍勢が現れていた。
まるで山脈のように果てが見えず、半分の幽語の森そのものが這い寄ってきたかのようだった。
無数の虫族戦士が牙を剥き、爪を振り上げている。
その中には数メートル級の槌頭巨蟲も混ざっていた。さらに後方には超巨大な糞転がし虫が一匹。十メートル近い巨大泥丘へ張り付き、ハゲグの城門へ身体を向けている。
狙撃手たちは一気に混乱した。
一人が慌てて測距器を覗く。
「三キロ……虫族の隊列が三キロ続いてる……」
「三キロ……虫族一体のサイズから計算すると……」
隊長は小さな手帳で急いで計算し、そのまま呆然と仲間を見た。
「およそ……数千匹……」
他の狙撃手たちも狙撃銃を下ろし、あの虫脚の森を見つめる――
ハゲグは終わりだ……
…
始まる……




