03_獄門は開かれる
儀式術の完成まであとひとつ。
というところで、ソレがマリアマリアに接敵し襲い掛かった。
マリアマリアが独鈷所を振る。祭器として使っているとはいえ、元は武器のひとつだ。その砥がれた刃の切れ味は十分なものだ。
だが暗殺者としての技量を得たソレには、その動きは正に児戯そのものだった。
銀のナイフで独鈷所を逸らし、そのまま独鈷所を持つ右手首を切り裂いた。
マリアマリが痛みに怯み顔を歪める。致命的な隙。そしてソレはその隙を逃しはしない。
ソレの持つ銀のナイフは、マリアマリアの首、左側面を切り裂いた。
斬られた。
血が噴き出る感触が伝わる。
マリアマリアは恐怖した。だがその恐怖は死に対するものではない。血が足りなくなることで儀式術が失敗することだ。
自分はしくじった。だが致命的な失敗ではない。まだ儀式は生きている。ソレが止めを刺すべくナイフを振るう。
ソレに対して、マリアマリアは血の流れ出たままの左手を向けた。
ソレが止めを刺すよりマリアマリアの方が速い。
「【烈破】!」
純然たる魔力の塊が物理的衝撃としてソレに叩きつけられた。それは施錠された頑丈な扉をも木端微塵に吹き飛ばす威力を持つものだ。
さして重くもないノエリアの体は容易く吹き飛ばされた。地面に叩きつけられ、ゴロゴロと転がる。
骨折はしていないものの、さすがにこのダメージは大きい。
体がうまく動かない。この状況はマズすぎる。
ソレは慌てて自身に治癒術を掛けた。顎の骨折を治すには時間が掛かりすぎるが、全身の打撲を打ち身程度にまで回復するにはさして時間は掛からないだろう。
とはいえ、バルトロメが走って来る足音が聞こえる。向こうでは、マリアマリアが跪き、半ば前のめりに倒れていた。
術の妨害は成功した。首を切り裂いたのだ、確実に致命傷を与えたはずだ。それにバルトロメのいる方向とは別方向に吹き飛ばされたのは僥倖ともいえる。かなりのダメージを負うことにはなったが。
あとは、この術が消滅するまで生き延び、逃げだせばいい。
バルトロメが到達する。その直前にソレはなんとか身を起こし立ち上がった。治癒術はこのあとも僅かではあるが効果が続く。
なんとか今少しの間、凌がなければ。
立っていられず、マリアマリアは膝をつき蹲った。左手を首に当てる。とにかく止血しなくては。
止血だけでいい。切断された血管さえ繋がれば、傷口は開いたままでも構わない。
すぐに止血は完了する。その余波で左手首も血が止まった。だが術式を継続するための血は、ソレに斬られた右手から流れ落ちているため術式は繋がっている。
とはいえ、さすがに血が流れ過ぎた。
寒さに体が震える。
後は、四つ目の錠前外すだけだ。それもほぼ完了している。
大丈夫。まだ声はでる。マリアマリアは無理矢理自身に云い聞かせる。
「咎あるモノを相応しき場へ送らんがため、門の解放を御願い奉る。
第四の錠、開錠……」
ゆっくりと、荒く、浅い呼吸ながらも、儀式を繋ぐ。
4つ目の錠前が落ち、すべての鎖が消え失せた。
ガンッ! と門を叩く音が響く。
あとは宣言するだけだ。
「【獄門開錠】。我、いまここに、獄門を一時解放する」
あと少し。あと少しだ。
マリアマリアはすっかり重くなった自身の体を、必至に支え続けた。
★ ☆ ★
ガンッ!
門が乱暴に叩かれ、そしてそれは川面を掻き分けるように開いていく。やがて開かれた左右の門扉は赤い川をすっかり堰き止めた。
これで、彼方と此方、地獄と現世が完全に繋がった。
門を開いたモノ。左右それぞれを、見上げるほどの体格を下ふたり巨人。その赤い肌の巨人が獄門を開き、支えていた。見たこともない意匠の衣を纏い、片手に巨大な金砕棒、そして空いたもう片方の手で門を開き支えている。
そしてそのふたりに挟まれるように、中央には同様に豪奢な衣装に身を包んだ巨人の女性。
その三人の足元を縫うように、白い靄が現世に這い出して来る。
それをソレとバルトロメは剣呑に対峙しながらも、視界の端で見ていた。
「あれは……ナニ?」
「扉の向こうは、いわゆるあの世ってヤツだよ。あの門が開いた以上、使徒様が封じたこの結界内の生けとし生けるモノは門の向こうに連れていかれる。
つまり、生きたまま死ぬってことだ。あの世に行くことを死ぬと定義するならな」
「死ぬ?」
「あぁ」
「私も?」
「あぁ」
「これまでどうやっても死ねなかったのに?」
「あぁ」
「そう。そうなの……」
「……」
「そうか、死ねるのかぁ」
ソレは嗤った。ノエリアとしてではなく、ソレとして。
そして恍惚とした顔で云うのだ。
「あぁ、楽しみだなぁ」
その言葉と表情に、さすがにバルトロメも恐怖を感じた。
この目の前にいる存在は、理解してはならないモノだ。
靄が足元に到達した。
「実は例外があってな」
「?」
靄が形を変え始める。
「俺と使徒様は向こうには行かない」
「……なぜ?」
「死ぬには早いからさ。使徒様が死なないのは分かるだろ。使徒様は神罰執行の代行者だ。神様はそう簡単に手元に引っ張ったりはしない。だから例外となる。で、俺は今回の件での協力者だ。使徒様の手によって、この儀式の例外とするために使徒様の血で印が付けられてる。だから行くのはお前だけだよ」
靄が手の形となってソレを掴んだ。幾つも。幾つも。幾つも。
それぞれが好き勝手にソレを引っ張り、引き摺り倒した。だが、バルトロメにまつわりつく靄の手は、その体を掴むことができずにすり抜けていくだけだ。
ノエリアの服を掴んでいたそれは、やがてそれを浸透し、体の中を掴み、門へと引き摺って行く。
バルトロメの姿が遠ざかっていく。
ここに来て、ソレはこれが“死”に繋がるモノではないと気がついた。
理由は分からない。だが、これは“死”ではない。“死”であるはずがない。
「待て! 嫌だ! これは違う! 違う! こんなこと望んじゃいない!」
ソレの叫びに、バルトロメは怪訝な表情を浮かべた。
「どうした? 死にたかったんだろ?」
「違う! これは死ぬんじゃない。もっと別の、別の何かだ! 知りたいのはこんなことじゃない! 知りたいのは――」
遂に門をくぐり、ソレは向こう側に消えた。
門の中央に立つ女性とバルトロメの目が合った。彼女は微かに微笑んだかのように見えた。そして彼女はある一点に視線を向けた。
バルトロメもそっちに視線を剥ける。だが今なおある靄が、そこにあるものを隠していた。確か、そこには――
マリアマリア様!?
バルトロメは慌てて走り出した。
女性が踵を返し、門の向こうへと消えていく。靄もまた、引き摺り吸い込まれるように消えていく。門を開いた状態に支えていた獄卒もまた、彼女を追って向こうに消えていく。
獄門はゆっくりと閉まり、そして再び鎖に縛られ消えた。
朱く染まっていた世界は、再びふたつの月が照らす夜へと戻る。
青々としていた辺り一面の草や低木はすべて彼果てていた。
そしてマリアマリアは、枯れた草の中で意識を失い、倒れていた。
こうして、一連の殺人事件は結末を迎えたのである。




