第3話「共感という名の兵器」
都内のスタジオ。
照明が落とされ、
中央の小さなデスクだけが
温かみのあるスポットライトに
照らされていた。
カメラの前に座る神田葵は、
黒のシンプルなニットを身にまとい、
メイクも極限まで薄くしていた。
「——みなさん、こんばんは。
神田葵です。」
配信開始の
カウントダウンがゼロになると同時に、
画面の向こうにいる
数十万人の視聴者に向かって、
葵は静かに頭を下げた。
同時間帯の同接(同時接続者数)は
一瞬で15万人を突破。
コメント欄は
「葵ちゃんこんばんは」
「今日も美しい」
「本買ったよ!」
という温かい言葉で埋め尽くされていく。
(ふふ……相変わらず扱いやすい豚ども。)
葵は心の中で嘲笑しながら、
儚げな表情のままマイクを引き寄せた。
「今日は……少し辛い
お話をしなければなりません。
実はここ数日、私の元に、
過去の私を知る方から
たくさんの厳しいメッセージや、
写真が届いています。」
一瞬で
コメント欄の流れる速度が加速した。
『え?』
『何があったの?』
『アンチ?』
「その方は……
私が中学時代、
どうしても救うことができなかった
お友達です。
彼女は今でも、
私のことを
深く憎んでいるのだと思います。
『なぜ
あなただけが光を浴びているのか』
『あのとき
私を救ってくれなかったのに』と……」
葵は声を詰まらせ、
ゆっくりと両手で顔を覆った。
完璧なタメ(間)。
スタジオのスタッフたちが
固唾をのんで葵を見つめている。
「私は……
当時の自分の無力さが、
今でも悔しくてたまりません。
彼女が傷ついているとき、
私もまたクラスの空気に怯え、
自分の身を守ることで精一杯でした。
結果として彼女を一人にしてしまい、
私は心を病んで不登校になりました……」
葵は顔を上げ、
カメラのレンズを真っ直ぐに見つめた。
瞳には、うっすらと涙が浮かんでいる。
「彼女が私を憎むのは当然です。
私の存在が彼女を傷つけるなら、
私はどんな批判も受け止めます。
でも……
どうかみなさん、
彼女を責めないであげてください。
彼女もまた、
深く傷ついた被害者なんです。」
——勝負あり。
葵の頭の中で、
完璧な計算の終了音が鳴り響いた。
この瞬間、
コメント欄は怒涛の「葵擁護」と
「見知らぬ告発者への敵意」で爆発した。
『葵ちゃんは悪くない!』
『自分だって子供だったのに、
そこまで背負わないで!』
『許せないのはその告発者だろ、
葵ちゃんに八つ当たりするな!』
『ただの逆恨みじゃん、最低』
世間は、「真実」など求めていない。
目の前で涙を流し、
「自分を攻撃する相手すら
庇おうとする聖女」の
美しいストーリーに酔いしれたいのだ。
葵が提示した
「私を
助けてくれなかった神田葵への逆恨み」
という物語を、
信者たちが盲目的に飲み込み、
勝手に拡散していく。
三浦由香がどんな
「真実の告発」を用意していようと、
それはすべて
「聖女・神田葵を叩く
悪質なアンチの八つ当たり」として
処理されるシステムが完成した。
配信が終わり、楽屋に戻った葵は、
ティッシュで目元の涙を雑に拭い去ると、
笑みを浮かべてスマホを手にした。
画面には、案の定、
三浦由香からの
新しいダイレクトメッセージが
届いていた。
『嘘つき。
全部嘘。
あなたが私をいじめたんじゃない。
あなたが私を
屋上に追い詰めたんじゃない。
絶対に許さない。全部バラしてやる。』
文章の乱れから、
由香が狂乱し、画面の向こうで
血涙を流している様が容易に想像できた。
葵は画面をタップする。
初めて、自分から由香へ返信を送った。
『可哀想な由香ちゃん。
あなたが何を言っても、
世間は私の言葉しか信じないよ。
だって、みんなが好きなのは
「可哀想な私」であって、
ドロドロした怨念を撒き散らす
「醜いあなた」じゃないもの。
15年前と同じね。
あなたはいつも、
声の上げ方すら下手くそ。』
送信ボタンを押す。
葵は背もたれに深く寄りかかり、
極上のワインを味わうように
吐息を漏らした。
「さあ……
次はどう出てくるのかしら、
本物の被害者さん?」
しかし、葵はまだ気づいていなかった。
長年、
地獄の底で憎しみを養分にして
生き延びてきた「本物の弱者」が、
どれほど狂気的な牙を
隠し持っているのかを。
この後、本日 16:10 に
第4話を投稿します。




