二葉 十三節 萩太郎への命
「お、まえ……」
萩太郎が掠れた声で私を呼んだ。
「えぇ。あなたが嫌悪する“混じり”の天峰菜乃華ですよ。……萩太郎は、今どうしてこの状況になっているか、理解していますか?」
まだ焦点が合わない萩太郎の目を真っ直ぐ見つめて問いかける。
「俺は……屋敷で……っ、」
萩太郎が何かを思い出すように頭を振る。
私は、そんな萩太郎を静かに見つめていた。
「菜乃華様、一旦そこまでにしましょうぞ」
「爺や」
私達を見守っていた爺やがこちらへ歩いてきた。爺やの後ろにはせりとなずなも付いてきている。
「見事、宣言通りに此奴を呼び戻しましたな。爺は大変感心いたしましたぞ」
「ありがとう、爺や」
「さて、今の此奴は悪い夢から覚めたばかりのようなものでしょう。菜乃華様も先ほどの修練で酷くお疲れでしょうし、一旦、此奴の事はこの爺に任せていただいても?」
爺やが物腰柔らかに私に提案してくる。
けれど、私を見据える紺の瞳は、一切笑っていない。
――任せてと言っているけれど、私に拒否権はないようですね。
“この老いぼれ、楮乃とは浅からぬ縁がありまして……”
つい先ほど聞いた爺やの過去の断片。
おそらく、任せての一言の中にこの断片に関わる事もあるのだろう。
萩太郎の主としての立場を主張して、無理に立ち会うこともできる。
けれど……。
「えぇ、爺や。分かりました」
私は爺やの言葉に頷いた。
「では、せりは萩太郎についてください。まだ体を動かすのが辛そうですから」
「かしこまりました」
「なずなは供を。私室に戻って、着替えを手伝ってくれませんか?」
「はい!かしこまりました」
素早くせりとなずなに指示を出して、私は握ったままだった萩太郎の手を離した。
力に従って、萩太郎の手が力なく落ちる。
「萩太郎」
「なん、だよ……」
意味が分からない、といったように私を睨み付ける萩太郎。
そんな彼に向かって、私は静かに告げた。
「そこにいる爺やは父様の……天峰柊哉様の付き人です。私に仕えるあなたより、立場は上。今は爺やに従いなさい」
「は……てめぇ、の言うことなんか……」
「黙りなさい。今は、私が話しています」
上手く動かない体で、猶も私への悪態をつく萩太郎を有無を言わせず黙らせる。
「そして、この二人……せりとなずなは、あなたが失態を演じた結果、紬家から付けられた者です。だから、あなたが“混じり”と貶める事を禁じます」
「な……!」
「これは天峰菜乃華として……王族としての命です。従いなさい」
混乱する萩太郎の隙を突くように叩き込む。
私が萩太郎を呼び戻すと決めたのだ。
私のせいで二人が貶される訳にはいかなかった。
「……」
「返事を」
無言の抵抗をする萩太郎を強く睨み付ける。
風が吹いて。庭先に落ちた花びらが舞い上がって。また落ちて。
「……っち!分かったよ……」
私が折れないと理解したのだろう。
ようやく萩太郎が頷いた。
「えぇ。分かれば良いんですよ。では、爺や。萩太郎をよろしくお願いします」
「えぇ。任されましたぞ。せり」
「……はい、爺様」
少し開いた返事とともに、せりが眉を顰めながら萩太郎に肩を貸す。
萩太郎もとても嫌そうな顔をしながら、せりと爺やに連れられていった。
それを見送ってから、私は詰めていた息を大きく吐く。
「はぁぁぁぁ……やっと行きましたね」
「菜乃華様……!」
安堵する私のもとになずなが駆け寄る。
その空色の瞳は心配そうに歪んでいた。
「大丈夫ですよ、なずな。これで萩太郎はあなたを“混じり”と貶すことはできませんから」
「違います!そうじゃありません!」
なずなが強く首を振った。
「私達なんかどうでも良かったのです!“混じり”なんて、下街で散々言われてきたのですから!」
なずなが私の手を取って強く言い募った。
「なずな、落ち着いて……」
「いいえ!菜乃華様は間違っておられます!“主の間違いを指摘するのも付き人の役目”って蘭寿様が……いえ、そうではなくって!」
言い募る内に興奮してきたのだろう、なずなの言葉がぶれはじめる。
なずなはもう一度強く首を振って、息を整えてからもう一度その空色の瞳で私を射貫いた。
「菜乃華様は、菜乃華様自身を“混じり”と呼ぶなと命じるべきでした!あの人、菜乃華様があれだけ手を尽くしたのに、意識が戻った途端“混じり”呼びして……!」
なずなは憤懣やるかたないといったように、言葉を詰まらせる。
私は、そんななずなに微笑んだ。
「いえ、あれで良かったのです」
「どうしてっ?!」
「だって、萩太郎の私に対する“混じり”は名の代わりのようなものですから」
「……え?」
私の言葉になずなの勢いが止まる。
私は更になずなに語りかける。
「萩太郎は幼い頃……彼が十歳の頃から私の事を“混じり”と呼んでいました。だから、もう慣れてしまったというか……」
呆然と私を見つめるなずなに、笑いながらそう答えてしまう。
なずなは言葉を失い、ただ私を見つめている。
すると、みるみるうちに空色の瞳に涙が溜まった。
「な、菜乃華様は、そんな幼少の頃から、あ、あの人に……!」
「あ、あ、なずな!泣かないで……!」
慌てて袂に入れていた手巾を取り出して、なずなの涙を拭う。
「な、菜乃華様ぁ……!」
「……ありがとう、なずな。私の為に泣いてくれて」
なずなの優しさに、偽りのない感謝の気持ちが私の口から零れる。
なずなの涙で七歳の頃の私が救われたような気がした。
頬に零れた涙を拭って、私は手巾を袂に戻す。
なずなの目元は赤くなってしまったけれど、もう涙は溢れてこなかった。
「すみません、菜乃華様……」
「いえ、気にしてませんよ」
泣きはらした空色の瞳と見つめ合って、笑う。
そんな私達の間を、春告風に乗った花びらが数枚、通り過ぎた。
「……萩太郎は、本心から私の事を“混じり”と蔑んでる訳ではないと思いますよ」
「え?」
再度、萩太郎の名を出した私に目を点にするなずな。
なずなは数瞬躊躇って、でも、我慢できない、と口を開いた。
「……どうしてそう思うのですか?」
「そう、ですねぇ……」
考えながら視線を巡らすと、そこには踏みにじられた花びらの残骸があって。
思わず、ふっと小さく嘲笑が零れた。
「……萩太郎の目が綺麗だったから、ですかね」
――あの、警邏隊員と違って。
あの警邏隊の目を、私に投げつけられた言葉を、優しいなずな達に伝えるつもりは一切無い。
これは、私だけの傷として、私が背負う。
「菜乃華、様……?」
「あぁ、ごめんなさい。……そう、萩太郎は本当に名の代わりに私の事を“混じり”と呼んでいるだけと分かっていたから、あなた達を“混じり”と呼ばないように命じたのですよ」
怪訝そうに首を傾げたなずなの追求を躱すため、わざと長々と語る。
「それに……」
私は萩太郎達が去った方向へと視線を向ける。
「あの萩太郎の私に対する言動を、爺やが黙ってるとは思えませんしね……」
「……あぁ」
目の奥が笑っていない爺やの笑みを思い出したのか、なずなが納得の声を上げた。
そんななずなに、私は笑いかける。
「そうでしょう?では、なずな。爺やの説教が終わる前に着替えましょう?できれば、私、甘味も食べたいわ」
「……えぇ!とっておきをご準備いたしますね!」
澄ましたやりとりに、思わず二人で笑い合う。
春告風が吹いて花びらが一枚、私達の間を舞っていった。




