二葉 二十三節 奇跡の終わり
神楽殿が観衆の歓声に揺れる中。
外の狂騒とは対照的に、神楽殿の中にいる人々は私を含めて誰も動けなかった。
動いてしまったら、全ての奇跡が崩れてしまいそうで。
――あ……。
柔らかな陽の光を受けて浮かぶ花びらたち。
光を透かした花びらは、その下の空間を桃色に染め上げて。
――綺麗……。
正座したまま見上げる私の視界には、抜けるような空の青と、花咲の陽光を受けて輝く、鮮やかな桃色。
その一つに、思わず手を伸ばそうとした瞬間。
「そなたの覚悟、しかと受け取った!!」
神楽殿内を支配する神聖な空間も、外の観衆の熱狂すら切り裂くような大音声。
その言葉を発した人物は。
――萩太郎……?
私とともに神楽殿の中央に立ち、白銀杉を背負う萩太郎だった。
――そう、今は、私の神託の儀の最中で……。
起きた奇跡に呆然としていた意識が鮮明になる。
すると、空に浮かんでいた花びらが一つ、また一つと落ち始めた。
「あぁ!山神様の神託が!」
「落ちる前にあの花びらを拾え!!」
「山神様のご加護を!」
神楽殿を取り囲む観衆が叫ぶ。
背後から、玉砂利を蹴散らし、我先にと神楽殿へ乗り込もうと一つしかない門へとなだれ込む音が聞こえる。
視界の端では欄干の隙間から手を伸ばし、必死に花びらを掴もうとする無数の腕も見えた。
――このままでは、観衆が神楽殿へと入ってきてしまいます……!
こんなに大勢の人々が一気になだれ込んできたら、私や萩太郎はもちろん、周囲に控えている父様達や主家の当主達もただでは済まない。
最悪、白梅様までも観衆の巻き添えに……!
「その言葉、違える事を許さぬぞ!!」
再び、全ての空間を引き裂く大音声が発せられる。
そのあまりの声量と声が持つ威圧感に、全ての人々の意識が萩太郎へと集まった。
――今っ!
「ありがたき幸せ……!」
山神様のお言葉に感激しているような声を張り上げながら、再度丁寧に平伏する。
「私は、山神様から頂いた巫術に感謝し、この身、この命共々全てあなたに捧げましょう」
下げた視界の先が落ちた花びらで桃色に染まっていく。
落ちた花びらは、物事が終わりに向かっていることを示しているかのようで。
――そう、これで。
私の神託の儀は、終わる。
「私は、ただ一人、山神様の巫として生きることを、改めて誓います」
そう、頭を上げて萩太郎を……白銀杉を見て宣言する。
白銀杉から風が吹き下りてくる。
その風は、いまだに留まったままだった花びら全てを攫って、巻き上げて、空へと運んでいく。
その最後の刹那。
萩太郎の背後、花びらが一瞬人の形を取る。
それが風の戯れなのか、山神様の現れなのか、私には分からない。
その花びらに誰もが息を止めた瞬間、再び吹いた風が全てを崩して消し去った。
――今のは……。
再び起こったありえない現象に、また神楽殿に緊張が走る。
「っ、かくして、少女陽葵は巫術を賜った!」
今度は爺やの大音声が神楽殿に響き渡った。
「陽葵は賜りし巫術を用いて、この地に住まう人々の安寧と幸福を守られた!陽葵様に感謝を!陽葵様を祖とする、我らが天峰国の長きに渡る繁栄を祈り給え!」
爺やが声を張り上げて、故事の結びの言葉を読み上げる。
はっとした観衆が、爺やの言葉を受けて割れんばかりの拍手をはじめた。
「ただいまをもって、菜乃華の神託の儀を終了といたす!」
間髪入れずに松風様が儀の終了を宣言した。
その言葉を受けて、私は立ち上がる。
そして、やっと周囲を窺う事ができた。
私の右側に座る王族達をぼんやりと眺める。
父様はよくやったと頷きながら私に拍手を送ってくれていた。
中央に座す白梅様も、穏やかな微笑みを浮かべながら拍手をしてくださっている。
けれど、笑みを浮かべた桃色の瞳の奥には、どこかうかがい知れない感情が隠れているような気がして落ち着かない。
更に、白梅様の隣に立つ松風様も、拍手はしてくださっているが、焦げ茶の瞳は鋭く私を睨んでいる。
一方で、槐様はどこか感心した様子で不敵な笑みを浮かべており、あざみ様は仮面のような整った微笑みで拍手をしてくださっていた。
――歓迎、されていない?
回らない思考の中、考えられたのはそれだけ。
そして、少しだけ首を動かして。
「あ……」
熱の籠もった金の瞳とかち合った。
――榊様……!
表情は変わらず、王族として整えた顔のままだ。
けれど、その金の瞳には、隠しきれないほどの羨望と敬意が溢れていて。
――榊様は、祝福してくださるのですね……!
私を見つめる金の瞳に、胸の奥が熱くなった。
「菜乃華、退場せよ」
拍手が鳴り止み、松風様が私に退場を告げる。
その言葉を受けて萩太郎が私の隣に並び、揃って白銀杉に一礼する。
再び鳴り響く拍手をどこか遠くのことのように受け取りながら、萩太郎の手を取って歩き出す。
――終わり、ました……。
あれは、神託だったのでしょうか?
まだどこか痺れた頭で考えようとするけれど、上手く頭が回らない。
門が開かれる。
途端、嵐の中に放り込まれたかのような暴力的な歓声が私を襲った。
――何っ?!
思わず怯み、足が止まる。
「菜乃華様ー!!」
「陽葵様の生まれ変わり!!」
「慈悲を!山神様の慈悲を我に!!」
「祝福を!!どうか祝福を!!」
祝福を、慈悲をと叫ぶ観衆は、声を上げ、手を伸ばし、私の注意を引こうと蠢いている。
――これは、何が起こったのですか……?!
分からない。
こんな声、こんな視線、向けられた事ない。
だって、私は“混じりの仔”として皆から蔑まれて、無視されてきて……。
「聞くな」
耳に届いた聞き慣れた声。
その声にはっとして、顔を上げる。
そこには、手を伸ばす観衆に鋭い視線を向け威圧している萩太郎がいた。
萩太郎が観衆を見据えたまま、僅かに顔を寄せる。
「俺が一歩先を歩く。お前は、俺だけ見て歩け」
そう告げて、返事も待たずに萩太郎が歩き出す。
私は萩太郎に手を引かれながら、一歩踏み出した。
言葉を成さない歓声が、近づいては遠ざかり、また近づく。
それでも、萩太郎に言われたとおり、観衆には目を向けない。
ただ、目の前の灰色の背だけを見つめて歩みを進めていく。
その姿に、脳裏に初めて会った萩太郎の姿が閃く。
彼に初めて会ったのも、ちょうど八年前のこの花咲の季節だった。
――萩太郎の背は、これほど伸びていたのですね。
あの時は、それほど体つきに差は無かったのに。
観衆から私を守ってくれている萩太郎の背が、初めて、こんなにも頼もしく見えた。




