一枝 一葉 五節 偽名の少年
「どうぞ……」
「ありがとう…あ、おいしい」
ひとまず、このまま突っ立ったまま話すことでも無いだろう、と私は庵の中に彼を上げた。
あなた、と呼ぶのも居心地が悪かったので名前を尋ねたけど「んー…蝋梅、はさすがに爺くさいから、桜って呼んでくれた嬉しいな」とはぐらかされた。十中八九偽名なのだろうけど、私のことを探してくれた人に突っ込んで聞くことはできなかった。
「森半のお茶かな?ここの家はいい茶葉を作るよね」
「はい、私も好きです」
庵に入って湯を沸かし、常備していたお茶を桜に差し出す。ちなみに、巫術が使えない私でも、巫術が込められた道具である巫具を使えば火を起こして湯を沸かすことができる。巫具と巫術を込めた護符を作るのは楮乃家の仕事であり、萩太郎が助長する理由の一つだ。
ーー嫌な人のことを思い出してしまいました。それより、今は桜様のことに集中。
軽く頭を振って、私もお茶に口を付ける。桜様が言ったように、ここに置いてあるのは森半家から贈られた茶葉だ。森半家は五大主家である薬師寺家直下の家。その家から贈られた茶葉は、本来王族や五大主家本家の人間しか飲むことはできないくらい高価な者で、単なる下っ端の役人だと香りすら嗅いだことはないだろう。
ーーと、いうことは、桜様は少なくとも五大主家以上の身の上であることは確定ですね。
目を伏せつつ、目の前に座った桜様の所作をちらりと盗み見る。きちっと膝が揃えられた正座に、しゃんと伸びた背筋。そして、荒の無い洗練された所作で茶器を持ち上げる姿に、次の花咲の季節から拝殿に入る新人役人という線は完全に消える。
ーーでも、桜様の姿を修練の場で見たことがないのですが。
あの修練の場は、仮にも王族である私が修練をするということで、主家直系の子供達は皆参加しているはず。
そこで見たことが無いということは、桜様は五大主家の人間ではないということ。
ということは、自ずと桜様の身分は察することはできる。
でも。
ーー桜様がどこの人間かは、ひとまず頭の片隅においておいた方がいいのでしょう。
ことりと茶器を置いて、正面の桜様をすっと見据える。
庵に入ってしばらく経つけれど、桜様は帽子を脱ぐ気配がない。
そして、そんな桜の顔は目立つ金色の瞳以外、何故か捉えどこのないぼんやりとした印象でしか捉えられない。
おそらく、かぶったままの帽子に複雑な巫術がかけられていて、桜様本来の姿を認識しづらくしているんだろう。そんな複雑な巫術は聞いたことがないけれど、それこそ、そんな貴重な巫具を持っている桜様がこの神宮内の重要人物であるという裏付けにはなっている。
だからこそ、余計に不可解なことがある。
「……何故、私なのですか?」
「ん?何がだい?」
「先ほどの光の奔流の件です。あなた様ほどの身分なら、他に頼れる方が居るのではないのですか?……わざわざ“混じりの仔”に聞く必要は無いでしょう?」
そう、仮にも傍系王族である私が知らないくらい貴重な巫具を持てる桜様なら、わざわざその巫具を使ってまで天峰国の“異物”で“混じり”である私に会いに来なくても他の人に尋ねることくらい簡単だろう。
それこそ、願えば女王である白梅様にだって謁見できるくらい、高貴な身分であることは間違いないのだから。
その意味を込めて、敢えて“混じりの仔”の単語を含んで伝えると、桜様の金の瞳がすっと眇められた。
その冷徹なまでに鋭い視線に、ぞくっと背筋に冷たい物が走る。
ーーでも、このまま目を逸らしたら駄目。
目をそらした瞬間、桜様は私を見限って姿を消すような気がした。
やっと私にも巫術の片鱗が見えたのだ。このまま何も分からずになかったことにはしたくない。
私は桜様に負けないよう、その目を見返した。
途端に、鋭かった金の瞳がまた柔く緩む。
「へぇ、やっぱり根性あるね」
「……ありがとうございます」
「うん。しかも、僕の立ち位置もなんとなくだけど察しているんだね。賢いな」
萩太郎にはもったいないんじゃない?と小さく呟かれた言葉は静かに流す。
そう言われても、巫術なしの“混じりの仔”である私は楮乃家直系男子である萩太郎に文句の一つも言えないのだから。
ーーあえて聞こえよがしに呟いたということは、私の忍耐力も計っているんでしょう。
人となりを計られている。そして、桜様はそれを息をつくように自然に行える人物である。
憶測だった桜様の立ち位置が私の中で固まった。
「……きみにあれの件を尋ねようと思ったことには、ちゃんと理由はあるんだ」
「……それは、私が聞いてもいいことなのでしょうか?」
一つ一つ、頭の中で桜様に尋ねる言葉を精査してから話し出す。
言葉遣いを間違って桜様の不興を買いたくなかった。
「うん。単純だよ、その光は僕ときみにしか見えてないんだ」
「あなた様と、私、だけ?」
「うん」
桜様は小さく笑って、茶器を手に取り口に含んだ。泰然と茶を楽しむ姿に少し苛ついたけど、小さく息を吐いてそれを流す。
桜様は、わざと情報を小出しにすることで私を試している。
おそらく、次の質問がとても大事になるはず。
考えること、およそ十分。
「桜様」
「なに?」
「それを知ったのは、いつのことですか?」
尋ねた瞬間、桜様の口角がにぃっとつり上がった。
考えたら単純なことだ。
私は、あの光の奔流を今日初めて見た。でも、桜様はあの光が見えるのは、私と桜様、二人だけと言い切る。
それが断定できるということは、私と桜様が周囲に人が居る状況で二人揃ってあの光を見て、そして、互いにしか光が見えていないと認識したということ。
でも、私の記憶にある限り、桜様とおぼしき人物と二人で会ったことはない。
なら、それはいつのことなのか?
そこにこの出会いの鍵があることは間違いない。
「それを聞くんだ。おもしろいね、きみ」
「ありがとうございます、で合ってますか?」
「ふふっ!うん、合ってると思うよ」
楽しげに笑う桜様に、ひとまず試験は合格ですね、と安堵の息を吐く。
これだけ問答に気を遣うのは初めてだった。
「そうだね、問いかけには答えてあげたいんだけど、その質問には答えられないかな」
「なぜ、ですか?」
「それも言えない。ごめんね」
そこが一番重要だろう、と突っ込むとさらりと笑顔で躱された。これは追撃しても意味が無いなと諦めて次の問いかけを投げる。
「あなた様と私だけ、といいましたが、私はあの光を今日初めて見ました。なのに、何故私にあの光の正体を問いかけるのですか?」
「…え、初めてだったの?」
「えぇ」
「……ふぅん。そうなのか……」
そう言ったきり、桜様は黙り込んだ。金の瞳は私を捉えずにどこか茫洋と空中を漂っている。
ーー今は、邪魔しない方がいいですね。
余計な不興は買いたくない。
桜様の思索がまとまるまで、私は無でいる事に徹する。
その時間、およそ五分。
空を漂っていた桜様の瞳がぴたりと私に定まった。
「よし。菜乃華、取引をしよう」
「取引、ですか?」
場違いな取引という言葉に、少しだけ大きな声が出てしまう。
桜様はそれに頓着すること無く話を続ける。
「うん。菜乃華もう察していると思うけど、あの光は巫術に関係しているのは理解できてるよね」
「はい」
桜様の言葉にこくりと頷く。
あの光は桜様が私に癒やしの巫術をかけた時に現れた。なら、巫術に関わる光であることは疑いがない。
「僕はあの光の正体を正確に知りたい。そして、それにはあの光を同じように捉えられるきみの力が必要だ」
「それは……」
「だから、取引だ。きみは毎日修練をしてこの庵に来るだろう?そのときに今日みたいに癒やしの巫術をかけてあげる。きみはその光をよく観察して気づいたことを僕に教えてほしい」
私には大逸れたことです。引き受けられません。
言おうとしたその言葉は、私の言葉を遮った桜様の次の言葉に遮られた。
「どうだろう、きみにも利があるはずだよ?」
「利、ですか?」
「うん。その巫術を捉える瞳の力、僕の巫術を見ることで強化できるとしたら?そうしたら、他の人のもいずれ見えるようになるかもしれないよ?」
その言葉にはっとする。
私は、桜様の巫術だからあの光が見えたのだと思っていた。
確かに、その力を使いこなすことができたら。
巫術にまつわるあの光の正体を詳しく知ることができたら。
そして、神託の儀でその力を示すことができたとしたら。
私の考えに気づいたのだろう、目の前の桜様が楽しそうに笑った。
「取引成立、でいいかな?」
「……はい」
もしかしたら、この瞳の力は巫術ではないのかもしれない。
でも、もし使いこなすことができ、さらに神託の儀で山神様に認められたとしたら。
これは、私に残された最後の希望だ。
桜様の取引を断る理由はなかった。
「よろしくお願いします、桜様」
言葉とともに、桜様に向かって深く頭を下げる。
頭を下げて見えないはずなのに、桜様の金の瞳がゆるりと楽しげに弧を描いたのが見えた気がした。




