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天峰国物語〜混じりの仔と蔑まれた私が次期女王候補になるまで〜  作者: 音下 希乃


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9/10

一枝 一葉 九節 蝋梅の庵にて

「疲れました……」


 修練の時間が終わり、私は蝋梅の庵へと戻ってきた。庵の入り口を抜けた途端、背後から夕日がそっと私を優しく照らす。

 同時に、ひやりとした北風が私の背を押した。


 ――あぁ、終わりましたね。


 この寒さすら、なぜか今日は心地良い。

 こんなに充実した気持ちで修練を終えれたのは初めてだった。

 ただ、その満足感は長くは持たなかった。


「おかえり。待ってたよ」

「桜様……」


 かたりと庵の扉が開いて、扉の向こうからひょっこりと桜様の顔が覗いている。まさか桜様が庵で待っているとは思わなくて、緩みかけた背がしゃんと伸びた。


 ――私、袿をちゃんと片付けていたかしら……?!


 衣紋掛けにかけていたのは記憶がある。その後、母様の小物入れを見つけてリボンを取り出して、と自身の行動を振り返って、かぁっと顔に熱が集まるのを感じる。


 ――衣紋掛けにかけてそのまま……!


「さ、桜様、あの、中に入りました、よね?」

 脱いだままの袿を思い出して桜様の顔が見れない。


 ――入って待っていると分かっていたならちゃんと私室で着替えていったのに……!


 確かに、修練の後に癒やしの巫術をかけてくれる約束はしていたけれど、軒先に座ってかと思っていた。

 桜様の立ち位置を考えたらそんな事はあり得ないと分かっていたはずなのに。


 ――完全に私の落ち度です……。


 赤くなった顔を隠すように、私は道着の裾で顔を覆った。

 そのとき、私の耳にくすくすと笑う桜様の声が届いた。


「ふふっ!大丈夫。入ったけど、一番に、じゃないから」

「え?」

「まぁ、ひとまず中で話そう。立ち話もあれだし、詳しい話も聞きたいしね」


 おいで、と自ら扉を開けて中へと促す桜様。


 ――私の庵なのですが……。


 そんな私の内心なんてつゆ知らず。

 にこりと手招きしている桜様のほうへ私は歩き出した。


 ****


 もう見られてるだろうけど、せめて衣紋掛けは見えないところへと意気込んで室に入って見たら、なぜか衣紋掛けが見当たらない。

 そして、私は準備していないのに、何故かもうすでに森半の煎茶が入れられている。

 茶器からはゆるりと湯気が立っていて、入れられてすぐだと分かった。


 ――桜様の他に誰かいらしている……?


 やけに強調された一番に、の言葉を思い出して一人納得する。

 思えば、桜様ともあろう人が付き人も付けずに一人で動くことはできない。

 もしかしなくても、私が脱いだままの袿は桜様の付き人が片付けてくれたんだろう。


 ――後でお礼を言わなければいけませんね。


 袿を桜様に見られなくて良かったと、内心安堵の息を大きくつきながら、それを悟られないように下手の席にそっと座った。

 ……取り繕っている私を上手に座った桜様がにこにこと見守っていることには気づかないことにする。


「さて、さっそくだけど聞かせてもらってもいい?」

「はい」


 一口だけお茶に口を付けて、桜様から話を切り出される。よっぽど気にされていたのだろう、桜様の茶器も建前で口は付けられたが中身はほとんど減っていなかった。


「萩太郎との修練の時、巫術の発動とともに例の光を見ました。光の正体は巫術由来のものと考えて間違いないかと」

「そう……」

「ただ……」

「何か気になることでもあった?」


 修練を思い返していると思わず漏れた声に桜様がすかさず反応する。


 ――これは、あの光とは関係ないかもしれないけれど。


「……萩太郎が巫術を使って攻撃を仕掛けてくる瞬間、私には、その、萩太郎の行動がとてもゆっくりとした、遅い動きに見えました」

「それは……」

「昨日、桜様から巫術を見せていただいた時には、そんなことはなかったんです。これも、私の目の特性なのでしょうか……?」


 そう言いながらも、頭の片隅では違うと確信している。

 首筋に感じた熱と、微かな花の香り。

 時が遅く進む前、確かに感じたその二つの共通点。


 ――母様……?


 首筋に垂れたままのリボンにそっと手を当てる。

 確証はない。だけど、母様が助けてくれたのだと、直感がそう告げている。

 ただ、それを桜様に告げたところで信じていただけるかは分からなかった。


「……すみません。光とは関係のない事ですね。忘れてください」

「いや、教えてくれてありがとう。……なるほどね」

「桜、様?」


 腑に落ちたとばかりに呟かれた言葉。


 ――桜様は、私が知らない何かを知っている。 


 初めて会った時から薄々感じていたけれど、今日、この言葉でさらに確信した。


 ――でも、私には話してくれないのでしょうね。


 ちくりと、胸の奥がささくれる。

 はっとして、なにげない風を装って茶器に手を伸ばす。


 ――当たり前でしょう?桜様と私は協力関係にあるだけなのですから。


 たった二度、真の名も告げられずに交わった仲で、すべてを話していただけると思っていただなんて、おこがましい。

 自嘲の笑みが茶器の中に落ちていった。


「ん、ごめん、何でもないよ。他に何か気づいた事はある?」

「そうですね……。量と色、でしょうか?」

「量と色」

「はい。萩太郎の光は、身の内から微かに漏れ出ていただけで……。色も彼の色と同じ青藍でしたので、時が遅くならなければ捉えられていたかどうか……」


 遅い時の中での出来事を必死に思い出す。

 萩太郎の足下と腕で微かにきらめいていた光は、同じ色をしていて見にくく、桜様の光よりも遙かに弱かった。


「桜様の光が特別なのでしょうか?」

「あ、じゃあ改めてもう一度見せてあげるね」


 そう言って、上座から立ち上がった桜様がゆったりとした動作で近づいてきた。

 そのまま私の横で膝をついて手を伸ばす。

 ふわりと桜様の衣装にたきしめられた香がこちらに漂ってきて、またかぁっと顔に熱が籠もる。


「あ、あの、さ、桜様……!」

「……あぁ、かわいそうに。かなり深く切れているね」


 伸ばした桜様の手が私の左頬に触れる。

 ちりりと感じたこの熱が、傷によるものなのかそうじゃないのか。

 私には、分からない。


「ち、近いので、は、離れて……!」

「耳も切れてる。容赦ないな、本当に」


 つつと桜様の指が頬から耳朶に流れる。

 その花を撫でるような繊細な指使いに心の臓が大きく跳ねた。

 恥ずかしくていっそ顔を逸らしてしまいたいのに、濡れ羽色の髪の向こう、柔い金の瞳が私を捕らえて離してくれない。

 呼吸すら止まってしまいそう。


 ――もう、無理、耐えられません……!


「さ、桜、様……!」

「あぁ、ごめんね。“癒やしよ、かの者に”」


 恥ずかしくて恥ずかしくて、最後の力を振り絞ってやっとかすれた声で彼の名を呼んだ。

 そして、彼の言葉とともに白金の光が舞う。

 ぶわりと膨れたその光は、私の頬と耳朶に溶けて消えた。


「はい、おしまい」


 声とともに触れられたままだった指が離れていく。

 名残惜しそうに桜様の指に絡んでいた私の髪がするりと解けて頬を撫でる。その感触にむしろ安堵して、ほうっと大きく息をついた。


 ――し、心臓が持ちません……。


 明日からは絶対に顔に傷を作らないようにしようと、固く心に決めた。


「で、改めて僕の巫術を見てどうだった?」

「ええとっ……」


 巫術を使い終わって上座に戻ると思いきや、桜様は私の横にあぐらをかいて座りこみ話を続けた。

 慣れない男物の香の香りが鼻孔をくすぐる。

 濡れ羽の向こうの金色にまた捕らわれそうになって、私は慌てて目をそらした。


「桜様の光は白に金が混ざった物で、とても量が多いと思います」

「そうか」

「はい。えっと、今日の修練で他の方の巫術も見せていただきましたが、桜様ほど鮮やかで、きらびやかだった人は居なかったように思います……」


 萩太郎との修練の後、慌てたように修練を始めた子弟達の巫術を思い出しながら、思考の深淵に沈む。

 量は少なかったけれど、他の子弟の巫術は桜様と同様にふわりと舞い上がっていたり、自らの体の周囲を漂っていた。


 ――萩太郎の光だけ、舞い散る事がなく、体にごく僅かに纏うだけだった。


「……萩太郎は、巫術の力が弱いのでしょうか?」

「いや、それはない」


 私の独り言をきっぱり否定する桜様。


「萩太郎はの巫術は、確かに楮乃家の系統からは外れているが、巫術の強さとしては五大主家直系に遜色ないものだったときいているよ」

「……そうなのですか」


 なぜ、萩太郎の強さを正確に知っているのですか?と問おうとしたけど、おとなしく口を閉じる。


 ――まぁ、桜様ですものね。


 その気になれば、いかようにも伝手があるのだろう。

 深く考えないようにして、さらに思考を進める。


 ――萩太郎の巫術は弱い物じゃない。なのに、あれだけ見えづらかったのは何故?


 分からない。比較対象が少なすぎる。

 思えば、修練の場に参加できるのは、五大主家直系とその家に関わりがある傍家のみ。陽葵様の血を今でも濃く継いでいる家だろう。


「……庶民の巫術が見たいところですが」


 陽葵様の血が薄まった場合の巫術が見たい。

 でも、と視線が下がる。

 視界に入るのは、緩くたわんだ香色の髪。


「この髪じゃ、街へ出るなんてできませんね……」


 思えば、母様がご健在だった時も宮廷から外に出たことがない。おそらく、父様が私たち二人が奇異の目で見られないように大事に守ってくれていたのだろう。

 それくらい、この髪はこの国では異質な物なのだ。

 ふわふわと、どこか浮かれていた気持ちがすとんと落ち着いた。


 ――せめて下級家の者を桜様に連れてきてもらいましょうか。


「……いや、出れるよ」

「え?」


 お願いしようと桜様の方を見ると、顎に手を当てて真剣に考えられていて。


「うん……なんとかなる。いや、してみせる」

「桜、様?」


 一人思考の先を行き、説明もない。

 邪魔をすべきではないと思っていたのに、思わずその名を読んでしまった。

 そして、金の目と視線が交わる。


「二週ほど時間をちょうだい。さすがに街となるといろいろ根回しが必要になるから」

「え、えぇと、つまり……?」


何が何やら分からず、こてりと首を傾げてしまう。

 そんな私を見て、桜様が笑う。


「僕が街に連れ出してあげるよ」


 そう言って柔く微笑む桜様に、とくりと一回心臓が高鳴った。

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