二葉 四節 爺や
父様の後に続いて、皆で書庫殿を移動する。
萩太郎はなずなに手を引かれ、1番後ろを歩いていた。
書庫殿西にある私の私室から、中央の書庫室を通りすぎ、東へ。
たどり着いたのは父様の私室の近くだった。
「父様の近くですか?私の私室近くにも空き部屋はありますけど……」
「うん。西は拝殿があって、楮乃家ならたやすく入ってこれるからね。まぁ、すぐさま強行突破してくる事はないだろうけど、一応、より奥まった東側にする」
「なるほど……考えられませんでした……」
話を聞いたばかりなのに、そこまで考えられるなんて、と気落ちしていたら、父様の手が優しく頭に乗せられた。
「熟してきた場数の違いだよ。菜乃華もきっとできるようになる」
「そう、でしょうか……」
「そうですぞ。むしろ、菜乃華様の方がご立派であらせまする。そう落ち込む必要はございません」
「え……?あっ……!」
突然、父様の私室の方から名を呼ばれて振り返る。
そこには、紺の髪に白髪交じりの初老の男が立っていた。
真っ直ぐ伸びた背に、隙の無い佇まい。そして、紺色の鋭い瞳に思わず萎縮してしまいそうになるけれど、その瞳の奥には優しい光があるのを、私は知っている。
思わず、私はその方向へ歩き出してしまった。
「爺や!ひさしぶり!」
「おやおや。菜乃華様、おてんばなのは変わりませんなぁ」
「爺、部屋で待っててくれって言ったのに……」
先に爺やの元に着いた私の後ろから、父様が呆れた声を出しながら着いてくる。そんな父様に「そうはいきませんぞ、柊哉様」と低い声で爺やが窘める。
「菜乃華様の付き人が害されたのだ。次は菜乃華様本人が狙われてもおかしくはない。柊哉様お一人で、見習いも含め五人は守り切れないでしょう」
「いつまでも子供扱いをしないで欲しいな……そこらへんの奴に負けるつもりはないよ?」
父様が肩を落としながら爺やに反抗する。
そんな父様に対し、爺やは静かに首を振る。
「たとえ菜乃華様達を守り切れたとしても、書庫殿の書物に一切被害を出さずにはいきますまい?」
「あー……」
爺やの言葉に、父様の目が泳いだ。
二人の気の置けないやりとりに、私は思わず笑みがこぼれる。
「ふふふっ!父様の巫術は風ですものね!使ったら書があちこちに飛んでいってしまうもの!」
「でしょう?だからこの爺が来たのです。して、菜乃華様。そろそろ爺に、あなた様の付き人を紹介してもらっても?」
「あ!そうでしたね……」
私は、少し離れたところで所在なさげに立ち止まったままだった二人を手招きする。
「爺や。私の付き人になってくれました、せりとなずなです。二人は、両親を亡くし神居街にいたところを私が保護しました」
「せりと申します。よろしくお願いします」
「なずなです。初めまして。あの、なんとお呼びすれば……?」
私の隣に並んだ二人が頭を下げる。爺やはそんな二人を見て満足そうに頷いた。
「うむ。柊哉様から話は聞いている。二人とも、よく作法が身についておるな!私は柊哉様付きの者だ。気軽に爺と呼んでもらって構わない」
「爺、さま……?」
「分かりました。爺様、同じ付き人として、よろしくお願いします」
――そういえば、私も爺やの名を聞いたことがありませんね……?
三人のやりとりを見ながら、ふと思い出す。
聞いてみようかしら、と爺やに話しかけようとしたら、爺やの視線が私の背後へと飛んだ。
そして、紺の瞳が鋭く眇められる。
場の空気が一瞬で重くなった。
「……あれが楮乃のせがれ、ですか」
爺やは普通に話しているだけなのに、響きが重い。
鋭く萩太郎を睨み付けたままの爺やの瞳に映る感情が読めない。
――爺や……?
こんな爺や、初めてみた。
「爺。そこまでだ」
父様の声に皆が我に返る。
呼ばれた爺やは目を閉じ、一回大きく息を吐いた。
「はぁぁぁ……柊哉様に窘められるとは、この爺も耄碌したものですな」
「それだけ言えればまだまだ現役だよ。さ、ここに来てるってことは部屋の選別はおわってるんだろう?連れてってくれ」
「かしこまりました。菜乃華様は柊哉様の部屋で待っててくだされ。すぐ準備を終えて戻ってきますぞ」
そう言う父様と爺やに促されて、私達四人は父様の私室に入る。
「では、しばし待たれよ」
そう言って爺やが戸を閉めた瞬間。
萩太郎以外の全員が大きく息を吐いた。
「怖かったです……!」
「えぇ。私も、あんな爺や初めて見ました……」
なずなと二人、顔を見合わせて心を落ち着かせる。
そんな私達の間にせりが入ってくる。
手にした盆には急須と茶器が三つ。
「爺様が準備していたようです。ひとまず、皆で飲みましょう」
「ありがとう、せり」
三人でお茶を楽しみ、人心地付く。飲み慣れた林全の茶の香りに、強ばっていた体が緩むのを感じた。
「菜乃華様。一つ、聞きたいことがあります」
「なんでしょう?」
茶器を置いたせりが、居住まいを正して私に向かい合う。
私もせりへと向かい合った。
「先ほどの爺様の態度もそうなのですが……萩太郎様は一体どういうお人なのですか?」
「どういう……?」
「柊哉様との話でも、菜乃華様を『粗雑な扱いをした』と言っておられましたよね?……僕らが受けたような扱いを、菜乃華様も?」
「あ……」
せりの言葉に思わず黙ってしまう。そのまま、視線を逸らすように俯いてしまった。
それだけで、萩太郎がどんな人かは伝わってしまったようで。
「……それでも、菜乃華様は彼を助けたいと思っているのですね」
「助けたい……」
せりの言葉に、なんとも言えないわだかまりが胸の中に生まれる。
それが形になる前に、なずなからも声を掛けられた。
「菜乃華様……私も、菜乃華様に一つ聞きたいことがあります」
「なずな?」
空色の瞳が大きく揺れている。
躊躇うようになずなは一瞬目を伏せて。
そして、覚悟を決め、強く私を射貫いた。
「……菜乃華様は、巫術をお持ちなのですか?」
意を決して放たれた言葉。
その言葉は、重い沈黙の中すぐにかき消えていった。




