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【第二部完結】天峰国物語 ―混じりの姫は世界の真実を追う―  作者: 音下 希乃
二葉 神託の儀

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二葉 十九節 顔合わせ


 爺やと萩太郎の手で襖が開かれる。

 廊下よりも一段と暖かな空気が頬を撫でた。


「失礼いたします」


 父様の言葉とともに歩みを進め、白杉の間に入る。

 背後で静かに襖が閉められた。


「……」


 父様と並び立って、部屋の中を進んでいく。

 部屋の中に居るのは五人だけ。

 五人とも、王族を示す濃紫の単を身につけている。

 違うのは、その上に纏った上着の色。

 三人は父様と一緒の黒の狩衣。

 残りの一人は、紅色の私と同じ唐衣。

 そして正面の高座には、ただお一人。

 唯一その身に着けることを許された、白き唐衣を纏ったお人が座っている。

 父様と二人、そのお人の正面まで歩み寄り、跪拝した。


「主上」


 父様の硬く、地に響くような声が耳を打つ。


「私、天峰柊哉、此度神託の儀を迎える我が娘、菜乃華を連れて参りました」


 父様の言葉を受けて、小さく息を吸ってから言葉を紡ぐ。


「菜乃華と申します。初めてお目に掛かります、白梅様」

 歌うように。けれど、声を揺らさないように。

 緊張している事を悟られないように。


「顔を上げてください」


 たおやかで、優しい、けれど華奢な声が掛かる。

 父様と合わせてゆっくり顔を上げる。

 光の巫具から放たれる強い光が瞳を刺した。

 眩む目を閉じないように、高座に座る白梅様に顔を合わせる。

 天峰白梅様。御年五十二歳。

 優しげに弧を描く桃色の瞳。深く刻まれた目尻の皺がより柔和な印象に感じる。

 濃い焦げ茶に浮かぶ白髪は年齢によるものなのか、それともーー。


「初めまして。私は天峰白梅」


 穏やかな声で語りかけながら、笑みを深める白梅様。


「さぁ、二人とも、お立ちになって」


 その言葉に、父様と二人立ち上がる。

 少しだけ近くなった白梅様と向かい合って、私を静かに観察していた白梅様の目が僅かに歪む。


「そう……あなたがヘレナ姫の……」


 その瞳に浮かぶのは、憐憫の情。

 一瞬浮かんだその感情を、私は見つけてしまった。


「……あなたに会うのを、楽しみにしていたのですよ」

「私に、ですか?」


 憐憫の情を消して、優しげに微笑みながらそう告げた白梅様に思わず返答してしまう。

 白梅様の隣に立つ男性から、咎めるような強い視線が向けられた。


「えぇ……。ヘレナ姫には悪いことをしました。せめて、あなたは幸せになってくださいね……」


 そう言って目を伏せ裾で口元を隠してしまった白梅様に、一瞬で血が頭に上る。


 ――せめてあなたは、ってまるで母様が不幸だったかのような言い方っ!


 胸の中を怒りに似た感情が渦巻く。

 それをぐっと飲み込んで、私は笑みを浮かべた。


「……お優しいお言葉、ありがとうございます」


 白梅様を真似て、柔く微笑んで頷く。


 ――父様が言っていた「覚悟がない」とはこのことでしたか……。


 この方は……白梅様は、お優しい方なのだろう。

 優しすぎるから、異国の母様の人生を自分の事のように背負い込み……その境遇を憐れみ、後悔に塗れている。


 ――この方が、今の天峰国の女王……。


 年々弱くなる巫術。

 獣の姿をした執行人。

 女王の目をかいくぐるように暗躍している、楮乃家に薬を流した薬師。

 そして、路地裏で力なく虚空を見つめていた孤児達。

 その全てを、この方は自分一人の責任だと思って背負っている。


 ――お労しい……。


 思わず、憐れんでしまう。

 その感情が視線に出てしまったのか、白梅様の隣に立つ男性からの視線がより一層強くなった。

 その視線を受け止めて、私は男性と向かい合う。

 緑の髪には、年齢を感じさせる白髪が目立つ。私を強く睨む焦げ茶の瞳の周りに強く刻まれた皺は、白梅様の柔和な印象とは対になるように神経質で気難しそうな印象を私に与えてくる。


「松風様、こちらが我が娘、菜乃華です」

「初めまして、松風様。菜乃華と申します」


 父様の声に合わせて頭を下げる。


 ――この人が、松風様……。


 御年五十四歳。壮年にさしかかる年齢にもかかわらず、その立ち振る舞いは、一本芯が通ったようにぶれがない。

 この方が体の弱い白梅様に代わり、国政を差配する王配であり。

 天峰国初の国王擁立を強く望む、榊様のお祖父様だった。


「……面をあげよ」


 下げた頭の上から重苦しい声が落ちてくる。

 顔を上げ、松風様と対峙する。

 強く睨む瞳は変わっておらず、松風様は厳しい顔で私を睨んだままその場に佇んでいた。

 その視線に怯むことなく、私は松風様と目を合わせ続ける。


「……無事、山神様の神託を得られると良いな」


 告げられたのはたった一言、それだけ。

 その言葉の端々から、真にそう思っていないことは明白に伝わってきて。


 ――松風様にとっては、私が神託を賜らない方が都合が良いですものね?


 私が神託の儀を失敗することで一番得をする人はこの人だ。


「お言葉、ありがとうございます」


 そんな気持ちをおくびにも出さず、私は鮮やかに笑って感謝を述べた。

 ほんの僅かに、松風様の気配が揺れる。


 ――私の笑みに、怯んだ?


 一瞬だけ彼の視線が、私の髪に挿した母様の組紐に落ちた気がした。

 いや、私のような小娘の笑みが松風様を怯ませるとは考えづらい。

 気のせいだろうと、父様とともに一礼してお二人の前を辞した。

 次に向かうのは、高座の右隣で一人佇む、紅の唐衣を着た妙齢の女性。

 蘭寿様とそう歳が変わらないその女性の前で、私と父様は再び頭を下げた。


「あざみ様、こちらが我が娘、菜乃華です」

「初めまして、あざみ様。菜乃華と申します」


 下げた視界の先にある鮮やかな紅が目に痛い。


「顔を上げてください」


 白梅様によく似たたおやかな、鈴を転がすような声が掛かり顔を上げる。

 射干玉(ぬばたま)の見事な黒髪を一つに束ね、豪奢な釵子(さいし)から垂れた組紐が見目麗しい顔を品良く彩っている。

 目元に差した、瞳と同じ赤色の紅がより涼やかな顔に映えた。


「菜乃華様、お会いできるのを楽しみにしておりました」


 ゆるりと弧を描いた瞳に、楽しみと言葉の通りに跳ねる声。


「今日は緊張されると思いますが、いつも通りに励めば山神様は応えていただけますよ」


 そう言って、笑みを深めるその人は。


「ありがとうございます、あざみ様」


 天峰あざみ様。御年二十三歳。

 現在、唯一の次期女王候補。


 ――私は、これからこの方と比べられるのですね。


 そして、逆にあざみ様も私と比べられる。

 それが、少しだけ申し訳なく感じた。

 父様と合わせて一礼し、目の前を辞す。

 そして、背後を振り向き、高座の左隣に立つ二人に続けて頭を下げた。


「槐様、こちらが我が娘、菜乃華です」

「初めまして、槐様。菜乃華と申します」

「面を上げよ」


 私が言い終わるより先に声が掛かり、顔を上げる。

 濡羽色の髪に濃い赤の瞳。しっかりと鍛え上げられ威圧感のある体。


 ――この方が、天峰槐様。


 母様をアルメリアから連れてきた張本人。

 顔を合わせたらもっと複雑な気持ちになるのかと思っていたけれど。

 不思議と心の内は静かに凪いでいる。

 それよりも。


「……」


 槐様の瞳が、私を頭の上からつま先まで念入りに観察している。

 特に、顔の横に垂れる母様が組んだ組紐により視線が注がれている気がして。

 ただ、居心地が悪かった。


「あの……」


 思わず声を掛けてしまった。

 その瞬間、瞳が丸く見開かれる。


「あぁ、済まない……」


 謝罪の言葉の後、小さく呟かれた言葉が聞き取れなかった。


「今日の良き日を迎えられた事を言祝がせてもらおう」


 言祝ぎの言葉の後も、槐様は何かを探るように私を見つめ続けたままで。


 ――私のことを、どうしてこんなに……?


 探っているのは誰かの……母様の、面影?


「ありがとうございます」


 その考えに至った瞬間、居心地の悪さが最高潮に達して、手早く感謝の言葉を返し目の前を辞した。

 そして、最後の一人。

 槐様の隣に並ぶ、金の瞳の少年の前に父様とともに進む。

 視線を交わす間もなく、静かに頭を下げた。


「榊様」


 父様が彼を呼ぶ声に、心臓が跳ねる。


「こちらが我が娘、菜乃華です」

「……初めまして、榊様。菜乃華と申します」


 声が震えないように、慎重に口を開いたら一拍遅れてしまった。

 この跳ね続ける心臓は、緊張のせいなのか。

 それとも、やっと側に行けることの喜びなのか。


「……面をあげよ」


 何度も頭の中でなぞった声が頭上から響く。

 焦らないようにゆっくり顔を上げた瞬間、ぬくみのない金の瞳が私を射貫く。

 熱く騒いでいた体の芯が一気に冷えた。


「ふぅん……。君が例の“才なしの混じり”か」


 優しさの欠片もない、氷のように冷えた声が私の耳を穿つ。


「巫術を持たない君に、山神様が応えてくれるか知らないけど……まぁ、いい」


 その言葉とともに浮かんだ冷えた笑みは、嘲笑そのもので。


「“山神様の神託を賜らんことを”」


 嘲笑と共に形式通りに投げつけられた言葉に、心の奥が強く軋む音が聞こえた気がした。


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