二葉 十四節 貴方は貴方のままで
萩太郎と剣を交えて、数刻。
高い位置にあった陽が欄干の縁に掛かるようになった頃、私はせりに続いて父様の私室へと向かっていた。
「せり、萩太郎は今、どうしていますか」
「そう、ですね……」
私の問いに、せりの言葉が詰まる。
歯切れの悪いその答えに、まさか薬の揺り戻しがきたのかと不安になった。
「まさか、また意思が……」
「いえいえ!まだ本調子ではなさそうですが、無事に回復しておられます!受け答えもしっかりしております」
慌てて首を振って否定するせりに安心するも、ではどうしてすぐに答えなかったのだろう?と疑問が残る。
「あー……萩太郎様、というよりも爺様が、」
「爺や?……あぁ」
――萩太郎は楮乃家嫡男ですものね……。
言葉とは裏腹に、一切笑っていなかった爺やの紺の瞳を思い出す。
楮乃家と因縁がある爺やの事だ。溜まりに溜まった何かを萩太郎にぶつけていてもおかしくない。
――本当なら、主として萩太郎を助けに行くのが正しいのだと思うのですが……。
「……爺やが付いてるなら大丈夫ですね」
そう言って、私はせりに微笑んだ。
――爺やなら分を弁えているでしょうし、大丈夫でしょう。
今まで散々敵意を向けられていたのだ。
そんな相手を助けに行くほど、私は優しくない。
「菜乃華様……」
「えぇ、爺様が付いているなら大丈夫ですよ!」
何か言いたげなせりと、私の背後で大きく頷いているなずな。
そっくりな二人の対照的な態度に、思わず笑みが零れる。
「ふふっ!……まぁ、せりが私の元へ返されたのなら、爺やのお説教も佳境を迎えたのでしょう?なら、萩太郎もまた父様の部屋に呼ばれているでしょう。薬の揺り戻しがないならそれで良いです」
そう話していたら、ちょうど父様の部屋へと着いた。
私は緩んでいた気を引き締める。
そんな私を見たせりとなずなも、笑みを消して真面目な表情になった。
「柊哉様、菜乃華様をお連れしました」
「どうぞ、入って」
せりの呼びかけに父様が答える。
なずなが私の前に回って戸を開いた。
「父様、まいりました」
「うん、お帰り。十分休めたかい?」
「えぇ、しっかり休ませてもらいました」
父様と言葉を交わしながら部屋を見渡す。
椅子に腰掛ける父様の左隣、そこには思った通り、萩太郎が座っていた。
多少体に力が入っていないように見えるけれど、私を見返す青藍の瞳には強い意志の籠もった光が宿っていて、安堵する。
――あぁ、本当に萩太郎は戻ってきたのですね。
見慣れた敵愾心の籠もった視線に、やっと実感が湧いてきた。
「萩太郎、体調はどうですか?」
「……悪くない」
――……答えが返ってきました。
萩太郎の返答に思わず目が丸くなる。
良くて無言、悪くて「何でお前なんかに言わなきゃいけねぇんだよ」と悪態をつかれるかと思っていたのに。
「……ふむ」
「っ、いえ、悪くない、です」
驚いて無言になった私を不満だと思ったのか、父様の後ろに立っていた爺やが小さく唸る。
それを受けて、萩太郎の返答が更に丁寧になった。
――爺やのせいですか……。
いや、爺やのお陰と言うべきなのか。
でも、丁寧語を話す萩太郎はどうにも落ち着かなくて。
「爺や、多少の言葉の乱れは気にしません。萩太郎に楽に話させてください」
「菜乃華様がそう言うのなら。かしこまりましたぞ」
そうからかうように言って、爺やは父様の後ろに控え直した。
「さ、菜乃華も座って。話を進めよう」
「はい」
父様の言葉に、私も勧められた席に腰を下ろす。
正面に座る萩太郎が、静かに私を見つめていた。
「さて、萩太郎君。君が置かれた状況は把握できてるかい?」
「はい。おじ……爺、様から、説明を受けました」
父様の問いかけに、言葉を詰まらせながらも答える萩太郎。
その返答に父様が静かに頷く。
「なら、話は早いね。楮乃家で起こったことを話して欲しい」
父様の言葉に、萩太郎の肩が一瞬跳ねる。
そして、苦しそうに目を閉じて、重い口を開いた。
「申し訳、ありません……。俺は、何も、知らない」
「何もって……そんなこと無いでしょう?あなたはずっと屋敷にいたのに……」
この期に及んで楮乃家を庇おうとするかのような発言に、思わず割り込んでしまう。
そんな私を、萩太郎は強く睨み付けた。
「ほんとに知らねぇんだよ。……王族からの要請の後、俺はずっと倉に軟禁されてたからな」
「な……」
自室ではなく倉、と言い放った萩太郎に言葉を失う。
「倉?自室じゃなかったのかい?」
「……膂力の巫術で、暴れたので。壊されてもいい倉に。まぁ、座敷牢じゃなかっただけましですよ」
「……」
事もなげに言われた座敷牢という言葉に、父様も黙り込んでしまう。
――萩太郎は、楮乃家の直系嫡男のはずなのに。
楮乃家は……蘇芳様と三葉様は、どうしてここまで萩太郎を蔑ろにできるのだろう?
ただただ、楮乃家が分からなかった。
「あー……なので、俺は何も知りません。母上が誰かを招き入れていたのも気づかなかった」
「……薬については?」
「知らねぇ。倉の中に明かりの巫具もなかったしな。昼も夜も分からなくなって……。あー……何か、香みたいな匂いがした気がする……」
「……おそらく、その香の匂いが薬だったのだろうね。そうか……」
萩太郎が置かれていた状況が思っていた以上のもので、私と父様はそれ以上萩太郎から話を聞く気を無くしてしまった。
――以前「萩太郎は両親が健在なのだから、萩太郎の内面に私が踏み込まなくてもいい」と考えたことがありましたけど……。
そんなことなかった。
――あの時、もう少し踏み込んでいれば。
そんな後悔が、今更になって湧き出てくる。
「おい」
かつての私を反省していたら、目の前の萩太郎が鋭い声で私を咎めた。
「その目、やめろ」
「え……?」
「その、可哀想な奴を見る目をやめろって言ってんだよ」
苛立ちに歪んだ青藍の瞳が私を射貫く。
「お前に同情されるなんて虫唾が走る……」
「ですが……」
「……なら、薬を抜かなきゃよかっただろ?」
「は……?」
萩太郎が乱雑に吐き捨てた言葉に、一瞬で頭に血が上った。
「母上が言ってたんだろ?『扱いやすくした』って。お前に同情されるくらいなら……」
「黙りなさい」
冷え切った声が、私の口から零れる。
「あなたは……萩太郎はあのままでよかったと?」
怒りに任せて、萩太郎の青藍の瞳を睨み付ける。
背後でなずなが怯える気配がしたけれど、止まらない。
「あぁ。お前に同情されるくらいなら……」
「そのまま『私のお人形』に甘んじる、と?あら、あなたにそんな趣味があったなんて、存じ上げなかったわ」
「っ、てめぇ!!」
萩太郎が言葉とともに立ち上がる。
せりが音もなく私の横へと滑り込んだ。
そんなせりを横目に、上から見下ろし睨み付けてくる青藍を、私は怯むことなく見返した。
「さぁ、どうなのです?『私のお人形』に戻りますか?」
「誰が!!」
「なら、二度と『薬を抜かなくて良かった』だなんて口にしないでください!」
負けじと私も立ち上がり萩太郎と睨み合った。
「私は!天峰菜乃華の名をもってあなたを元に戻したのです!私が知る『楮乃萩太郎』に!」
慣れない大声を出して喉が痛い。息も苦しい。
それでも、この馬鹿にこれだけは伝えなきゃいけない。
「受け入れなさい。私は、山神様の巫としてこの宮廷で生きていくと決めました。そんな私に、人形は必要ないんですよ」
「てめぇ……!」
父様と爺やが黙って私の様子を窺っている。
見守ってくれる二人を有り難く思いながら、私は笑みを浮かべながら口を開いた。
「その分、思う存分、私のことを嫌えばいいですよ」
「……はぁ?」
萩太郎の口から間抜けな声が上がる。
「あなたは、あなたの思うままに私を敵視して良いって言ってるんですよ」
「……正気か?」
「えぇ。……だって、私は、混血のまま山神様の巫になると決めたのですから」
萩太郎に向かって不敵に微笑む。
「私のことを“混じりの仔”と蔑む人はあなた以外にも沢山いるのですから。あなた一人くらい、どうってことありません。むしろ、それくらい統率してみせますよ」
それくらい飲めないと、あの金の瞳の隣に並び立つなんてできないのだから。
「だから、私が望んだように、あなたはあなたらしくいてください。……悪態くらい、好きなだけつけば良いですよ」
そう笑った先。
呆然と見開かれたままの青藍の瞳に、私を憎む感情は見られなかった。




