二葉 十節 茶会のあと
三葉様は「……話が早くて助かりますわ」とにこやかに笑いながら退室した。
私はしばらくその場で呆然とし、なずなの「菜乃華様、戻りましょう?」という声で我に返り、急ぎ父様の私室へと戻った。
「ただいま戻りました……」
「おかえり。よく戻った」
なずなに付き添われながら父様の部屋へと入る。入った瞬間、私の帰りを待っていた父様から声が掛かった。
父様の後ろではよくぞ戻られたと爺やが満足そうに頷いている。せりはその横、ぼんやり空を見つめたままの萩太郎の後ろに控えていた。
それぞれに目を配りながら私は席へ座る。
なずなは、私が父様の用意した椅子へ座るのを確認してから、続きの間へと戻っていった。
「顔色が悪い……。何を言われたんだい?」
「あ……」
父様の指摘に、思わず頬に手が伸びる。
父様に心配を掛けている、何か言わないと、と思いつつも、あの会話がまだ私の中で飲み込めていない。
――私は、どうすれば良かったのでしょう……?
ただ、真っ直ぐ思いを伝えるだけでは駄目だったのだ。
そう打ちのめされていたら、ふわりとお茶と花の香りが私の鼻孔を擽った。
匂いの出所は、なずなが用意してくれた茶器からで。
「これは……」
「桜茶です。今は、こちらの方が落ち着かれるかと」
なずなが私に向かって微笑む。
「菜乃華様、良ければ、私から報告しましょうか?」
小首を傾げながらこちらを心配するなずなに、はっとする。
――ここで、なずなに頼っては駄目ですね……。
主として、従者に頼りすぎのままではいけない。
私はなずなに向かって首を振った。
「いえ。楮乃家奥方との話です。私から父様へ伝えます。……ありがとう、なずな」
「いえ、差し出口でした」
そう言って、なずなが静かに下がる。
私はそれを見送って、煎れられたばかりの桜茶を一口頂く。
鼻孔を擽る桜の香りに、濡羽色と金の瞳を思い出して打ちのめされた気持ちが慰められた。
「……父様、情けないところを見せてしまい、ごめんなさい」
「いや、相手は三葉様だ。やはり僕もついて行くべきだった」
父様は首を振って、謝る必要はないと伝えてくれた。
「それで、三葉様はなんと?」
「三葉様ですが……」
何の感情も浮かんでいない漆黒の瞳を思い出し恐怖が蘇るけれど、それを押し殺し父様に報告する。
「三葉様の要求は、楮乃家へ出したせりの撤収でした。「楮乃家は、王族の要求である萩太郎の再教育を滞りなく終えている。探られる謂れはない」と……」
「滞りなく……?」
これが?と言わんばかりに萩太郎に視線を向ける父様に、私は静かに頷く。
「……私も、三葉様に抗議したのです。「薬を使ってまで、彼の意思を奪う必要はあったのか?」と……。ですが、三葉様には伝わりませんでした。むしろ……」
袖元で口を隠し、艶やかに笑った三葉様を思い出す。
あの顔は、萩太郎の事なんて何も心配していなかった。
「「こちらは筋を通した。なのに、これ以上屋敷を探られ続けるのは不愉快です」と。……薬を使ったことも、萩太郎がこうなっていることも、それが、三葉様の中では正しいことだと認識しておられるようでした……」
私の言葉に、父様と爺やの目が大きく見開かれる。
「私は、三葉様の認識を正す言葉を持っておらず……、そのまま、三葉様の要求通りせりを楮乃家の屋敷から下げることを了承するしかできませんでした……」
父様達に伝えながら、机の下で裾を強く握り込む。
――あれだけたくさんの書に触れてきたのに、私には三葉様を窘める言葉が出てこなかった……。
何度も読んだ陽葵様の伝記にも、対立する豪族との対話の場面が書かれていると知っているのに。
――私がしたのは、ただ自分の意思を三葉様にぶつけただけ。あれは、陽葵様がされたような対話ではなかった。
父様に大丈夫ですと大見得を切ったのに、結果はこの体たらく。
悔しい。
「……菜乃華はよくやった方だよ」
俯いた私の頭に、父様の手が優しく乗せられる。
「むしろ、この茶会で三葉様の立ち位置がよく分かったよ。……三葉様は、菜乃華相手でもやはりお変わりないか」
「彼女からしたら、こちらに思うところが存分にあるでしょうからな。引く気が無いのも無理からぬ事」
「思うところ、ですか?」
父様と爺やの訳知った会話に思わず混ざり込む。
二人ははっとしたように顔を見合わせて、困ったように笑った。
「菜乃華様には関係の無いことです」
「そうそう。これは王族が……槐が片を付けなきゃいけない話だ。菜乃華はそれに巻き込まれただけだよ」
大人の都合に巻き込んでごめんね?と父様が謝る。
――そう言われると、聞きづらいですね……。
全く想定していなかった槐様のお名前に好奇心がかき立てられるも、先に謝られては聞きづらい。
あとで書庫殿に書き付けがないか調べてみましょうと心に秘めて、父様と向き合う。
「父様。三葉様は町人に扮していたはずのせりの色を把握しておりました。三葉様からも直接釘を刺されてしまいましたし、これ以上せりを楮乃家の屋敷へ送るのは厳しいと思うのですが……」
「あぁ。三葉様の来訪は楮乃家からの警告だろう。「そちらの従者は把握している。これ以上こちらを探るならただでは済まさない」ってところかな」
「そう、ですよね……」
「菜乃華様、すみません。僕の扮装がばれたばかりに……」
思わず、といった様子でせりが私達の会話に割り込んできた。
その思い詰めた様子に、私は首を振って問題ないと伝える。
「いえ、せりはこの短期間で、必要な情報を漏らすことなく、拾ってきてくれました。よくやってくれてますよ」
「そう。向こうが一枚上手だっただけだ。次、気をつければいい」
「はい……」
そう言って、悔しそうな顔のまま、せりは萩太郎の後ろに控えた。
――私も、楮乃家を見誤っていたのでしょうね。
王族である私は、もっと大きく、存在があるものだと思っていた。
でも、楮乃家……五大主家の中で、私の存在はまだまだ小さく、軽いものなのだろう。
それこそ、朝突然、約束もなく訪問しても良いと思われるくらいには。
――正しく認識していないと、いずれ足元を掬われてしまう……。
それも、“混じりの仔”と蔑まれているのとは全く関係ないところで。
気を引き締め直した。
「でも、困ったね」
父様が腕を組みながら思案する。
「もうこちらから楮乃家への働きかけはできない。できれば、後一度くらいせり君に楮乃家へ行ってもらって、薬を渡した人物の詳細を探って欲しかったんだけど……」
これは無理そうだ、と父様は呟く。
「爺やは駄目なのですか?」
「爺は……」
「すまぬな、菜乃華様。この老いぼれ、楮乃とは浅からぬ縁がありまして……。出向くのは楮乃家を取り潰すとき、と決めておるのです」
「と、いうことで、爺は出せない」
「そ、そうなのですね……」
二人して笑いながら軽やかに交わされた会話が、冗談なのか本気なのか、判断がつかない。
――爺やの過去に、一体何があったのでしょう?
とても気になる。
「……仕方が無い。なら此奴をどうにかしましょうか」
「爺や?」
爺やがため息を吐きながら、此奴、と萩太郎を指さした。
「できれば楮乃家に出入りした人物を捕まえ、薬の詳細を聞き出したかったところではあるが、消えた可能性をいつまでも追い続ける訳にはいきませんしな」
紺の瞳がじっと萩太郎を見据える。
「薬の詳細は分からぬ。だが、昔の薬には抜けが早いという性質があったな?」
「そう、ですね」
「なら、試す価値はある」
爺やは一人頷いて、部屋の出口へと向かった。
「解毒薬が手に入らぬのならば、体から薬が抜けるのを早めるまで」
そう言って、爺やは戸を開けた。
「さあ、菜乃華様、此奴を連れて外へ参りますぞ」
「外……?」
爺やが何をしたいのかが分からず、戸惑う。
そんな私に向かって、爺やは笑みを湛えながらこちらへ向いた。
「剣舞です。準備を」
「え?」
驚く私に、爺やの笑みが更に深まる。
「なに、三十回ほど通せば血が巡り、早く薬も抜けましょう。後四日で神託の儀ですし、ちょうど良い」
――三十回。
爺やが告げた言葉に、私の頬が引きつる。
「爺や……」
「はい?」
冗談ですよね?と続けようとした言葉は、爺やの曇り無き紺の瞳に黙殺される。
「……部屋へ戻って、服を替えて参りますね」
私には、頷くことしか許されていなかった。




