第1話「聖女の仮面とビジネス」
「葵さん、
本日12回目の投稿も
インプレッション1,000万超えです!
コメント欄の8割が
『涙が止まらない』
『葵ちゃんの言葉で生きようと思えた』
ですよ!」
青山の小洒落たカフェの奥、
個室のような半テラス席で、
若手社員の男が興奮気味に
タブレット端末を差し出してきた。
神田葵は、
ストローでアイスティーの氷を
カラリと鳴らし、
画面に目をやることもなく言った。
「当たり前でしょ。
投稿の文末、ちゃんと
『〜だけど、あなたは悪くないよ』
で締めた?」
「はい! 指示通り、
『私』語りを排除して、
読者を主語にする
ペルソナ構文を徹底しました」
「よし。
共感のアルゴリズムは単純なの。
自分の言葉じゃなく、
『読者が自分に言われたがっている言葉』
を、可哀想な私が
代わりに言ってあげるだけ。
これで読者は
『この人は私を分かってくれている』
と勘違いして、ファンクラブの
月額500円を安いと感じる」
葵は冷ややかな微笑を浮かべた。
彼女の肩書きは、
SNSマーケティング会社
「シンパシー」の代表取締役、
兼・インフルエンサー。
だが、その最大の武器は
彼女の「過去」だった。
中学時代、壮絶ないじめに遭い、
不登校になり、
部屋に引きこもって涙を流した日々——。
著書『地獄の底から咲いた花』は
ベストセラーとなり、
彼女は
「生きづらさを抱える若者の救世主」
として、
SNS時代の聖女に祀り上げられていた。
すべては、完璧に作り込まれた嘘だった。
——15年前。
私立女子中学校の薄暗い教室で、
ターゲットの靴を便器に叩き込み、
教科書をカッターで切り刻み、
集団でシカトを指示していた主犯。
それこそが、神田葵だった。
(どうすれば人間が一番傷つくか。
どう追い詰めれば心が折れるか)
加害者として
人間の陰湿な心理を
完璧に理解していたからこそ、
葵には手に取るように分かったのだ。
世間がどんな「悲劇」を好み、
どういうストーリーに
「罪悪感の免罪符」を
見出そうとしているのかが。
人間は、
安全な場所から
可哀想なストーリーを見て
涙を流すのが大好きだ。
自分も過去に
誰かを無視したことがあるかもしれない
という微かな罪悪感を、
「聖女」を応援することで
綺麗さっぱり洗い流そうとしている。
葵は、
世間のその無自覚な欲望に
「悲劇」という商品を提供し、
対価として莫大な金と影響力を
回収しているに過ぎなかった。
「……葵さん、
でも本当に凄いです。
自分も葵さんの本を読んで、
学生時代の嫌な記憶が救われた
一人なんで」
目の前で
感極まったような顔をする社員の男を、
葵は冷ややかな目で見つめた。
(バカね。
あなたみたいなカモが
一番扱いやすいのよ)
「ありがとう。
……私ね、
あの辛い過去があったからこそ、
今こうして
あなたやみんなに出会えたと
思ってるの」
儚げな笑みを浮かべ、
少し目を伏せる。
完璧な角度、完璧な演技。
男は
「なんて清らかな人なんだ」
と言わんばかりに目頭を押さえた。
その時、
テーブルの上に置いていた
葵の個人用スマホが、短く震えた。
画面に表示されたのは、
インスタグラムの
「鍵付き裏アカウント」への
ダイレクトメッセージ。
件名もない。
ただ、
短い文章と写真が1枚添付されていた。
『久しぶりだね、葵ちゃん。
今日の配信も素敵だったよ。
ところで……
私が屋上から飛び降りた日のこと、
そろそろ世間に話してもいい?』
添付された写真——
それは、15年前の中学校の屋上。
フェンスの向こう側に立ち、
泣きじゃくりながら下を見つめる
一人の少女の背中と、
それを遠巻きに
冷ややかにスマホで撮影している
女子生徒たちの姿だった。
そして、
撮影している生徒たちの中心で、
口元に嘲笑を浮かべて立っている
少女の顔が、鮮明に写っていた。
当時の神田葵の顔だった。
「……葵さん? どうかしましたか?」
男の声に、
葵はゆっくりとスマホを伏せた。
一瞬だけ背筋を冷たい汗が伝ったが、
心拍数が上がるのはわずか数秒だった。
(差出人は……
あの時の、三浦由香( ゆか))
15年前、
葵の手によって徹底的に追い詰められ、
学校の屋上から飛び降りて重傷を負い、
そのまま転校していった「本物の被害者」。
葵は、胸の中で計算を開始した。
(メッセージの送信元、IPの隠蔽……
なるほど、ただの脅迫じゃない。
本気で私を潰しに来てる)
世間にこの写真が出回れば、
「聖女」のブランドは一瞬で崩壊する。
炎上、契約解除、損害賠償。
莫大な資産と地位が吹き飛ぶ。
だが——葵の口元が、スッと歪んだ。
(面白くなってきたじゃない)
葵は
アイスティーを
最後の一滴まで飲み干すと、
静かに立ち上がった。
「ごめんなさい、
ちょっと急用が入ったわ。
今日の夜の生配信、予定通りやるから。
構成案を最終チェックしておいて」
「あ、はい! 了解です!」
カフェを出て、
都心の眩しい日差しの中に踏み出す。
葵はスマホを取り出し、
画面に写る15年前の自分と、
メッセージを見つめた。
「可哀想な三浦由香ちゃん。
あなた、
まだ15年前の地獄に
閉じ込められたままなのね」
葵はつぶやいた。
声には恐怖も焦りもなく、
ただ
圧倒的な捕食者の余裕だけがあった。
「教えてあげる。
世間が味方するのは
『正しい被害者』じゃないの。
『気持ちよく泣かせてくれる被害者』
なのよ。
本物の弱者が、
偽物の聖女に勝てると思うなよ」
悲劇の仮面を被ったモンスターと、
復讐の執念に燃える本物の被害者。
共感という名の兵器を巡る、
泥沼の戦争が始まった。
この後、本日 14:10 に
第2話を投稿します。




