二葉 十六節 早朝の邂逅
鳥が鳴いている。
その声とともに、眠りに沈んでいた意識がゆっくりと浮上した。
「……朝」
小さく呟いて身を起こす。
部屋はまだ暗く肌寒い。
私は、続きの間で寝ているなずなを起こさないよう、そっと身支度を調えて部屋を出た。
そのまま書庫殿の入り口に向かい外へと向かう。
扉を開けた瞬間、朝靄が立ち込めていて視界が白く染まる。
――陽が昇れば、朝靄も綺麗に晴れると思いますが……。
先が見えないこの状況が、私のこれからを暗示しているように思えて、気分が沈む。
これではいけない、と軽く頭を振って、私は本殿へ向かおうと歩き出した。
「おい」
後ろから声が掛かる。
驚きながらも、私は身を翻して構えを取った。
「こんな時間に、どこに行く」
「萩太郎……」
朝靄の向こうから現れたのは道着を着た萩太郎だった。手に竹刀も持っているから、どうやら朝稽古をするために外に出たのだろう。
分かりやすく「会いたくなかった」と書いてある顔で、萩太郎は憮然とその場に佇んでいる。
「おい、黙ってないで答えろ」
「……本殿へ、白銀杉を参りに」
「白銀杉?今から?」
「何をしようが、私の勝手でしょう?もう行きますから」
そう言って、本殿に向かおうとした私の背後から「はぁ……」と大きなため息が聞こえた。
次の瞬間、私の横を白の道着が横切っていく。
あ、と思った瞬間には、萩太郎は私の数歩先を歩いていた。
「あの、」
「俺も行く」
一言そう告げて、私を振り返らず萩太郎は歩み出す。
その背を小走りに追いかけつつ、私は彼に問いかけた。
「どうして、あなたはそのまま朝稽古でもしていれば……」
「……はぁ。……昨夜、榊様から『俺を離すな』と言われたのをもう忘れたのか」
「っ?!な、なんでそれを、あなたが!」
萩太郎の言葉に、思わず足が止まる。
足音が止まったことに気づいた萩太郎が、呆れた顔をしながらこちらを振り返った。
「お前の髪は、夜でも光があれば嫌でも目に付く。上の板の間からも光って見えたぞ」
どうやら、寝れずに夜風に当たっていたのは私だけではなかったらしい。
まさか見られていたなんて、と私は小さく唇を噛みしめる。
「それで、私を付けた、と?」
「付き人、だからな」
悔し紛れに呟いた私の言葉に、当てこすりのように付き人を強調して答える萩太郎。
私を馬鹿にするかのようなその言い方に、一瞬で血が上る。
――少し前までは私が何をしようとも付いてこなかった癖にっ!
「そうですか!では、黙って付いてきてください!」
そう言い放って、私は小走りで萩太郎の脇を通り抜けた。そのまま足を止めることなく本殿へと向かう。
登りになった山道を、私は小走りで駆けていく。
私にとっての小走りも、萩太郎にとっては歩くのと変わらないのだろう。
少し息の上がりはじめた私と違って、萩太郎の息はほとんど乱れていない。
――本当に、いけ好かない人ですね!
本当は走って振り払ってしまいたいけれど、そうすれば神託の儀の体力が残らない、と私は歩みを弛めた。
息を整えている私の横に、追いついた萩太郎が並ぶ。
私は萩太郎と視線を交わすことなく、ただ淡々と歩みを進めた。
「お前、いつ榊様と知り合った?」
「え?」
もうすぐで本殿、というところで黙っていた萩太郎が口を開く。
その言葉に、私の足が止まった。
「巫術を発現されてから、榊様は修練の場に来たことはない。槐様の二の舞を恐れた松風様が、幼少の頃から直接指導されているからだ」
私の数歩先で萩太郎の足が止まり、振り返る。
「いくら榊様と歳が近いとはいえ、松風様が“混じり”のお前と榊様の付き合いを認める訳がない」
私を青藍の瞳が強く射貫く。
「お前と榊様の間に何があった。話せ」
「それは……」
――萩太郎に、話しても良いのでしょうか。
お忍びで蝋梅の庵に来た榊様の事を。
榊様に教えてもらった目の力の事を。
……最後の夜に交わした約束の事を。
――嫌。
あの決意に満ちた金の瞳を、熱い吐息とともに託された願いを、私を蔑ろにし続けたこの人に、教えたくない。
そっと、私を見据える青藍から視線を外した。
「……今日の、神託の儀を終えたら伝えます」
そのまま、萩太郎を見ることなく横を通り過ぎる。
そのまま本殿へと向かった私の後ろを、萩太郎は黙ってついてきた。
「そこで止まってください」
最後の鳥居をくぐり抜けた萩太郎にそう告げる。
萩太郎は文句を言うことなくその場に留まった。
それを見届けて、私は歩みを進める。
本殿のすぐ手前、白銀杉に一番近いところで歩みを止め、見上げる。
白銀杉は、初めて見たときと全く変わらずに、白く淡く輝いている。
――私だけが知る、山神様の存在。
たとえ、私に巫術を授けてくれなかったとしても。
私は石畳に跪く。
背後の萩太郎が動揺する気配が伝わってきた。
「山神様……」
両手を組み、額をつけ、目を閉じる。
「今日、この日まで、私を慈しみ育ててくださった事……感謝いたします」
閉じた瞼の右側から強い光を感じる。
朝日が昇ったのだ。
神託の儀が、始まる。
「願わくば、貴方様の神託を賜らんことを……」
背後から風が吹く。
まるで私を応援してくれるような、優しい春告風だった。
「……お待たせしました。戻りましょう」
気の済むまで感謝を捧げて、私は立ち上がる。
痛む膝を誤魔化しながら、私は後ろで待っていてくれた萩太郎に声を掛けた。
けれど、振り返った先の萩太郎は俯いたまま動かない。
「萩太郎……?」
「山神なんて、居るわけ……」
地面を見つめたままの萩太郎がどんな表情をしているか、私からは分からない。
けれど、押し殺し呟かれた声は、まるで怨嗟の声のようで。
「本当に、居るならっ……!」
その言葉とともに、一際強い風が参道を吹き抜けた。
萩太郎の最後の言葉が、大きく鳴った葉擦れの音に消える。
「萩太郎……」
「……終わったなら、帰るぞ」
私の呼びかけを無視して、萩太郎が踵を返す。
そのまま、止まることなく参道を下りはじめた。
「待ってください……!」
声を掛けつつ、萩太郎の後を追う。
――萩太郎は、山神様の存在を信じていない?
巫術を賜っているのにどうして?
「……」
尋ねようと萩太郎の背に手を伸ばし、止める。
――尋ねたところで、話してもらえる訳がありませんね。
彼にとっての私は、自分より下の“混じりの仔”から変わっていないのだから。
――山神様は、萩太郎に一体何をしたのでしょう?
白銀杉を振り返る。
振り返った一瞬、白銀杉が一際強く輝いた気がした。




