第二章:実家が太い騎士の、容赦なき交渉術
大教会の上層部——『大祭祭』と呼ばれる老人たちは、エルトが戻ってきたという報せに歓喜した。しかし、やってきたのは聖女ではなく、膨大な量の『要求書』と『契約変更案』を持った、弁護士軍団を引き連れたエルト本人だった。
「どういうことだ、エルト! 聖女はどこへ行った! 結界の出力はついに五割を切ったのだぞ!」
白髭を蓄えた神官長が声を荒げる。
エルトは冷徹なまでの無表情で、持参した魔導プロジェクターを起動した。大聖堂の壁面に、複雑なグラフや数字が投影される。
「神官長。現在、聖女リリアーナ様は『極度の労働ストレスによる心身の不調』を理由に、労働協約に基づく『正当なサボタージュ』を行っています。彼女をただちに現線復帰させるための条件を提示します」
エルトはトントン、と資料を叩いた。
「第一に、聖女の月給を設定します。基本給として、大教会の魔導エネルギー純利益の2%。および、結界維持によるインセンティブ。試算したところ、月額およそ八千万マギカ(※現代日本円で約八千万円)となります」
「は、八千万!? 馬鹿な! 聖女は清貧であるべき——」
「清貧で結界が維持できるなら、今すぐあなたが祈って結界を張ってください。できないなら黙っていてほしい。プロとして仕事を依頼する以上、市場価値に見合った対価を支払うのは当然です」
凍りつく様な目をしたエルトの容赦のない正論に、神官長がウグッと詰まる。
「第二に、週休二日制の完全導入。および、有給休暇の付与。休日における祈祷業務の完全停止。これに伴い、結界の出力が一時的に低下する件については、国民に対して『定期メンテナンスによる計画休止』としてアナウンスを行います」
「国民が納得するわけがなかろう!」
「納得させます。幸い、私の実家であるヴァルハイト・コンツェルンは、国内の主要な魔導テレビ局・新聞社の筆頭株主です。すでに『聖女の過酷な労働実態と、それを放置した大教会の怠慢』という特番の構成案が完成しています。今すぐこれを放映すれば、大教会の支持率は地に落ち、来期の予算は凍結されるでしょう」
エルトは懐から、実家の企業のロゴが入った高級万年筆を取り出し、机に突き刺した。
「影響力がある権益が多い実家で、本当に良かったと心から思います」
「お、お前……神官長の身内でありながら、大教会を脅迫する気か!?」
反論する老害の一人に、エルトは冷え冷えとした目を向けた。
「脅迫ではありません。対等な労使交渉です。さらに言えば、聖女付きの侍女ゲルダ、および今後配属される従者の基本給を三倍に引き上げ、労働時間をシフト制に移行することを要求します。これを拒否する場合——」
エルトは、壁のスクリーンを切り替えた。
そこには、もし聖女が完全にストライキを決行し、結界が消滅した場合のシミュレーションが表示されていた。
「聖女の結界が完全に消滅した場合、我が国の魔導技術をフル活用すれば、人間の生存領域を維持することは一応可能です。……ただし」
エルトか指先を動かすと、スクリーンの映像が、不気味な黒と赤のグラフに変わる。
「魔物の討伐と防壁の維持に、国家予算の九割を計上する必要があります。全国民に強制兵役が課され、エンタメや娯楽はすべて禁止、全エネルギーが軍事に回される『ディストピア的管理社会』が誕生します。誰も幸せになりません。もちろん、大教会のあなた方の資産もすべて没収され、前線で魔物と戦う肉壁になってもらうことになるでしょう」
高慢な態度だった老人たちの顔が、みるみるうちに青ざめていく。
「さあ、選んでください。聖女に相応の給与と休みを与えてゲームをさせてあげるホワイトな世界か、人類の総力をあげて泥を啜りながら魔物と戦う暗黒の未来か」
生真面目な騎士の、一点の曇りもない正論と、実家の圧倒的な経済力。
大教会の上層部に、拒否権など最初から残されていなかった。




