三葉 二節 花の異能
「……どうして?」
こぼれ落ちた言葉は、とても頼りなくて。
ただ静かに空間を揺らして、消えた。
「……」
父様は目を伏せたまま口を閉ざしている。
私が持つ、唯一父様と同じ色の新緑の瞳。
視線が交わらないことが、今はただ悲しかった。
「父様……どうしてっ!」
「菜乃華様、すまぬ。少し待ってはくれぬか?」
感情のまままくし立てようとした私を、静かな声が制した。
声の出所は、父様に付いていた爺やからだった。
「話せねばならぬ事は沢山ございましょう。ですが、少しこの爺に場を整える時間をもらえませぬか?」
部屋に入ってきたときの爺やの顔はとても厳しいものだったけれど、今は私を宥めようと眉を下げ穏やかな表情で片膝をついて控えている。
けれど、優しい爺やの言葉でも今の私は受け入れられなかった。
「爺や……でも、」
「……あの神託の儀を終えた菜乃華様を探ろうとする者が、もう既にいるのです。最低限の守りを敷かせてくだされ」
そう言って、かしこまったまま爺やは私に頭を下げた。
その態度は、私を単なる“柊哉の娘”から“山神様に認められた王族の一人”として改めたものだと気づく。
――爺やも、あの奇跡を山神様の神託だと思っているのですね。
なら、誤解を解くためにもやはり詳しく話し合う場が必要になる。
「……分かりました。爺や、お願いします」
私は、目の前で頭を下げる爺やを見つめ、許しを出した。
「かしこまりました。付き人を借りますぞ」
頭を上げた爺やはそう言ってから立ち上がった。
そして、鋭い視線を萩太郎、せり、なずなへと向ける。
「萩太郎。この場では風音の巫具では足りぬ。万が一の侵入に備え、遮断の巫具を用いよ」
「……はい」
不満そうな萩太郎が懐に手を入れながら部屋の入り口へと向かう。
すぐに、きんっと澄んだ音と共に部屋が遮断された気配がした。
萩太郎が私から少し離れたところへ腰を下ろしたのを確認した爺やが、せりとなずなへと声を掛けた。
「せり、なずな、茶を、と言いたいところではあるが、この部屋にはないのだな。全く……。今、其方らがこの部屋を出れば、菜乃華様を探る者の餌食となろう。菜乃華様の横に控えよ」
「は、はい!でも……」
爺やの言葉に返事をしながらも、なずなはその空色の瞳を真っ直ぐ爺やへと向けた。
「教えてください。菜乃華様の神託の儀は成功したのですよね?今、何が起こっているのですか……?」
なずなの純粋な疑問に、横に控える萩太郎の雰囲気が重くなったのが分かった。
同時に、爺やと父様は悩むように視線を宙へと逸らす。
誰も、どこから何を話したら良いのか分からないのだろう。
爺やは悩みながらも父様の横へと腰を下ろし、父様はそんな爺やに軽く目配せを送っている。
だから、私がなずなの主なのだからと重たい口を開いた。
「……私は、神楽殿にて萩太郎と陽葵様を讃える故事に合わせた剣舞を披露しました。けれど……私の宣誓に対し、山神様の神託は下りませんでした」
神託は下らなかったという言葉に、せりとなずなが息を呑む。
そんな二人の姿を視界に収めながら、私は再び口を開いた。
「それでも、私は萩太郎と共に剣舞を続けました。……そして、山神様が陽葵様を拒絶された場面で、山神様に額ずき祈りを捧げた瞬間、」
喉が渇いて、そこで言葉を切る。
この部屋にいる全員が私を穴が開くほど見つめている。
――誤魔化す事は、できないですね。
私は、小さく息を吸い込んだ。
「白銀杉から山颪が吹き荒れ、同時に花の香りが私を中心に広がって、風に乗って神楽殿に落ちてきた花びらをその場に留めました」
「え……?」
「その場に、とは?」
真剣に私の言葉を聞いていたせりとなずなが困惑した表情を浮かべる。
眉を顰めるせりと小首を傾げ疑問符を浮かべているなずなに対して、どう説明しようかと悩みながらも口を開こうとした瞬間、それまで黙っていた爺やが私の言葉を引き取ってくれた。
「言葉の通り“その場”だ。神楽殿に落ちようとしていた桜の花全てが、菜乃華様が平伏した瞬間、時が止まったかのように空に留まったのだ。……空高く舞っていた物も、床に落ちようとしていた物も、一切微動だにせず、その場が一枚の絵になったように、な」
「嘘っ……!」
「そんな事が、本当に……?」
口に手を当てて驚くなずなと、まだ信じられないと訝しげなせり。
――確かに、あの光景を見ていないと信じられないのも当然ですね。
爺やの言葉を肯定するように、私は静かに頷く。
頷いた私に対し、二人が息を呑む音が大きく部屋に響いた。
二人が状況を理解した事を確認して、私は話を続ける。
「……その光景を見た観衆の誰かが『山神様の神託だ』と騒ぎました。熱狂する観衆を、機転を利かせた萩太郎が制し、爺やが儀の体裁を整えてくれました。そして、松風様に言われるがまま神楽殿を後にし、今この場に至ります」
「そうなのですね……。すごいです、菜乃華様……!素晴らしい神託を賜ったのですね……!」
私の語りが終わると同時に、なずなが感激したように頬を赤らめて言祝いでくれた。
けれど、私は素直にその言葉を受け取れずに曖昧に笑う。
「……いや、違うぞ、なずな」
興奮するなずなを窘めるように、せりが話し出した。
「菜乃華様は『山神様の神託は下ることはなかった』とおっしゃった。……花を留めたのは山神様ではないと、菜乃華様は思っているのですか?」
「え?え?」
自身の思考を整理するように話していたせりが、確信を持って私の顔を見る。
なずなはそんなせりの言葉に戸惑いながら、私とせりを交互に見やっていた。
――せりは、いつ、どんなときでも冷静ですね。
その冷静さを頼もしく思いながら、私は頷いた。
「えぇ。……この場に居る人は、私の目の力について知っていますね?」
「え……?菜乃華、萩太郎君に話したのかい?」
それまで黙っていた父様が驚いたように声を上げた。
父様の新緑の瞳は、私を静かに見つめている。
――いつもなら、その瞳を見るだけで安心できていたのに……。
今は、視線を合わせたくない。
私は父様の視線を避けるように首を振った。
「私から話したわけではありません。萩太郎は、修練の最中に目の力に気づいたのだと……」
「こいつ……菜乃華、様、との修練の時、不自然に視線が剣から逸れるのを見ました。視線が逸れるのは、俺が膂力の巫術を使った時。そこからの推測です」
呼び辛そうに敬称を付けた萩太郎が言葉少なく補足する。
萩太郎の言葉に、父様が息を呑むのが分かった。
「っ、それだけで菜乃華の目に気づいたのか……」
「柊哉様、こいつの異能はそれだけじゃない」
萩太郎の核心を突いた言葉に、私は竦み上がる。
強ばる私をよそに、萩太郎は私を気に掛けることなく父様に話し続ける。
「柊哉様、あの異変の前に、花の香りがしたのには気づきましたか?」
「花の香り?さぁ……」
「私は捉えたぞ。それがどうした?」
どうやら、花の香りは父様達のところまでは届いてなかったらしい。父様は首を傾げながらも、思い当たらない様子だった。
そして、父様より私達の近くにいた爺やには花の香りが届いていたようだ。爺やが強く頷いたのを見て、萩太郎は父様に向き直った。
「花の香りの出所はこいつです。こいつにはもう一つ……花の香りとともに、何か、周囲の物の動きに干渉できる異能があると考えられます」
「……まさか」
「……菜乃華様の力、だと?!」
驚愕の声を出しながら、父様と爺やが私を見る。
その瞳に、得体の知れない力を恐れる感情が浮かんでいるようで。
胸の奥が、ひどく軋んだ。




