一枝 一葉 八節 巫の証明
「んー……」
書を読んでいたら、あっという間に昼を告げる鐘が鳴った。いつも通り私室に戻って昼食を取る。
父様が居ないことを良いことに、昼ご飯もそこそこに頭の中で書の内容を振り返っていた。
ーーやっぱり、目にまつわる巫術の記載はなかったですね。
書を読む前からある程度予測はできていた。巫術とは山神様から賜った奇跡の力だ。そんな力を見ることができる人なんて、それこそ最古の時代においても存在しないだろう。
「……まぁ、まだ探しはじめたばかりですしね」
声に出して、落ち込んだ自分の気持ちを無理矢理上向きにする。
集めてきた書物はまだまだたくさんある。どこかには目の巫術について書かれているかもしれない。こればかりはじっくり時間をかけて進めていくしかない。
それよりも今は。
「もうすぐ萩太郎が来ますね……」
昼の鐘が鳴ってもうすぐ四十分が経つ。
付き人のくせに私の側に侍らない萩太郎は、修練の時間には遅れた事がなかった。
だから今日も遅れることなくこの部屋に来るだろう。
なんて考えていたら、案の定荒い足音が廊下の奥から響いてきた。
少しは静かに歩けないのかしら、とため息が出てしまうのはご愛敬だろう。
「菜乃華!修練の時間だっ…」
「分かっています。うるさいですよ、萩太郎」
「……はっ!混じりの癖に生意気なんじゃねぇの?」
間髪入れずに萩太郎の言葉を遮った私に、一瞬だけ怯んだ顔をした萩太郎。
だけど、すぐさま私を見下ろして威圧してくる。
ーーこれが、彼なりの虚勢の張り方なのでしょうね。
哀れだと思う。けれど。
「口を慎みなさい、萩太郎」
真っ直ぐ、彼の青藍の瞳を見据える。
「私は、天峰菜乃華。国と同じ字を持つ者です」
彼の感情のはけ口になんてならない。
「あなたに蔑まれる謂れはありません」
もう二度と、混じりだなんて呼ばせない。
きっぱりとそう告げた。
その瞬間、萩太郎の表情が一気に憤怒へと切り替わる。
「……上等だ。混じりじゃねぇって言うんなら、証明してみろよ」
怒りが籠もったその声に俯きそうになるけれど。
「……えぇ。望むところです」
見据えた瞳を逸らすことなく、萩太郎に向かってそう告げた。
****
足取り荒く萩太郎が去った後、私は身支度のために蝋梅の庵に立ち寄った。
衣紋掛けに着ていた袿をかけて道着に着替える。ふと、視界の端にマホガニーでできた小物入れが目に入った。
この小物入れは元は母様がアルメリアで使っていたものだった。精緻で繊細な花彫刻がところ狭しと彫られていて、上蓋の中央には母様の瞳と同じ色のサファイアがあしらわれている。
私はその小物入れをそっと手に取って上蓋の金具に指を伸ばす。ぱちりと軽い音がして上蓋が開いた。
中には、母様がよく使っていた髪飾りや首飾りが並べられている。その中の、鮮やかな青と金糸のリボンに目が吸い寄せられる。
このリボンは、母様が亡くなる直前まで付けていたリボンだ。
「母様……」
そのリボンに指を這わせながら目を閉じる。
母様が流行病にかかるほんの僅かの間、修練の身支度は母様してくれていた。
萩太郎に打ちのめされて泣いて帰ってきた私を優しく抱きしめてくれたのも母様だった。
“大丈夫よ、菜乃華。私がいるから”
そう言って、優しく頭を撫でてくれた。
母様が亡くなったあと、直視できなくてしまいっぱなしにしていたこのリボン。
「力を貸してください、母様……」
鏡に向かって髪を元結で一つに結い、その上から母様のリボンを結ぶ。
最後にもう一度鏡を確認する。
「大丈夫、きっと勝てるわ」
鏡に向かって笑う。
鏡には強がって笑う私がいるけれど、その瞳の奥に恐怖が浮かんでいるのはごまかしきれなかった。
****
「待ってたぞ、混じり」
神楽殿に入った瞬間、萩太郎から罵声が飛んでくる。先に萩太郎が話していたんだろう、萩太郎の取り巻き達からも聞くに堪えない罵声が飛んでくるけど、無視して防具がしまってある方へ向かう。
いつも通り垂れ、胴、すね当てと付けていき面を取ろうとして手が止まる。
ーー怪我する危険を考えるなら付けた方が良いのだけれど。
伸ばしかけた手を一瞬ぐっと握りこんで力を抜く。
私は小手を手に取った。
「混じり、今日は面を付けないのか?」
「とうとう気が触れたのでは?それか、知能まで獣まで落ちてしまったんでしょう……」
聞こえよがしに呟かれる言葉になんて惑わされたりしない。
ーー面を付けていたら、あの光が見えないかもしれない。
思い出すのは、昨日桜様に見せてもらったあの金色の光。
あの光を見ることができるのが私だけだと言うのなら。
「勝算はあります……」
自分を奮い立たせるために小さく呟く。
そして神楽殿の中心に向かって、萩太郎と向き合う。
相棒の薙刀を下段に構えて大きく深呼吸を一つ。
「っ、よろしくお願いします!」
「はっ!目ん玉抉られねぇように気をつけろよぉ、混じりぃ!」
審判役の子が始めの声をかける前に、萩太郎がこちらに向かって大きく踏み込んでくる。
ーー竹刀の位置は下段。でも、狙いは私の左目。
すぐに一歩引いて薙刀を跳ね上げて竹刀を受け流す。
ぱしっと薙刀とぶつかった竹刀から音が鳴る。
萩太郎はそのまま力任せに私に肉薄してきた。肘を曲げてその力を受け流す。
そのまま鍔迫り合いになったところで至近距離で萩太郎と目が合った。
青藍の瞳にはぎらぎらとした私への敵愾心しか映っていない。
ーーそこまで恨まれる筋合いはありませんよ。
そう告げたところで、聞き入れられるとは思わないけれど。
萩太郎の攻勢は止まることを知らない。
私は、昨日と同じように距離を取りながら萩太郎の攻撃をいなしていく。桜様の癒やしの巫術のおかげで体がとても軽いから、昨日より楽にいなしている。
それに。
ーー次は面を狙うと見せかけて、胴への横薙ぎを入れてくる。
萩太郎の動きに合わせて薙刀を振るう。
予想した通りの軌道を描いて振り下ろされた竹刀を、私は余裕をもって受け止めた。
ーーやはり、動きがある程度予測できる!
痛みがなくなり、思考が鮮明になったのだろう、しかも、五年も欠かさず彼と打ち合ってきたのだ。彼の手の内は把握している。
ーーこれなら、大丈夫!
私は萩太郎の攻撃の隙をついて脛を狙う。
生意気な、と言わんばかりに萩太郎は荒々しく私の攻撃を防御してすぐさま攻撃を仕掛けてくるけれど、薙刀に阻まれて届かない。
攻撃が思うように届かないもどかしさと、昼間のやりとりがかなり気に障ったのもあるだろう、だんだんと萩太郎の攻撃が荒く、乱暴になっていく。
ーーその分、あなたの手が読みやすくなる。
彼の竹刀を受け止め、流す。
五分、十分と激しい打ち合いが続き、互いに息が上がっていく。
「萩太郎様、いつまで遊んでいるんです?」
「やっちゃってくださいよ萩太郎様!」
周囲の取り巻き達から野次が飛ぶ。取り巻き以外の子弟達もいつもより粘っている私を訝しげに観察している気配がする。
ーーもうすこし、もうすこし。
顔面すれすれを飛んでくる竹刀を躱す。宣言通り目を抉るための軌道を突いてくる竹刀を躱すのに、少しも気を緩められない。
息が上がる。意識がじわじわと白く染まっていく感覚がする。上段、下段、小手と突き以外にも混ざる攻撃を躱していなして。
そして、そのときが来る。
「っ、小手先だけで躱せると思うなよ!」
一歩引いた萩太郎が叫んだ瞬間、うなじに触れた母様のリボンが一瞬熱を帯びる。
おかしいと思うまもなく萩太郎がこちらに向かって走ってくる。
風圧とともに感じたのは微かな花の香り。
「え……?」
これって、と考えた瞬間、周囲から音が消えた。
ありえない現象に集中が途切れる。
思わず取り落としかけた薙刀を握り直して萩太郎へと意識を向け直して、さらに驚く。
ーー遅い?
すさまじい形相でこちらに突き進んでいるはずの萩太郎の動きが、止まってるかのように遅い。
ーーどうして、何が起こっているの?
そんな考えの中、目の前を横切る微かな青藍の光。
はっとしてその光の出所を探る。
青藍の光は萩太郎の足下と手から湧き出ていた。
ーーやっぱり、この光は巫術の光!
萩太郎は足と手に強化の巫術をかけている。
なら、私は。
「くっ!!」
薙刀を構えながら、突きが当たるぎりぎりの頃合いで顔を僅かに逸らす。
竹刀が私の頬と耳朶を深くえぐり取る。
熱い、と感じたのは一瞬。
目を狙って脇が開いたこの一瞬を、逃がさない。
ーーここっ!
「やぁぁ!!」
振り抜き一閃。
私の薙刀は萩太郎の胴を深く打ち付けた。
「っ、そ、そこまで!」
審判の声が無音だった私の世界に大きく響く。
瞬間、神楽殿が大きくどよめいた。
「混じりが勝った?!」
「嘘でしょう……?!先ほどの動きはなんです?!」
「まさか、巫術か?」
「でも、混じりは巫術なしだったはず……」
ざわざわと、驚嘆と動揺が入り交じった声が耳に届く。
ーーっ、この人達は本当にっ!
衝動のまま、薙刀の柄を地面に打ち据えた。
どんっと大きな音が神楽殿に響き、周囲の声がぴたりと止んだ。
「巫術か、そうじゃないかは、関係ありません」
一人一人、ひたりと目を合わせていく。
ーーこんな、見たことだけで人の評価を変えるような、薄っぺらい人たちに怯えていただなんて情けない。
そう、萩太郎に勝てたこの力が巫術か、巫術じゃないかなんて、今は関係がない。
私は。
「私は……私の名は、天峰菜乃華」
初代様は……陽葵様は、ただ。
「初代陽葵様の血を継ぐ、この国の巫の一人です」
真摯にこの国の事を考えていただけなのだから。
「皆に告げます。ここに、この修練の場にいるのであれば、人の修練を見るだけでなく、あなたたち自身も研鑽を積みなさい。ここはそういう場のはずです。見学者は必要ありません」
さもなくば、山神様もあなたたちを見放すかもしれませんよ?
冷え切った私の言葉だけが神楽殿に響いた。
「は、はい!」
慌てた子弟達が一斉に修練に励み出す。
私はそれを一瞥してから、懐から小さな手ぬぐいを取り出して床に落ちてしまった血を拭って歩き出す。
「……さようなら」
呆然としたまま動かない萩太郎を、私は一瞥することなく通り過ぎた。




