275 戦争を仕掛ける
獣人たちは焚き火を囲み、小声で楽しそうに話していた。
パキッ――岩陰から枝の折れる音が響く。
白い獣人たちは即座に立ち上がった。猫のように敏感な大耳が、別々の音の方向を追って動く。
彼らは白い魔法陣を描いて前方へ押し出し、その場から跡形もなく消えた。
「くそっ!」カスターは飛び出したものの空振りし、獣人を捕まえ損ねた。
「悪い、油断した」カルロフは気まずそうに言う。
他の面々も岩陰から出てきて、焚き火の跡を調べ始めた。
ナスティアは空中を軽く払うように手を動かし、大気から青い光粒をいくつも浮かび上がらせる。
「やっぱり……魔法で姿を隠したのね」ナスティアは光粒を指先で摘み、考え込んだ。
一匹の原基虫が子犬みたいにナスティアの足元をうろつき、彼女の動きを食い入るように見つめている。
「獣人が透明化魔法なんて使えるのか?」一樹は驚いて言った。
「分からない。私はあなたのサーバーでしか獣人騎兵を見たことないもの………あなたたちの獣人騎兵をね」ナスティアは冗談っぽく笑った。
「俺たちの騎兵か、ははっ!」一樹も少し察し、笑って合わせる。互いの戦争の歴史を、冗談として流した。
ナスティアの翡翠のような瞳が横目で一樹を見つめる。だが、淡い金髪がその視線を半分隠し、優しげな眼差しに薄い氷の膜をかけていた。それが逆に、西洋人らしい神秘的な魅力を際立たせている。
一樹が軽口を叩こうとした瞬間、カルロフの鉄壁のような身体が前へ割り込んできた。凶暴な視線だけで、一樹を黙らせる。
「想像してた獣人と、かなり違うな」その場で真面目に焚き火跡を調べていたカスターだけが呟いた。
「何か見つけた?」ナスティアは一瞬で表情を切り替え、真剣な声で尋ねる。
カスターは木製のカップを拾い上げる。その中にはスプーンと木のフォークが入っていた。
「原始人がカップやフォークを使うと思うか?」
「……あっ、なるほど!」ナスティアはハッとし、木のカップを受け取って細かく調べ始めた。表面は丁寧に磨かれ、木の香りがする白檀まで使われている。かなり趣味がいい。
「フォーク使ってるのって、そんなに変なのか?」一樹はさっぱり分からず聞き返した。
「獣人は本来、生肉を喰らう野蛮な種族のはずだ。なのに魔法を使い、食器まで使って食事している。つまり文明レベルが低くないってことだ。」
カスターは食器を置き、焚き火の周囲を回りながらさらに痕跡を探った。
しばらくは何も見つからなかったが、突然、血痕に目を留める。
血の跡を辿って十メートルほど進むと、泥の窪みの前で血痕が途切れていた。カスターは腕で大まかな大きさを測る。穴は人ひとり分ほどの高さがあり、幅は半人分ほどだった。
「白い獣人の数、かなりのものだぞ……」
「なんで分かるんだ?」一樹が不思議そうに聞く。
「串焼きはあったのに獲物の死骸がない。焚き火のそばの血の付いた泥穴は、おそらく獲物を置いていた場所だ。獲物の体格も大きい。相当な人数を養える。それに奴ら、逃げる時に獲物を抱えていなかった。仲間が先に運び去って、あいつらは少しだけ肉を切り分けて自分たちへの褒美にしたんだろう。」
カスターは鋭すぎる感覚で地面の乾いた血を撫でながら説明した。
魔都の制御室にいる者たちは、ロシアサーバーのプレイヤーたちの鋭いサバイバル能力に衝撃を受けていた。
それに比べ、自分たちは地図を見るだけでも苦労している。
「私だって分かってたし………」
加奈は不満げに眉をひそめた。だが虫族には喋る口がないため、彼女の声は制御室から一樹の耳にだけ届く。
「強がるなよ!」一樹は加奈をからかった。
「見つけたぁ……………」
加奈は虫脚で前方を指した。
二十数体の白い獣人が、すでに静かに小隊を包囲していた。
ナスティアは即座に二発の光線を放つ。だが白い獣人たちは空中に魔法陣を展開し、それを防いだ。
「エルフ魔法防御?!」
加奈とナスティアが同時に叫ぶ。
二人はエルフ魔法を知り尽くしていた。
だからこそ、獣人たちが展開した魔法陣の紋様がエルフ文字だと一目で理解した。
「大地の牢。」
十体の白い獣人が同時にしゃがみ込み、片手を地面へ押し当てる。
小隊はたちまち灰色の光球に包まれ、魔法を使えなくなった。
さらに魔力まで少しずつ吸い取られていく。
「結界?!」
ナスティアは愕然とした。
結界魔法は最上級の魔法の一つであり、今のところ四次職の枢機卿しか扱えないはずだった。
「そんなのやらせるか!」
加奈は即座に全ての原基虫へ突撃命令を出し、白い獣人の木甲兵たちと激突させる。だが双方とも決定打を欠き、互角の戦いとなった。
「真空渦。」
空中に黒球が現れ、数十匹の原基虫を一気に吸い上げる。
虫たちは巨大な昆虫肉団子へと圧縮された。
原基虫の援護を失った小隊は、一気に不利へ追い込まれる。
どうやら白獣人は力押しでは攻略できず、ギミックを解かなければならないようだ
「急いで!! 銀羽蜻蛉を全部あっちへ向かわせて!!」
制御室で一部始終を見ていたニフェトは、すぐさま予備部隊を派遣した。
「魔力が吸われ切る!」
ナスティアは焦りを滲ませ、肌から青い光が次々と漏れ出す。
カルロフとカスターも結界の外へ出られない。
つまり近距離も遠距離も完全に封じられていた。
「人間に虫族か……久しい顔ぶれだ。」
しゃがれた声とともに、後方から何者かが歩み出る。白い獣人たちは道を開いた。
現れたのは、年老いた緑肌の獣人だった。
粗末な樹皮の衣をまとい、全身には赤と青の塗料。
頭には巨大な裂顎虎の頭骨を被り、そこへ何十本もの色鮮やかな羽根が刺さっている。
その獣人は小隊を見つめ、万感の思いを滲ませる。
「はぁ~……」
一同は顔を見合わせ、誰一人として警戒を解かなかった。
「屠場へ連れて行け。」
老獣人はそれだけ言い残し、背を向けて歩き出した。
「3、2、1……止まる。」
かみこがカウントダウンする。すると案の定、老獣人は小隊に背を向けたまま足を止めた。
「こいつらの強さはギミックじゃなくてシナリオ側。勝てる相手じゃないよ。」
かみこは微笑む。
「ハロー……白い獣人さん」
一樹は真子のNPC攻略を真似し、わざと愛嬌たっぷりの英語口調で話しかけた。
だが老獣人は振り返りもせず、反応もない。
「Здравствуйте…」
ナスティアもロシア語で挨拶を試みる。
「お前たちは、この森へ入るべきではなかった。」
老獣人は即座に返答し、軽く手を上げた。
その瞬間、全員の身体が動かなくなり、白い獣人たちに両手を縛られたまま連行されていく。
【システムメッセージ: 説得カウントダウン 09:59】
小隊は一気に焦り始めた。
「見逃してくれませんか?」
ナスティアは単刀直入に尋ねる。
「我ら最後の住処を外へ漏らすわけにはいかぬ。すまんな。」
老獣人は鉄杖を支えに、足を引きずるように歩き続けた。
「あなたが大酋長か?」
カスターは別角度から情報を探ろうとする。
「大酋長か……その呼び名も忘れかけていた。」
「我は獣人大酋長――鉄骨。かつてハゲグを治めていた者だ。」
大酋長は感慨深げに答えた。
「何百年も姿を消してたのに、ずっとこの森に隠れていたのか?!」
ナスティアは驚いて問い返す。
「何百年……そうか。」
「烈火の翼がハゲグの城上へ降り立った光景は、昨日のことのように覚えている。」
「我らは竜族に追われ、エルフへ助けを求めた。だが蕾に拒まれ、森へ放り出されたのだ。」
「森は亡霊のように我らを苦しめた。食料もない。綺麗な水も飲めぬ。疫病、凶暴な生物……。」
「だが最後に、偶然“宝庫”を見つけた。森と語る知識を学び、生き延びることができたのだ。」
「獣人の血を、惨めに繋ぎながらな……。」
大酋長が語るたび、首元の弛んだ筋肉が震えた。
【システムメッセージ: 屠場に到達】
一樹は前方を見て息を呑む。
そこには白骨の山が築かれ、その中には大量のエルフの鎧や盾、血に染まった布切れが混ざっていた。
「待ってくれ! 俺たちは迷い込んだだけだ、見逃してくれ!」
カルロフは必死に叫ぶ。
抵抗しようとするが力が入らない。システムによって強制的に虚弱状態へ設定されていた。
「本来なら、この森へ迷い込んだ人間や虫族は見逃していた。」
「だが奴らは我らの宝庫を狙い、軍まで組織して奪いに来た。」
「獣人に天下を争う意志はもうない。ただ生き延びたいだけだ。」
「だから、お前たちを逃がすわけにはいかぬ。」
大酋長はそう言い、小隊を幾つもの骨山の中央にある魔法陣へ連れて行った。
【警告: 処刑カウントダウン 00:47】
「待て! 金も物資も渡す! 豊かになれるぞ!」
カスターは必死に叫ぶ。
「我らは、この森の恵みだけで十分満たされている。」
大酋長は首を横に振った。
【警告: 処刑 00:25】
「女エルフを大量に送って繁殖させればいいだろ!」
一樹は閃いたように叫び、獣人の人口を増やす方法を口走る。
カルロフも賛成し、即座に翻訳した。
「我を愚弄しているのか?」
「この森へ侵入したエルフは、すでに隣の白骨になっている。」
「勇者殿は実に勇ましいな。」
大酋長は笑った。
【警告: 大酋長の忍耐が限界に近づいています。カウントダウン-5秒】
【警告: カウントダウン 00:13】
「ハゲグを取り戻してやれ!!」
加奈が叫ぶ。
「本気なの?!」
ナスティアは驚愕した。
「もうどうでもいい! 一樹は五次職なんだよ?! 死なせるわけにいかないでしょ!!」
加奈は半狂乱になって怒鳴る。
「私たちがハゲグを奪還する。」
ナスティアは覚悟を決めて言い切った。
その瞬間、カウントダウンが止まった。
大酋長は動きを止め、灰白色へ変色した瞳で小隊を見つめる。
「はぁ……勇者殿。」
「何を根拠にハゲグを取り戻せると言う? 我の弱みを利用して騙そうとしているのではあるまいな。」
「か、彼が魔王。」
ナスティアは一樹を指差した。
周囲の獣人たちは“魔王”という言葉を聞いた瞬間、一斉に騒ぎ始める。
鈍器で地面を叩きつけ、激しい怒りを露わにした。
だが大酋長が片手を振ると、白い獣人たちは静まり返る。
「魔王だろうと関係ない。」
「我らはすでにムー大陸の戦争から退いた。」
「終末が来るなら来ればよい。他種族の運命など、獣人には関係ない。」
「違う! 彼には虫族の軍勢がいる! それに数百人の精鋭戦士も!」
「あなたが対価を出せば、ハゲグを返してもらえる!」
ナスティアは慌てて補足した。
「おい、勝手なことを―――」
六口は怒鳴りかける。
「後で奪い返せばいい。」
ナスティアは即座にNPCに分からない英語へ切り替え、小声で付け加えた。
「たとえお前たちがハゲグを落とせたとして、どうやって我がお前たちを信用する?」
「本当にハゲグを返す保証がどこにある。」
「誰が無条件で返すって言ったの?」
「そっちも同等の条件を出すのよ!」
ナスティアは不安を誤魔化すように大声で返した。
大酋長は迷い始める。
虫族が実際に彼らと共闘しているのを見て、心が揺らいでいた。
「今の獣人にとって、最も価値ある資源は宝庫だ。」
「いいだろう……お前たちがハゲグの鍵を差し出すなら、我は宝庫の鍵を渡す。」
大酋長は条件を提示した。
「宝庫……まさか?!」
「早く承諾して!!」
その二文字は爆薬のように加奈の脳を刺激した。
一樹はナスティアへ頷く。
ナスティアもすぐロシア語で了承した。
「いいわ、取引成立よ!」
大酋長が鉄杖を掲げる。
すると全員の手の甲へ、黒い小さな手形が浮かび上がった。
「期限は三か月。その間にハゲグの鍵を差し出せなければ、呪いによって死ぬ。 さらに三か月以内に再びこの森へ踏み入れば、それだけでも呪いは発動する。
忘れるな……。」
大酋長は厳かに告げた。
「分かった、約束する!」
ナスティアは迷わず答えた。
「よろしい、勇者殿。良い報せを待っている。」
大酋長は微笑み、鉄杖を掲げる。
次の瞬間、一同は七色の光柱へ引き込まれた。
気づけば、すでに幽語の森の外縁へ転移していた。
「よっしゃあ!! 次の攻城戦の目標、ハゲグに決定ーっ!!」
加奈は興奮して飛び跳ね、無数の原基虫も一緒に空へ舞い上がる。
ナスティアは逆に緊張し、魔杖を握ったまま震えていた。
自分たち数人と……魔王の虫族軍だけで……本当にできるのか……
魔王が、ついに戦争を仕掛ける……




