三葉 三節 決壊
控え室は今、重たい沈黙に包まれていた。
萩太郎の口から告げられた、私のもう一つの異能。
巫術とは違う、得体の知れない力をどう受け止めたらよいのか、父様も爺やも分からないのだろう。
私を強く見つめる瞳の奥に、困惑と、ほんの僅かな恐れの感情が浮かんでいるのが見えた。
「……菜乃華、どうして教えてくれなかったんだい?」
沈黙を破ったのは父様だった。
責めているわけではなく、むしろ私を気遣うような言い方に心の奥底が少しだけほぐれたような気がした。
――でも、父様は……。
沈む気持ちのまま、私は静かに首を横に振る。
「……私も、気づいたのは最近のことです。萩太郎が言うもう一つの異能は、私が意図して起こせるわけではないですから」
「何?」
萩太郎が怪訝そうな声を上げる。
私は萩太郎の方にちらりと視線を向けた。
「あなたはさっき“見せびらかす必要はなかった”と言いましたが、私は、そんなつもりありませんでしたよ。だって、あの力は、いつ、どうやって起こるのか、理解してなかったのですから」
掴まれた手首の痛みを思い出し、萩太郎に向ける声が自然と冷たくなる。
それでも納得できないとばかりに私を睨み付ける萩太郎に、私は一つため息を落とした。
「……そもそも、あの力を引き出したのはあなたでしょう?」
「はぁ?なんで俺が……」
「……あなたが修練で私の目を狙ったから」
「……っ!」
萩太郎が息を呑む。そんな萩太郎を、父様の背後に控えた爺やが鋭く睨み付けるのが視界に入った。
同時に、左右に控えたせりとなずなが身じろぐ気配がする。
父様はあまりの事に言葉が出ないのか、息を詰め、私を強く見つめている。
そんな周囲の態度に、あの頃の私が慰められるのを感じながら、更に萩太郎に告げた。
「私が初めてあの力を認識したのは、あなたに初めて勝った、あの修練です。あの時、あなたは巫術も使って私の目を狙った」
――私は、決して、忘れませんよ。
あなたが私にしてきた事を。
あなたが私に投げつけた言葉を。
私は決して忘れやしない。
「……思い返せば、別の修練でも、あなたが私の目や急所を狙う時、僅かに剣の勢いが落ちた時がありましたね?私は必死で気づきませんでしたが、その時も花の香りが?」
「……っ!それはっ……!」
図星だったのだろう、萩太郎は返事をすることなく私から目を逸らす。
――あなたは本当に付き人とは名ばかりの人ですよね……。
私のことを、何一つ考えてくれていない。
荒んだ気持ちのまま、私は黙ってしまった萩太郎から父様へと視線を戻した。
「……私自身が、はっきりと花の異能を認識したのは二回。萩太郎との修練と、襲撃の時です。どちらも私の身に危機が迫った時に、時間の流れがゆっくりになったような感覚や、時そのものが止まってしまったような出来事が起きました。だから、私は……」
花の香りを思い出すように、目を閉じる。
そう、あの懐かしい花の香りの持ち主を、私はずっと知っていた。
「……母様が、助けてくれたのだと」
“菜乃華”
穏やかに私を呼ぶ母様の声が脳裏に蘇る。
煌びやかな金の髪を靡かせて、私に微笑みかける鮮やかな空色の瞳を思い出して、声が震えた。
「菜乃華……」
父様の押し殺した声が耳に届く。
私は一度大きく息を吐いてから、目を開いた。
明るくなった視界の先、心配そうに顔を歪めて私を見つめる父様がいる。
けれど、今の私にそんな父様の姿は慰めにはならなくて。
「……だって、」
「え?」
私が小さく呟いた言葉が聞こえなかったのだろう、父様が聞き返す。
そこで、耐えきれなくなった。
「私だって、必死だったのですっ!巫術を持たない混血の私が、修練の場でどれほど酷い扱いを受けてきたか!」
父様の新緑の瞳が驚愕に見開かれた。
そして、すぐに開いては閉じる父様の口元が涙でぼやけて見えなくなる。
「……父様は、ご存じでないでしょう?」
流れる涙そのままに、父様に問いかける。
――あぁ、こんな風に、父様を責めるつもりはなかったのに……。
冷静な部分では今すぐやめないと、と思っているのに、胸の底に溜まった澱を吐き出さずにはいられない。
「……付き人である萩太郎ですら、私への態度はあのようなものでした。そんな状況で、私に好意的に近づいてくる者などおりません。……私が、唯一外の世界を知ることができたのは、書庫殿の書からだけでした」
今でも思い出せる、私を蔑み、見下す者達の瞳。
最初は口汚く罵ってきた者達も、月日が経つにつれ興味を無くし私を存在しない者として扱いだした。
……あの、誰からも顧みられることのない世界の中、唯一外の世界に触れられたのが、書庫殿に収められた書物だった。
「書を通じて、私は何故こうも蔑まれるのかを知りました。そして、巫術を陽葵様に授けたのが山神様だと知って、私は毎日欠かさず白銀杉にお参りをしました……。いつか、山神様の慈悲がいただけると信じて」
零れる涙を拭く余裕もなく、ただ、真っ直ぐ父様を見つめる。
父様が私の言葉を聞いて、今どんな顔をしているか確かめたいのに。
涙で歪む視界では、それすらも叶わない。
「……気づいてしまったのです。私がそうして信じて読んできた書のほとんどが、綺麗な物語に仕立てられた絵空事で……実際の、神託の儀の内容など書かれていなかったことに」
「っ!菜乃華それはっ!」
焦った様子で言い募ろうとした父様の声が私の言葉を遮る。
私は聞きたくないとばかりに首を強く振った。
「教えてください、父様。父様は、執行人の書を私から遠ざけたように……神託の儀の記録も、私から遠ざけていたのですか?私は……」
――私は、父様から娘として認められていなかったのですか……?
脳裏をよぎった言葉を、決して口に出さないように口元を強く引き結ぶ。
それだけは、口にしてはいけないと思った。
それでも、これだけ言葉を吐き出しても胸の中を渦巻く感情は消えてくれなくて。
父様に酷い言葉を言いたくないのに、次にまた口を開いたら、抑えた言葉が溢れてしまいそうで。
なのに、父様は黙ったまま何も話してくれない。
部屋に落ちた沈黙が、なぜこんな話をしたのかと、私を強く責め立てている気がする。
――違う、違うんです、こんなことを言いたかった訳では……!
強く結んだ口が緩んだ瞬間。
涙でぼやけた視界が、灰色に染まった。
「……こいつの言い分は、もう十分でしょう。柊哉様」
父様から私を遮るように立ちはだかった灰色の狩衣。
私から少し離れた場所に座っていたはずの、萩太郎だった。
「こいつが、花の異能についても神託の儀に関しても、詳しいことを知らなかったのは今の証言で明らかです。……だから、俺からも聞きたい」
萩太郎がその場に膝をつき、居住まいを正す衣擦れの音が部屋に響く。
「ほぼ勘当された身ではありますが……それでも俺は、宮廷の裁定者である楮乃家の一員です。その楮乃家として、こいつに知識をつけさせなかった理由を知りたい」
萩太郎が紡ぐ言葉に、私の身や心を案じる言葉はない。
けれど、今だけは、私に喋らせまいとしたその言葉に救われた気がした。




