二葉 十一節 報復
――大変なことになりました……。
私室で道着に着替えた私は、なずなを伴って書庫殿前の庭へと降り立った。
手には使い慣れた薙刀を持っているけれど、進む足取りは重い。
「だ、大丈夫ですよ、菜乃華様!爺様もきっと、通しでずっとという訳ではないと……思いたい、ですね」
なずなが歯切れ悪く言葉を濁したのは、昨日の剣舞稽古を思い出したからだろう。
昨日の萩太郎は、こちらが全てを指示しなければ何もしなかった。
そのため、最初は爺やの指導のもと、剣舞の型を萩太郎に教えるところから開始した。ただ、体に記憶が残っていたのか、萩太郎はすんなり型を習得した。
「筋はいいな」と爺やは一言言って、それ以降は私も巻き込まれ通し稽古をしたのだった。
「昨日は、何回通したのだったかしら……?」
「えっと……菜乃華様お一人で五回、お二人合わせては八回ほど……」
「そう……今日はほぼその倍をするのね……」
気が遠くなる。
「……なずな、夜は頼みましたよ」
おそらく、いや、絶対一人ではまともに動けないくらい疲れているだろうから。
「かしこまりました……!」
「……ふふっ!」
「……ふふふ!」
互いに真剣な表情で顔を見合わせてから、互いに笑い合う。
なずなとじゃれあいながら庭の奥へと進むと、そこには自身も軽装に着替えた爺やの姿があった。
「うむ。菜乃華様、来られましたな」
「はい、爺や。萩太郎は?」
「こちらですぞ。せり!」
「はい、爺様」
爺やの声に、せりが萩太郎を連れて横に並ぶ。
私と同じように道着に着替えた萩太郎は、せりに手を引かれてこちらへと来た。
その瞳は相変わらず、硝子のようにがらんどうのままだ。
「ふむ……まぁ、昨日のうちに合わせて舞えるようになってはおるからな。不幸中の幸い、と言ったところですな」
「そう、ですね」
そう、確かに萩太郎は舞える。
けれど、今の萩太郎の剣には、以前の様な覇気が全くない。
――それが、少しだけ寂しいですね。
「では、お二人とも始めなされ」
「はい!」
「はい……」
私の思考を裂くように、爺やの声が庭に響く。
私は萩太郎と向き合った。
そして、静かに薙刀を構える。
「……」
「はぁっ!」
萩太郎の竹刀が、型通りの軌道から寸分違わず振るわれて。
私も、それに合わせて薙刀を振るう。
「……」
「やぁ!」
二度、三度と薙刀を振るい、萩太郎の顔を見る。
萩太郎の瞳には何も映らず、ただ、教えられたとおりに竹刀を振るっている。
型どおりの剣舞はとても舞いやすくはあるけれど、いつもの修練とはどこか違う。
違和感は、薙刀を振るえば振るうほど募って。
――あぁ、そうね。
私は、あの、いつ切られるか分からない、あの緊張感が欲しいのだ。
今の萩太郎では、それは叶わない。
私は、薙刀を下ろした。
「菜乃華様、どうされた?」
薙刀を降ろした私に爺やが近づく。
私は、爺やを真っ直ぐ見つめた。
「これでは、駄目です。このまま型ばかりなぞっても萩太郎は戻らない。神託の儀も……山神様の神託を賜る事はできないでしょう」
人形のままの萩太郎相手では、私は真摯に舞うことができない。
合わせる度に募る違和感が、それを肯定していた。
「……では、どうなさる?」
爺やの紺の瞳が、すっと細められる。
私は、隅で控えていたせりとなずなへ声を掛けた。
「せり、なずな。神楽殿に防具が置いてあるから取ってきてもらえる?」
「かしこまりました」
「かしこまりましたっ……!」
二人が揃って神楽殿へと向かった。
二人を見送って再度爺やに向かい合うと、爺やの目は眇められたままで。
「……今の此奴を、力のまま甚振ると?」
爺やの静かで重苦しい声が、私を叱責する。
「菜乃華様は、自身に降りかかった暴行を、無力な今の此奴に報復するおつもりか?」
「……いいえ、違います」
報復、という爺やの問いに、私は否を突きつける。
「確かに、萩太郎には散々痛めつけられました。けれど、彼はいついかなる時も、修練の時にしか手を出さなかった」
そう、萩太郎は確かに私を目の敵にして痛めつけた。
けれど、それが修練の枠を超えたことは一度もない。
「そこに、萩太郎の意思があると思うのです」
修練で、巫術なしの“混じりの仔”に対しても負ける気は無いという意思。
私が彼に働きかけるとしたら、そこしか無い。
「私が知る萩太郎の意思……信念はそれしかありません。だから、剣舞では意味がありません」
型どおりの、勝ち負けのないやりとりでは萩太郎は戻らない。
それが、ずっと萩太郎と手合わせしてきた私の結論だった。
「萩太郎は無力ではありません。勝利にこだわる、一人の剣士です。私が、彼を呼び戻してみせます」
有無は言わせない、と爺やを強く見据える。
爺やは黙ったまま私を見下ろし。
そして、顔を緩ませた。
「……かしこまりました。菜乃華様に従いましょうぞ」
「爺や……!」
「ただし、菜乃華様がやり過ぎていると思った際には、遠慮無く止めさせてもらいますぞ?」
「えぇ。私も、我を忘れるかもしれませんから、その時はよろしくおねがいします」
爺やの言葉に、笑顔で頷く。
そんな私に、爺やはそっと耳打ちする。
「……少しばかり制止が遅れても、これまでを思えば致し方無いですな?」
「……えぇ。「少しばかり」は、致し方がないですよね」
耳打ちした爺やと顔を見合わせて、笑う。
私の意思も、気持ちも否定しない爺やの気遣いが、ただ嬉しかった。




