第一章:生真面目な騎士と、ゲームの電子音
「——重ねて報告する。現在、結界の出力は平時の六割まで低下。これに伴い、辺境における魔物の出現率は推定二四〇パーセントに跳ね上がっている」
近代化の象徴である大教会の作戦会議室。ホログラム式の魔導スクリーンを前に、若き騎士エルトは至って真面目な顔で、しかしどこか虚無を宿した瞳でそう告げた。
スクリーンに映し出されているのは、結界の薄くなった国境付近で、普段は見かけない大型の魔物が我が物顔で闊歩している映像だ。
「なぁエルト。国が滅びかけているんだぞ。それなのに大祭祭のじじいたちは何と言っている?」
同僚の騎士が頭を抱えながら訊ねる。エルトは感情の起伏を感じさせない声で淡々と答えた。
「『先代聖女様はどのような苦境にあっても祈りを欠かさなかった。当代の祈りが足りないのは、ひとえに信仰心と人類への奉仕の精神が未熟だからである。よって、見つけ次第、大聖堂の最深部に監禁——もとい、保護して二十四時間体制で祈祷を捧げさせるべし』とのことだ」
「あいつら、脳みそにゴミでも詰まってんのか!?」
「私もそう思う。なので、じじいたちの脳の構造について専門の魔導医師に論文を依頼しようか検討中だ」
「頼むからお前は真顔でボケるな」
エルトは、大教会神官長の弟の孫、という極めて濃厚な血縁関係を持つエリート騎士である。だが、その地位に甘んじることなく、単独でAランクの魔物を屠るほどの魔剣の使い手でもあった。
そんな彼に下された特命が、一週間前に突如として大神殿から姿を消した当代聖女、リリアーナの捜索と連れ戻しである。
「……だが、手がかりはある」
エルトは懐から、手のひらサイズの奇妙な魔道具を取り出した。
それは、一部のマニアの間で流行している『携帯式魔導演算遊戯機』——通称、ゲーム機と呼ばれるものだ。
「聖女リリアーナの部屋に残されていた遺留品を分析した。彼女は失踪の直前まで、この機械で『人生ゲーム・オブ・マギカ』という、仮想の人生を擬似体験する遊戯に没頭していた形跡がある」
「ゲーム? 聖女様が?」
「そうだ。そして、彼女が最後に残したセーブデータのタイトルがこれだ」
エルトがゲーム機の画面を起動すると、そこには禍々しい赤文字でこう記録されていた。
【データ03:初期ステータス固定・最低賃金・休日なしの奴隷ルートはクソゲー、よってこれより前線を離脱する】
「……確信した。聖女リリアーナは、誘拐されたのではない。自らの意志で、この世界にストライキを起こしたのだ」
エルトは、腰に佩いた魔剣の柄を固く握りしめた。
生真面目すぎるが故に、彼は物事の本質を鋭く見抜く。聖女が逃げ出したのは、信仰心のせいではない。純粋に、労働環境の崩壊が原因であると。
「これより私は、聖女を『捕獲』ではなく、彼女の『労使交渉』のために連れ戻しに赴く」
そう言い残し、エルトは一人、大教会を後にした。
◆◆◆
国の最果て、結界の恩恵がギリギリ届くか届かないかの寂れた温泉街。その一角にある、魔導セキリュティで厳重に守られた一軒の貸別荘に、その少女はいた。
「あああああ! そこ! そこ右からワイバーンが湧くなっていってんでしょーが!! はいジャストガード! からの魔導カウンター! 死ねぇぇぇ!!」
豪奢な純白の聖衣はどこへやら、もこもこわんこなパジャマを着崩し、ソファーに寝転がってゲーム画面に絶叫しているのは、国中の人間が「清廉潔白の象徴」と信じて疑わない聖女リリアーナその人であった。
彼女の目はバキバキにキマっており、ジャンクフードの三角なコーンスナックを口に放り込みながら、驚異的な指捌きでコントローラーを叩いている。
「リリアーナ様、炭酸ジュースのおかわりをお持ちしました。あと、ポテトチップスのコンソメ味です」
真顔で部屋に入ってきたのは、聖女付きの侍女、ゲルダだ。
彼女は『できる侍女』を自称するだけあって、この異常な状況下でも完璧な所作でジャンクフードを給仕している。
「ありがとゲルダ! マジ感謝! あー、ゲーム最高! エアコンの効いた部屋で冷たいジュース飲みながら徹夜でアクションRPGやるの最高すぎる! 大聖堂の冷え切った石畳の上で、味のしない押し麦の粥だけ食わされて一日十六時間祈らされてた日々が嘘みたい!」
「お喜びいただけて何よりです。なお、結界の出力を四割下げた効果で、大教会の株価および魔導保険のレートは絶賛大暴落中。上層部は今頃、悲鳴を上げている頃合いかと」
「へっ、ざまあみやがれってんだ!『先代聖女様は冷水での水垢離を毎日欠かさなかった』?『先代聖女様は自身の予算をすべて孤児院に寄付された』? 知るかボケェ! あのばあさんは自己満足で勝手に聖女業の単価を暴落させた戦犯だろうが! 人生ゲームでも初期投資ケチったプレイヤーは中盤で破産するわ!」
リリアーナは孤児院育ちだった。
偶然、聖女の素質が見つかって大神殿に拉致(保護)されたが、そこで待っていたのは、先代聖女という『聖人君子のバグ』が残した、あまりにも劣悪な前例だった。
先代聖女は、自分の給料も、聖女付きの予算もすべて削って弱者救済に充てた。それは個人としては立派かもしれないが、組織のシステムとしては最悪の悪手である。
上層部は「先代ができたんだから、お前もできるよな?」と、リリアーナに同じ、あるいはそれ以上の無償労働を強いたのだ。
「私は聖女の力を引き継いだけど、聖人君子の精神までは引き継いでないっつの。こっちは孤児院の職員の親戚の遺品だったゲーム機で育った限界廃ゲーマーなんだよ。最低限の基本給と最低週二日の休日、あと新作ゲームの予算すら出ないなら、世界なんて勝手に滅びればいいんだわ」
聖女は、コントローラーを叩く手を止めず、炭酸ジュースをガブ飲みしながら管を巻く。
ゲルダもまた、真顔のまま小さく頷いた。
「同感です。先代のせいで、私たち侍女の給与も一般給仕以下の水準まで削られておりました。おかげで私の前任者は全員、一ヶ月で胃潰瘍やらうつ病やらになって辞めましたからね。私は前職の退職金の資産運用で食い繋げましたが、——ボランティアで世界が救えると思うなよクソじじいども、というのが本音です」
「そうよね! だからこの『戦略的撤退』は大正義なわけ——」
その時だった。
ガチャン、と静かに、しかし確実に、部屋の魔導防壁が物理的に「両断」される音が響いた。
「……光熱費の請求にしては、少々乱暴ですね」
ゲルダが懐から魔導銃を抜き出し、リリアーナがコントローラーを握ったまま硬直する。
壊れたドアから入ってきたのは、銀の甲冑を身に纏い、青白く輝く魔剣を手にした生真面目そうな顔つきの若者——エルトだった。
「聖女リリアーナ。および侍女ゲルダ。——発見した」
エルトは真顔で、ずいっと二人の前に歩みを進めた。
「ひぃっ!? 騎士!? 暗殺!? それとも強制連行!?」
リリアーナがソファーの影に隠れる。ゲルダがすかさず魔導銃の銃口をエルトに向けた。
「そこまでです、大教会の犬め。リリアーナ様をあのブラック大聖堂に戻すつもりなら、ここであなたをハチの巣にします。私は元・辺境防衛軍の特技兵です。近距離なら外しません」
緊迫する室内に、エルトの低い声が響く。
「誤解しないでいただきたい。私は彼女を無理矢理連れ戻しに来たわけではありません。……ただ、この書類について確認したいのです」
エルトはポケットから、一通の書類を取り出し、ちょうど彼らの間にあったテーブルに置いた。
それは、大教会における『聖女職の労働協約書(写し)』だった。
「『聖女の基本給:ゼロ(神の加護があるため、俗世の金銭は不要とする)。休日:なし(世界の危機に休みはない)。食事:聖水と、清貧を旨とする簡素な麦類。』
……これは、事実でしょうか?」
「マジだよ!! 超絶ブラックだよ!! 聖女業に労基があったら一発で営業停止処分だよ!!」
リリアーナがソファーの陰から叫んだ。
エルトは書類をじっと見つめ、それから魔剣を鞘に収めると、深くため息をついた。
「……我が実家は、国内有数の魔導インフラ企業『ヴァルハイト・コンツェルン』を経営しています。経営学を学んだ身として言わせていただきますが、この労働環境は『狂っている』。持続可能性が完全に死んでいます。先代聖女の自己犠牲精神にフリーライドした、上層部の極めて怠惰な組織運営のツケだ」
エルトの言葉に、リリアーナとゲルダが目を見開いた。
「えっ……怒らないの? 『聖女のくせに我が儘を言うな』とか言わないの?」
「言うわけがないでしょう。適切な報酬のない労働は、ただの搾取ですよ。聖女といえど人間であり、人間である以上、消費と娯楽の権利があります。リリアーナ様、あなたのストライキは市場原理において完全に正当な権利の行使です」
エルトは真顔のまま、真っ直ぐにリリアーナを見つめる。
「リリアーナ様。私に、あなたの『代理人』を任せていただきたい。大教会の上層部を、合法的に、かつ徹底的に叩きのめし、ホワイトな労働環境を勝ち取ってみせます」
「……は?」
リリアーナは、目の前の生真面目そうな騎士が、自分以上にぶっ飛んだ「狂人」かもしれないと思い始めていた。




