二葉 十七節 母様の組紐
朝食を終え、向かった拝殿の一室。
私に与えられたその部屋で、私は一人、神託の儀までの時間を過ごしていた。
「はぁ……」
改めて、私に準備された部屋を見渡してため息を吐く。
狭い畳敷きの部屋に一つだけ置かれた厚畳と衝立。厚畳の上には、クッション代わりに使えと質素な座布団が置かれているだけで、それ以外の調度品は何もない、かなり殺風景な部屋だった。
あまりの光景に、なずなが「せめて香だけでもとって参ります!」と部屋を飛び出してしまったため、今この部屋に居るのは私だけ。
――これも、他の侍女からの嫌がらせなのでしょうね。
お前みたいな“混じりの仔”を王族として認めない、と言外にこちらへ伝えているのだろう。
「少し窮屈でしたけど、庵で着替えを済ませてきて正解でした」
本来なら、この部屋で正服に着替え、白梅様達との顔合わせまでこの部屋で過ごす予定だったのだ。
けれど、昨日の夕方に爺やから「そこまで質が下がっているとは思いたくはないが……、正服になにか仕掛けをする輩もいるかもしれませぬ」と言われ、急遽正服を蝋梅の庵に運び入れてそこで着付ける事にしたのだ。
王族の色である濃紫の単、私と父様の瞳の新緑の唐衣、黒の切袴と、正服はいつもの私服より動きづらい。正服を着て歩く庵から拝殿までの道は本当に歩きづらくて、爺やの忠告を恨むほどだったけれど……。
――忠告を受け入れて良かったです。
この部屋の様子を見るに、正服を置いていたら間違いなく何かされていた。
ひとまず、と衝立を動かして間仕切りを作り、唯一準備されていた座布団の上に正座する。
なずなに丁寧に梳かされ一つに纏めた髪に落ち着かないものを感じながら、今日の神事について思考を巡らせる。
今日行われる神事は私の神託の儀だけではない。
神託の儀の前にまず、毎年行う「花咲の奉納」が行われる。
花咲の奉納は、深眠の季節に眠りについた山神様が目覚められた事を喜び、新しき一年を迎えられることの感謝を山神様に奉納する為のものだ。女王以外の王族が神楽や演舞を奉納することで感謝を捧げる。父様も毎年この時期には書庫殿を留守にし、奉納を執り行っていた。
――幼い頃は「私も見に行く!」と泣いて喚いて父様を困らせていましたね……。
今になって恥ずかしさがこみ上げてくる。
緩く首を振って気恥ずかしさを誤魔化して、私は今日の予定を脳裏に思い浮かべる。
花咲の奉納は昼、一番太陽が高く昇る時間に行われる。
私は正服に着替えてから拝殿中央の閲覧の間に向かい、白梅様を筆頭とする他の王族の方々と初めて顔を合わせる。そこで、初めて王族として女王に挨拶をするのだ。
――女王、天峰白梅様……。
父様が『女王たる覚悟を持てなかった』と言われた方。
私が白梅様と交流を持ったのはたった一回。
蝋梅の庵を見つけたときに「見つけた貴女が使いなさい」と書かれた一筆箋をもらった事、ただそれだけ。
一筆箋から柔らかに香った梅の香りはいまでも覚えている。
「お優しい方だと良いですね……」
ぽつりと呟いたところで、膝にじんわりとした痛みが走る。
視線を落として確かめれば、用意されていた座布団の綿がへたっており、床の硬さが直接膝に響いているのだと気づいた。
「石畳に跪くのに比べたらましですが……」
細かなところにまで仕込まれている“混じりの仔”に対する悪意に気分が落ち込む。
――本当に、私はこの宮廷で巫の勤めを果たせるのでしょうか……?
“混血の王族として山神様の巫になる”
そう誓った気持ちに嘘はない。
けれど、こうも多くの人々から存在を認めないと突きつけられて平気な訳ではない。
「榊様……」
そっと胸に手を当て、目を閉じる。
“俺は、ずっと菜乃華の味方だから”
鼓膜を揺らしたあの声を、今でも鮮明に思い出せるのに。
――今、私の周りには、誰もいな……。
「菜乃華様!ただいま戻りました!」
悪い方へ転がり落ちそうになっていた思考を、なずなの弾む声が遮る。
「なずな……」
「遅くなってしまい、すみません。蝋梅の庵に向かう際にちょうど爺様とお会いしまして……」
「爺やと?」
父様に付いているはずの爺やが何故?と思っていたら、なずなが軽く頷いてから続きを話しだした。
「えぇ。なんでも柊哉様が菜乃華様にお渡しするはずだったものを忘れていたらしく……。書庫殿に取りに行くところだったそうです」
「そう……」
「はい。私も、菜乃華様の部屋が酷くて香か何かを取りに行くところですとお伝えしたら『主を一人にするでない!』と叱られてしまいました……」
分が悪そうになずなが項垂れる。
「菜乃華様、お一人にしてしまい、すみませんでした……」
「大丈夫よ。この部屋には誰も来ませんでしたから。それよりも……」
首を傾げながら、なずなの腕の中にある箱に視線を向ける。
「父様が渡したかったものって、その箱ですか?」
「えぇ。柊哉様の正服を入れていた衣装箱の中に合わせて仕舞っていたと。どうぞ」
「これは……」
手渡された箱の意匠を見て、心臓が跳ねる。
両手で受け取ったそれは、上蓋中央に空色の宝石がある、精緻な花模様が彫られた飴色の箱。
……アルメリアの……母様の箱、だった。
「母様の……」
無意識に呟いた言葉とともに、上蓋に指を伸ばす。
微かに震える指で留め金を外すと、ぱちりと軽い音がして上蓋が開く。
膝の上に小箱を置いて、両手でそっと上蓋を持ち上げた。
「これは……」
入っていたものを大事にそっと持ち上げる。
ふわりと、花の香りが漂った。
「組紐……」
そこに入っていたのは二組の組紐だった。
母様が組んだのだろう、金と黒と青藍で仕立てられたその組紐は、私が今日着ている濃紫の正服と見事に調和が取られたものだった。
けれど、それ以上に目を引いたのは、その色だ。
組み紐の中で青藍と黒の中に溶け込むくすんだ金色。
私の髪と同じ香色。
そして青藍は――萩太郎の髪の色。
「……母様が、私たちに……?」
記憶の中の母様が、これを組んでいた記憶はない。
だから、私が知らないところで少しずつ少しずつ組んだのだろう。
晴れ舞台に立つ私と萩太郎への、ささやかな贈り物として。
「……母様っ」
――今日、この姿を母様にも見て欲しかった……!
滲んだ視界の中で、金色が揺れる。
私は目を閉じ、母様へと思いを馳せる。
ふわりと花の香りが強くなる。
何故か、母様に抱きしめられたような気がした。
「……なずな」
「はい、菜乃華様」
静かに私を見守ってくれたなずなに、私は組紐の一つを手渡す。
「これを萩太郎へ。二本あるのはきっと、『揃えて着けて欲しい』という、母様の願いです」
なずなは丁寧に組紐を受け取って、壊れ物を扱うかのようにそっと袂へしまい込んだ。
「かしこまりました、菜乃華様。少し席を外します」
優しく微笑んで、なずなは素早く踵を返す。
そして、萩太郎が控える部屋へと向かった。
部屋の戸が閉まり、私は手元に残った組紐を大切に握り込み目を閉じる。
――私はもう、大丈夫です、母様。
たとえ、宮廷の皆から祝福されなくても。
私は、私のままで、この宮廷を生きていきます。
目を開ける。
殺風景な部屋の中、花咲の柔らかな陽光だけが私を優しく照らしていた。




