一葉裏 二節 恐れと警告
混じりに異質な力が現れてから、一週間。
俺はいつもと同じように混じりの元へと向かっていた。
参道を歩きながら、この一週間の修練を一つずつ思い返す。
――間違いない。あいつの目は巫術を捉えている……。
あの一際強い花の香りを発してから、竹刀を躱すあいつの目が変わった。
必ず、俺が巫術の力を流し込んだ腕や手を見てから竹刀の軌道を予測して、躱す。
今までは巫術を使えば予測どころではなくなって、躱すことすらできなかったのに。
――あいつの目には何が見えてるんだ……。
山神様の力を見ることができる娘、だなんて俺以外の奴らに知られたとしたら。
「宮廷が荒れる……」
思わず口から漏れた言葉が参道に響く。
思いのほか大きく響いた自身の言葉にはっとして、強く口を閉じてからまた歩き出す。
それでも、脳内では様々な思考が巡る。
父上に認められたくて読みあさった家の書には、近代における宮中の動きが事細かに書かれているものがあった。
それを読むことができたのは、ひとえに楮乃家が宮廷の裁定者として、宮中の安寧を維持してきたからだろう。
だが、それを読んだからこそ、混じりに神託の儀で結果を出させる訳にはいかないと分かる。
――今の女王は白梅様で、次期女王候補はあざみ様ただお一人……。
失踪した姉君、椿様の代わりに女王になったなり損ないの白梅様。
“無の神託”を賜り、王族としては前代未聞の字を奪われたあざみ様。
今、天峰国の女王を支える土台は不安定過ぎる。
松風様が槐様を、ひいてはその息子の榊様を初代国王に据えようとしているのも理解ができるくらい、今の女王達の立場は弱い。
そこに混血とはいえ、巫術が見える目と、物体に干渉できる花の異能が露見したら、大衆は必ず女王達より混じりを担ぎ上げる。
……そして、それが行き着く先は、王族の権威の低下と宮廷内の混乱。
父上が維持してきた宮廷の安寧が崩壊する。
――それだけはなんとしても阻止しなければ。
決意も新たに、見えてきた拝殿を横目に書庫殿へと足を向ける。
――まぁ、あいつは最近目の力に頼り切りで、花の異能を使う気配はない。目の力だけなら俺の立ち回りだけで誤魔化す事はできるだろう……。
そう考えつつ、あいつの神託の儀までの残り三週間でどうあいつを抑えるか考えていたら。
「楮乃萩太郎」
背後から名を呼ばれた。
誰だ?と振り返ると、そこには濡羽色の髪に、一度見たら忘れる事ができない金の瞳を持つ少年が立っていた。
その姿に、俺は素早くその場に跪く。
「天峰、榊様……!」
「いいよ、もっと楽にしな?」
小さく笑い声を溢しながら、榊様に立つように促される。
――楽に、とは言われるが……!
静かに立ち上がりながらも、文字通りに受け取ってはいけないと自身を戒める。
巫術の申し子として“光の神託”を賜った榊様。
今、この宮廷内でもっとも力のある王族といっても過言ではないのだから。
「松風様から久しぶりに許可が出てね。父上……槐様と一緒に修練に参加するんだ」
「は……」
榊様の反応をつぶさに観察しながら小さく相づちをうつ。
すると、俺の反応を満足そうに見ていた榊様が口を開いた。
「今は君が一番強いらしいね?確かめたいから、ついてきて」
「は……ですが、」
――巫術の申し子である、榊様との手合わせ……!
あいつとは違う、正統な王家の一員である榊様。
そんな機会はもう二度と訪れないと分かっている。
けれど、俺が宮廷に上がっているのはあの混じりの付き人であるからだ。
一応、主人となっているあいつの許可がなければいけないだろう、と一旦固辞する。
すると、榊様の金の瞳が弧を描いた。
「僕が、言うんだよ?……おいで」
有無を言わせない上位者からの言葉に、すっと背筋が伸びる。
――まぁ、混じりのもとを訪ねる者などいない。少しぐらい離れても誰も何も言わないだろう。
俺の中の天秤は、簡単に榊様の方へと傾いた。
「かしこまりました」
榊様の言葉に頷いた瞬間、愉しげに笑っていた榊様の表情が抜け落ちる。
そして、冷ややかな一瞥が俺に向けられた。
「っ?!」
「……行くよ」
先ほどとは打って変わって、冷ややかな態度を隠しもせずに榊様が先を歩かれる。
――俺は、何をやらかした……?
背筋に冷や汗が伝うのを感じながら、俺は黙って榊様の後に続いた。
そして、まもなく神楽殿へとたどり着く。
扉を開けた正面、一際背が高く、がたいの良い男が一人立っていた。
その男の髪は榊様と同じ濡羽色だが、瞳は燃えるような赤。
先に神楽殿にいた奴らと同じように、俺はまたその場に跪いた。
「父上、楮乃の嫡男を連れてきました」
「……榊」
俺の頭上で、二言三言言葉が交わされている。
俺はそれを許しが出るまでただ跪いて聞いていた。
――天峰、槐様……。
ただ一人、異国の地アルメリアへ侵攻し、ヘレナ姫を連れて帰ってきた、歴代最強の膂力の巫術の使い手。
――この方に、俺の剣を見てもらえるのか……!
ぐっと、手を握り込む。
「立て、楮乃の」
「はっ!」
槐様のお言葉に、すぐさま立ち上がる。
赤の瞳がすぐさま俺の体を捉えた。
「……其方の評判は俺の耳にも届いている。今日は榊にその力を見せてやって欲しい」
「かしこまりました!」
槐様の言葉に、考える間もなく大声で返事をしてしまった。
――俺の成果を、槐様が認めてくださった……!
久しく受けてこなかったその言葉に、俺の体の細部まで血が巡っていくのを感じた。
「なら、お手並み拝見といこうか」
俺と槐様のやりとりを見ていた榊様から竹刀が手渡される。
騒ぎ出した観衆を横目に竹刀を榊様から受け取って、微かに感じた違和感の正体を探って、思い至る。
――何故、榊様は俺の竹刀が分かったんだ……?
竹刀は他の奴らの物とまとめて無造作に片付けられていたのに、どうして。
「では、見せてもらおうか」
槐様の言葉にはっとして、竹刀を榊様に向けて構える。
「君が持つ巫術は膂力のみだったね。合わせようか?」
榊様がどこか挑発するように言葉を紡ぐ。
「……いえ、お構いなく」
そう言い切った瞬間、足に膂力の力を巡らせて榊様へ跳躍する。
腕に力を回して、榊様の胴を狙って一閃。
――取った!
そう、確信した瞬間。
金の瞳がゆるりと弧を描き、榊様の背後から風が湧き上がる。
「ははっ!」
笑い声とともに、榊様の体が軽やかに飛び上がって俺の竹刀を避けた。
そして、一跳躍ではあり得ない高さまでその体を持ち上げて俺の頭上を飛び越えていく。
その姿を目に捉えながら、俺は半身を翻す。
翻った先にまた感じる突風。
竹刀を構えられたのは、癪だが混じりとの修練で培った反射だった。
構えた竹刀で、榊様が振り下ろした竹刀を受け止める。
竹刀同士がぶつかり合い、激しい音が神楽殿に響き渡った。
「へぇ、これが止められるんだ」
「っ……!」
笑いながら更に竹刀に負荷を掛ける榊様を、俺は歯を食いしばってただ耐える。
――これが、巫術の申し子……!
息を吸うように巫術を使いこなしている。
使っているのは膂力と、風の巫術。自身の背後に突風を生じさせることで回避と攻撃に使っている。膂力の巫術も、おそらく俺が使うものより効果が高い。
恐ろしいのは、その巫術の切り替えに一切の隙が見られないこと。
平行の巫術の使い手は、どうしても巫術の切り替えを行う際に隙ができるというのに。
今この一手を見ても、榊様にその隙は感じ取れない。
――化け物っ……!
その異様さに、あいつとはまた別の意味で鳥肌が立つ。
――だが、せめて一矢は報いるっ!
「はぁぁぁぁ!!」
筋力に物を言わせて竹刀を振り切る。
再び風の巫術を使って空に逃げた榊様を追って、落下地点に竹刀を一閃。
着地の瞬間、わずかに体勢を崩した榊様に猛攻を仕掛ける。
けれど、榊様は余裕そうに全ての攻撃を躱していく。
――そこだっ!!
一歩踏み込み榊様に急接近。
俺の竹刀は榊様の竹刀に受け止められるが、そのまま肉薄する。
このまま押し切る!と再度膂力の巫術を使おうとした瞬間。
目の前の金の瞳が俺を真っ直ぐ射貫く。
「……お前、巫術を使うのを恐れているのか?」
「……っ?!」
囁かれた言葉を理解した瞬間。
竹刀を握る手から力が抜ける。
その隙を、榊様は見逃さない。
「はぁっ!」
動いたのはほんの僅か、手首のみ。
その動きだけで、榊様の竹刀は俺の手首をしたたかに打ち据えた。
「そこまで!」
槐様が試合終了を告げる声を上げる。
途端に見ているだけだった奴らがわぁわぁと歓声を上げ始めた。
だが、そんなのどうでも良い。
――俺が、巫術を恐れている……?
訳が分からない。
けれど、榊様のささやき声が脳裏にこびりついて離れない。
そんな俺を見ることなく、榊様は奴らの声に応えながら俺の背後におられる槐様の方へ向かって歩き出す。
悠然と歩く榊様は、通り過ぎざま、冷えた金の瞳で一瞬だけ俺を捉えた。
「……そんなんじゃ、菜乃華は守れない」
俺だけに聞こえるよう、小さく呟いた。
――なぜ、今、混じりの名を出すっ?!
あいつの名を聞いた瞬間、榊様に向かって殺気を飛ばす。
周囲の奴らの表情が凍りついた。
それでも、榊様と槐様は俺の殺気を泰然と受け流している。
「……楮乃の」
それまで黙っていた槐様の口が開いた。
「その若さでその気迫……。目を瞠るものはある……。が、」
刹那。
経験したことのない威圧感に、反射的に竹刀を構えて背後に飛びすさった。
威圧感……殺気の出所は、槐様。
凪いだ赤の瞳が、俺を捕らえて放さない。
「其方の剣は軽い。……守るべき者を持たぬ者のそれだ」
ざわりと、息を呑む声が神楽殿を揺らす。
槐様と榊様はそんな周囲の奴らに目を向ける事なく、ただ真っ直ぐ俺を見据えている。
「この国の守護を任された者として、其方の戦い方を認めることは、できぬ……。励め。さもなくば、いずれ後悔する事になるぞ」
そう言って、槐様は視線を俺から外す。
そして、周囲のざわめきなど意に介さず、扉へと歩み出した。
そんな槐様に付き従う榊様。
泰然とした歩みで俺の横を通り過ぎる間際。
「お前は菜乃華の付き人だ。自分の役目を忘れるな」
俺だけに聞こえる声で、そう囁かれた。
「っ……!!」
沸き上がった感情は悔しさなのか、恐れなのか。
分からない。
けれど、ただ一つはっきりと分かる感情は、憤怒。
――俺は、混じりのお守りなんかじゃねぇよ!!
身の内を渦巻く激情のまま、俺は竹刀を握り締めた。




