第2話「本物の弱者と、偽りの聖女」
「三浦由香……」
タワーマンションの自室に戻った
神田葵は、
ワイングラスを傾けながら、
大型モニターに映し出された
データベースの画面を凝視していた。
葵が率いる「シンパシー」は、
表面上はSNSマーケティング会社だが、
裏では
「ターゲットの
個人情報・心理状態・交友関係」を
徹底的に洗い出す調査チームを
抱えている。
画面に浮かび上がったのは、
15年後の三浦由香の現在だった。
「……地方の契約社員、一人暮らし、
通院歴あり、精神安定剤の服用。
SNSの裏アカウントで
『神田葵』への怨嗟を15年間、
毎日投稿……ね」
葵は思わず、くすりと笑みを漏らした。
「哀れね。
彼女の時間は、
あの屋上で止まったままなんだわ」
15年前、
由香は葵たちのいじめに耐えかね、
学校の屋上から飛び降りた。
奇跡的に一命を取り留めたものの、
重症を負い、
そのまま逃げるように転校していった。
一方の葵は、
事件の直後に
「私もクラスの雰囲気に耐えられず、
心を病んで不登校になった」
というシナリオをでっち上げ、
被害者のポジションを先取。
そのまま転校し、
数年後には
「壮絶ないじめと不登校を乗り越えた
悲劇のインフルエンサー」として
デビューした。
由香が
地獄の底で
トラウマと苦しんでいた15年間、
葵はその「由香の苦しみ」を
自分の体験として横取りし、
金と名声に変えていたのだ。
(由香ちゃんが持っている写真は、
確かに本物。でも——)
葵はワインをひと口含み、
思考を高速で回転させる。
(あんな古い写真を
ネットに撒いたところで、
私の信者たちが信じると思う?
『葵ちゃんを陥れようとする
悪質なコラ画像だ』
『アンチの卑劣なデマだ』って、
勝手に信者側が擁護して
相手を叩き潰してくれるわ)
現代のSNSにおいて、
ファナティックな信者を抱える
インフルエンサーは
「無敵の宗教」と同じだ。
客観的な事実よりも、
「自分が信じたい物語」が優先される。
「さて、どう料理してあげようかしら」
その時、葵の仕事用スマホが鳴った。
相手は、大手の出版社の担当編集者だ。
「葵さん! 大変です!
今夜の生配信の前に、
葵さんの個人事務所宛に
『告発文書』と『あの写真』が
印字された紙が
大量に送られてきました!」
編集者の声は悲鳴に近かった。
「そこには
『神田葵は元いじめっ子であり、
私は彼女に追い詰められて
屋上から飛び降りた』と
書かれていて……!
もしこれが週刊誌にリークされたら……!」
「落ち着いて、高橋さん」
葵の声は、驚くほど静かだった。
氷のように冷たく、
それでいて
包み込むような温かみを含んだ、
いつもの「聖女の声」だ。
「……その文書、
三浦由香さんからですよね?」
「えっ……!?
葵さん、知ってるんですか!?」
「はい。
実は……
ずっと黙っていたんですけれど、……」
葵は受話器の向こうで、深く、
悲痛なため息をついて見せた。
「彼女は、
私が中学時代に……
どうしても救えなかったお友達
なんです」
「え……? 救えなかった……?」
「当時、クラスで浮いていた彼女を、
私は必死でかばおうとしました。
でも、当時の私には力がなくて……
逆に私も一緒に
いじめの標的にされてしまって……。
彼女が屋上から飛び降りた時、
私は自分の無力さに絶望して、
心を病んで
学校に行けなくなったんです」
葵の瞳から、
ポロリと大粒の涙がこぼれ落ちた。
誰も見ていない自室で、完璧な演技。
「彼女は今でも、
私を恨んでいるのかもしれません。
『自分だけ助かって、
有名になってズルい』って……。
でも私、彼女の気持ちが
痛いほど分かるんです。
だから、
彼女が私を訴えたいなら、
私は全部受け止めます……!」
受話器の向こうで、
編集者が息をのむ音が聞こえた。
「あ……葵さん……!
あなたって人は、
どこまで深く、優しいんだ……!
自分の
過去のトラウマと向き合いながら、
自分を攻撃する相手の痛みまで
背負おうとするなんて……!」
「いいんです、高橋さん。
今夜の生配信で、私、
自分の口から全部話します。
彼女の名前は出さずに……
『私を許せないでいる誰か』に向けて、
メッセージを送ります」
「葵さん……! わかりました!
全面バックアップします!
最高の配信にしましょう!」
電話が切れると同時に、
葵は目元の涙を指先でぬぐい、
冷酷な表情に戻った。
(よし。
これで『脅迫者』の先手を打った)
相手が告発してきたら、
「自分を救ってくれなかった私への、
逆恨みによる攻撃」という
フレーム(文脈)を世間に提示する。
本物の被害者が
どれだけ「真実」を叫ぼうとも、
世間は
「傷つきながらも
健気に相手を許そうとする聖女(葵)」
のストーリーを選択する。
「三浦由香ちゃん。
あなたが投げつけてきたナイフ、
そのまま
あなたの胸に突き刺してあげるわ」
葵はニヤリと笑うと、
今夜の生配信に向け、
鏡の前で
「最も傷ついた表情」の練習を始めた。
この後、本日 15:10 に
第3話を投稿します。




