二葉 二十一節 花咲の奉納
辿り着いた神楽殿。
修練時、四方を木扉で囲っていたその場所は、拝殿側の両開き扉を残して全て取り払われていた。
きっと、神楽殿に入ることができない者の為に解放してあるのだな、と現実逃避に似た思考を巡らせる。
――着きました……。
「ふー……」
緊張を吐息で逃がして、威圧感を放つ神楽殿の扉を萩太郎とともにくぐる。
途端に、左右から強い視線が突き刺さるのを感じた。
「っ、」
思わず視線を向けそうになったのを寸でで止める。
何事もなかったかのように、私は正面にある本殿とその向こうにそびえ立つ白銀杉に向かって一礼をした。
そして、左側に作られた高座に座る白梅様の元へ向かう。
白梅様の左側には既にあざみ様が並ばれていたので、私はその反対の右側へと並ぶ。
萩太郎が私の後ろに控えた気配を確認してから、私はやっと扉の左右に控えた者達の顔を見ることができた。
扉の左右に控えていたのは五人。
右側には、緑と青の唐衣を纏った女性が二人。
反対の左側には、紺、茶、濃灰の狩衣を纏った壮年の男性が三人、跪拝して控えている。
そして、紺の狩衣を着て地面に視線を落としている男性を、私はよく知っていた。
――楮乃家のご当主、蘇芳様……。
ということは、あの五人が五大主家の当主達なのだろう。
――萩太郎は、大丈夫でしょうか……?
背後に控える萩太郎の気配を探る。
けれど、背後の気配は不自然なほど凪いで、静かなままだった。
――気にしてない、ということでしょうか?
分からない。けれど。
私は、主家の当主達からそっと視線を外した。
正面に見える神楽殿の中央では、柔らかな日差しとともに外から舞い散った桜の花びらがひらひらと落ちている。
そんな、どこか幻想的な光景を見ながら、私は柔く微笑みを浮かべた。
――私の一挙手一挙動は、主家当主の方々に見られている……。
今、気を抜くわけにはいかなかった。
気を引き締めた瞬間、再度神楽殿の扉が開き、豊かな緑髪の女性を伴って槐様が神楽殿へと入ってくる。
そして、私と同じように本殿へ一礼した後、あざみ様の横へと並ばれた。
――あの女性が槐様の奥様で、榊様のお母様……。
豊かな緑髪を見て、咄嗟に脳裏に蘭寿様の姿が浮かんだ。
そういえば、槐様の奥様は紬家傍家の出と聞いている。
――似ているのも納得ですね……。
そう一人心得ていると、父様が爺やを伴って神楽殿へと入ってくる。
そして、同じように一礼をして私の右隣に控えた。
慣れた気配に少しだけ体から力が抜ける。
詰めていた息を少しだけ吐いた瞬間、最後の一人、榊様が神楽殿へと入ってきた。
その手に、綺麗に装った蘭寿様の手を乗せて。
「っ……!」
似合いの二人の姿に、胸の奥が痛く締め付けられた。
――落ち着きなさい。分かっていた事でしょう?蘭寿様が榊様の婚約者だということは……!
そう言い聞かせてみても、奥に残った痛みはなかなか消えない。
ただ、浮かべた微笑みを崩さないよう、必死に顔を整えたまま一礼する二人を視界に捉えていた。
そして、礼を終えた二人が頭を上げこちら側に体を向ける。
蘭寿様の深緑の瞳が、一瞬優しげに揺れた。
それと同時に、気づく。
――あ……。
蘭寿様の頭を彩る髪飾り。
その一つが、あの襲撃の夜、私が彼女に差し出したもので。
――大丈夫、あの夜を、あの出会いを、二人とも忘れていません……。
たとえ、榊様の金の瞳と一切視線が交わらなくても。
私の前を通り過ぎる二人に、私は視線を送らない。
やがて最後の二人が待機場所に着いたところで、松風様が一歩前に進み出た。
「これより、花咲の奉納をおこなう」
その声とともに、神楽鈴を持ったあざみ様が神楽殿の中央へと進み出る。
花咲の奉納は、深眠の季節に眠りについた山神様が目覚められたことを王族一同で感謝する季節の奉納だ。
そのため、まずは次期女王候補であるあざみ様が神楽を舞い、その次からは年齢順に槐様、父様、榊様とそれぞれが剣舞や扇舞を奉納し、最後に白梅様が感謝の祝詞を上げて終了となる。
私の神託の儀はその後で、花咲の奉納も、正式な王族と認められた来年から参加することになる。
――花咲の奉納……。皆様、一体どんな舞をするのでしょうか……?
初めて参加する神事にときめきながら、少しだけ自身の立場を忘れて、私は僅かに身を乗り出して神楽殿の中央で佇むあざみ様を見つめた。
風が止み、最後の花びらが床に落ちる。
静寂に包まれた瞬間、笛の音が一音、静寂を破くように鳴り響く。
その音を聞いてあざみ様が強く神楽鈴を打ち鳴らした。
「久方の」
松風様が、笛の音に乗せて目覚めの喜びを歌いだす。
それに応えるように、あざみ様がもう一度神楽鈴を打ち鳴らして、両手を広げる。
ふわりと、あざみ様の足下の花びらが舞い上がった。
「……っ?!」
風もなく舞い上がった花びらとともに、あざみ様の体から舞い散った光は、緋色。
……襲撃者と巫術の光と同じ色だった。
――どういう、事ですか……?!
ふわりふわりと舞い続ける花びらと、緋色の光。
花びらは、あざみ様が風の巫術を使って操っているのだろう。
頭の冷静な部分がそう分析するけれど、目の前の光景を現実と受け入れてくれない。
「光 溢るる」
松風様の朗々とした声が耳を通り抜ける。
あざみ様はたおやかに舞ながら神楽鈴を鳴らし、巫術で花びらを舞い上げている。
舞い散る花びらの中楚々と舞い踊る射干玉の髪の女性に、周囲は感嘆のため息が溢れているけれど、私はそれどころではなくて。
――あざみ様が、あの襲撃者……?!
あの襲撃者の光は微かにしか捉えられなかった。
けれど、今目の前のあざみ様の光は襲撃者の光ととてもよく似ていて。
――でも、あの襲撃者は男でした……。
榊様と組み合ったあの男を、忘れるはずがない。
何故、どうして、と狼狽えている間に、笛の音が早いものに変わっていく。
はっとして舞台へ視線を向けると、今まさに舞手があざみ様から槐様へと変わるところだった。
「花咲く日」
松風様の声とともに、どんどんと二回、太鼓が打ち鳴らされる。
その音とともにあざみ様が下がり、真剣を抜いた槐様が、滑るように神楽殿の中央へ進み出る。
そして、再度打ち鳴らされた太鼓の音に続いて、真剣が振り下ろされた。
その瞬間、剣筋の後を追うように放たれた炎とともに、槐様の体から巫術の光が舞い散る。
火花とは違うその光の色は、あざみ様と同じ、鮮やかな緋色だった。
「えっ……?!」
思わず漏れた小さな声は、私以外、誰にも拾われることなく空気に溶けて。
――槐様も、同じ緋色の光……?!
そんな、今まで異なる色の光しか見てこなかったのに、と食い入るように槐様の光に見入る。
すると、槐様の光の方があざみ様の光より、一段濃い緋色である事に気づいた。
けれど、襲撃者の僅かな緋色の光が、一体どちらのものなのかは判断できない。
そもそも、榊様を襲ったのは男で、と考えたところで、榊様と組み合った男は一切巫術を使わなかった事を思い出し、戦慄する。
――稲妻の巫術を使った者と、榊様を襲った者は別人……?
そして、稲妻の巫術の使い手はあざみ様、槐様のどちらか。
稲妻の巫術は水繰りの巫術の一つ。風を操るあざみ様も、炎を操る槐様も、稲妻の巫術を使える可能性はある。
どちらかは分からない。けれど、どちらかが襲撃者と繋がっている可能性は高い。
「目覚めし時は」
そう考えている間にも、松風様の歌は続いていく。
そして、舞手が槐様から父様へと交代する。
その一瞬、槐様と視線が合った。
「……ふ」
「……っ?!」
漏れた微笑の声と微かに持ち上がったその口角に、心臓が早鐘を打つ。
――私を、見ていた……?!
一瞬合ったと思った視線は、僅かな時間で逸らされて。
――槐様の真意は分からない。けれど……!
なんとかして、榊様に光の事を伝えなければと思考を巡らす。
父様が放つ新緑の光を目に捉えつつ考えるけれど、一向に良い案が浮かばない。
「飽かず嬉しさ」
そして、最後の句を朗々と歌い上げる松風様の声とともに、舞手が最後の榊様へと渡る。
神楽殿の中央に進み出た榊様から、一際強い白金の光があたりに広がる。
「ほお……」
それと同時に、強く舞い上がった花びらとともに力強く舞い始めた榊様に、周囲から感嘆の声が漏れた。
風の巫術で花びらを舞上げ、水繰りの巫術も使っているのだろう、僅かに放出された水滴に光が反射して、奉納の終わりに相応しい華やかな舞を披露していた。
「さすが、巫術の申し子……」
誰かが漏らした声が耳に届く。
それに頓着すること無く、私はただ、一心に舞い続ける榊様を見つめ続けた。
――気づいてください、榊様……!
太鼓が打ち鳴らされ、最後の笛の音が鳴る。
中央で舞う榊様が腕を大きく振り上げ身を翻し、額ずこうとしたその一瞬。
金の瞳が私を捉えて、一瞬大きく見開かれた気がした。
――気づいてくださった……?
分からない。けれど、榊様ならきっと何かを察してくれたはず。
今はただ、そう信じるしかなかった。
最後の笛の音が消える。
額ずいた榊様の頭が上がり、立ち上がった。
控えの場に戻る榊様の金の瞳と、視界が交わる事は、無い。
そして、榊様と入れ替わるように、白梅様が中央に向かい、本殿を向いて手にした扇を掲げ頭を下げた。
「花咲の、光満ち溢るる中、目覚めましたる尊き御恩を、仰ぎ尊び申す」
白梅様が結びの祝詞を上げた。
最後の一言を白梅様が結んだ、その時。
白銀杉が、強く光を放った。
「あ……」
小さく漏れた声は、白銀杉から吹き下ろされた山風に乗って周囲に溶けて消える。
――山神様が、応えてくださった……。
この光は、私にしか見えていないけれど。
山神様は、確かにいらっしゃる。
観衆が打つ万雷の拍手の中で、私はただ、山神様の存在を強く目に焼き付けた。
「では、次に神託の儀を行う!」
拍手が鳴り止み、松風様の厳かな声が神楽殿に響き渡る。
私は、静かに立ち上がり、背後の萩太郎へと視線を向けた。
萩太郎は小さく頷いて、私の得物である薙刀を手渡した。
そして、私の手を取り、神楽殿の中央へ。
足先に伝わる板の間の感触を確かめながら、私は薙刀の刃を萩太郎へ向ける。
萩太郎はそれを確かめてから、腰に差した刀を抜いて構えた。
真剣を向けあいながら、静止すること少し。
一枚の花びらが、私達の間に静かに落ちた。
「はっ!」
「やぁ!」
それを合図に、薙刀と剣を交える。
甲高い金属同士がぶつかる音とともに、私の神託の儀が始まった。




