二葉 三節 別の視点
「違います!」
父様の言葉に、慌てて萩太郎から距離を取る。
慌てる私をよそに、父様はとてもにこやかな笑顔で私を見ている。
「そう?顔を近づけて、とても仲良さそうに見えたよ?」
「父様、からかわないでください!」
私の大声にも怯む事無く、父様はからからと笑い続けている。
「もう!いい加減にしてください!」
「ごめんごめん!さて……これでも萩太郎君に反応はなし、か」
そう言いながら、ちらりと萩太郎を確認する父様。
先ほどまでの軽薄な雰囲気はなりを潜め、居住まいを正す。
そこにいるのは、父様ではなく王族の一人、天峰柊哉だった。
「なずな君から軽く詳細は聞いたけど……なるほど。かなり深刻だね」
「はい……。父様、長くなると思うのでひとまずこちらへ」
「あぁ、少し待って」
そう言って、父様は机ではなく先ほど入ってきた戸の方へと向かった。
そして、懐から銀に縁取られた小さな水晶を取り出し、戸の近くへと置いた。
その瞬間、水晶は淡い緑色の光を放って音を出し始める。
その音は木々を揺らす風のようだった。
「風音の巫具を使うよ。ここからの話は聞かれない方がいいだろうからね」
「ありがとうございます……」
――そんな巫具があるなんて、知りませんでした……。
思えば、巫術の書はたくさん読んだけれど、護符や巫具については少ししか読んでいない。
あとで父様に教えて頂こうと考えながら、改めて父様を奥の机へと案内する。
せりは父様と入れ替わるように戸の近くへ向かう。
向かい合って座ってすぐ、続きの間へと下がっていたなずなが林全のお茶を伴って戻ってきた。
「どうぞ、菜乃華様、柊哉様」
「ありがとう、なずな」
「なずな君はもう林全を淹れられるのか……努力したんだね」
「恐れ入ります……!」
「せり君も。自分がすべき行動をよく理解しているね。短期間でこれだけできていたら、安心して菜乃華を託せるよ」
「ありがとうございます、柊哉様」
戸の方からせりの声が聞こえる。
父様に褒められたなずなが、はにかみながら私の後ろへと下がった。
二人同時に茶器を持ち上げて、お茶を一口。
浮き足立っていた気持ちが落ち着いてきた。
「それじゃ、菜乃華。何があったか教えてくれる?」
「はい、父様。とは言っても、私も今日久しぶりに萩太郎に会ったのですが……」
父様に萩太郎に会ってからの事を伝えていく。
萩太郎の様子のおかしさと、その原因が楮乃の教育のせいではないかと言うこと。
そして、私が決めた事について。
「なので、せりを楮乃家へと送りますが、その間に萩太郎が連れ戻されてしまえば意味がありません。そこで、書庫殿で萩太郎を匿えれば、と」
「なるほど。でも萩太郎君は異性だ。それで僕に助けを求めた、と」
「それもありますが……。私はまだ正式な王族とは言えませんから。楮乃家の要求を、立場が弱い私ではまだ拒否することができません」
そう告げると、父様は一瞬驚いたように目を開いて破顔した。
「うん。そうだね。菜乃華がしっかり自分の立場を理解しているようで良かった」
「ありがとうございます、父様」
――「異性だから父様を頼った」と安易に同意していたら、父様はきっと私を助けてくれなかったでしょう。
これが、王族のやりとり。
自身と相手の立場、宮廷の状況を全て把握した上で、どのように動き、自分の要求を通すのか。
せりやなずなを褒めたのも、いざという時、父様の意を二人に通しやすくするため。
父様は、私に対して実際に見せることでそれを教えてくれた。
――私も、できるようにならなければ。
「で?菜乃華はどうするつもりだい?」
お茶を飲みきった父様が軽い口調で問いかける。
「萩太郎に施された物は不適切なものだと考えています。せりの調査を待ってではありますが、詳細が分かり次第、萩太郎を元の彼に戻します」
「そっか……」
父様が茶器を置く。
「元に戻さなくてもいいんじゃない?」
「……え?」
父様から発せられた言葉に、頭が真っ白になる。
「これまで、萩太郎君は菜乃華の事をかなり粗雑に扱ってきただろう?今の彼なら、菜乃華に変に突っかかる事なく、言うことを聞いてくれる」
「……」
「元に戻したら、前の彼に逆戻りだ。それでも、彼を戻すのかい?」
父様の言葉が、私の痛いところを容赦無く突く。
――前の萩太郎に逆戻り……。
冷たい憎悪に染まった青藍の瞳を思い出すだけで、身が竦む。
修練の時に執拗に突かれた傷が痛む気がする。
……それでも、私は。
「私は、それを望みません」
父様にはっきりと告げる。
「確かに、萩太郎には初対面から何故か恨まれていました……。なぜあれほど敵視されていたのか、正直分かりません」
仲良くなりたいと差し出した手を、力一杯はたき落とされた。
それを忘れることはできない。
だからこそ、知りたい。
「私は、萩太郎が私を憎む理由を、萩太郎の口から知りたいのです。萩太郎にだって、私を敵視する理由があるはず。萩太郎が何を思ってそうしたのか、話して欲しいのです」
思えば、私と萩太郎は初対面の時からまともに会話をしてこなかった。
彼が何を思い、何を目的に動いているのか。
それらを知らずに、形ばかり主従関係になろうとしても上手くいく訳がなかった。
私は、彼の意思が知りたい。
「自我のない萩太郎では話してもらうことは叶いません。だから、私は彼自身の意思を取り戻すために手を尽くしたいのです」
父様の目を見て真っ直ぐ告げた。
けれど、父様は私の言葉に絆されることなく、冷めた瞳で私を見据えている。
――父様には私の思いが届いていない……?
落ちた沈黙は一瞬。
「……菜乃華には、もう少し別の視点が必要かな」
父様が再度口を開いた。
「別の……?」
「あぁ。楮乃家がこの萩太郎君を寄越したということは。楮乃家は正式にこの状態を教育完了としていると言うことだ。それを菜乃華が否定するということは、楮乃家そのものを菜乃華が否定することになる」
父様の新緑の瞳がより一層鋭くなる。
「それは楮乃家の生き方を否定することになるかもしれない。……楮乃家は五大主家の一つだ。主家のあり方を否定するのは、例え女王であっても難しいものだよ。それに、萩太郎君自身がその生き方を受け入れている可能性まで、菜乃華は否定することになる。それでも、菜乃華は手を出すのかい?」
――私の行動で、多くの人の生き方が変わる……?
私はただ、目の前の萩太郎を何とかしようとしか考えて無かった。
その結果が、楮乃家のあり方の否定に繋がるなんて微塵も思い至らなかった。
――これが、王族として動く上でもう一つ必要な視点。
自分の行動の影響が、どこまで及ぶのかまで考えないといけない。
――怖い……。
王族という、存在の大きさが怖い。
……それでも。
「それでも……です」
父様に返答する声は情けなくも震えている。
「例え楮乃家のあり方がそうだとしても……自我を失うほどの厳しい教育を、私は望んでいません。しかも、それが萩太郎の意思なのかも、今は定かではありませんよね?」
“私が、混血の王族として山神様の巫になります”
あの時、私が無かった事にされた私の言葉を、届けたいと思った時のように。
萩太郎にも、何か譲れないものがあったはず。
それを、家のあり方だからと教育という名目で奪うのは間違っている。
――だから、私は萩太郎の意思を取り戻すのです……!
いつか、その譲れないものを萩太郎から教えてもらうために。
「それに……」
私は、わざとにこやかに笑った。
「萩太郎は私の婚約者ですよ?その婚約者が楮乃家の言いなりのままだなんて……安心して暮らせませんよ」
一瞬虚を突かれたように目を丸くする父様。
そして、ふはっと笑いながら息を吐いた。
「ふははっ……!うん、それが言えるなら大丈夫かな!」
「合格、ですか?」
「あぁ。天峰柊哉として天峰菜乃華に協力するよ」
そう言いながら、なずなが淹れた二杯目のお茶を飲む父様。
――良かった……。無事に父様の協力を得ることができました。
ほっとして私も二杯目のお茶に手を出す。
二人してお茶菓子にも手を出して、少し落ち着いてから父様が口を開いた。
「覚悟を試すような事をしてごめんね?でも「人の人生を背負う覚悟」は王族には必要なものだから……」
「いえ、私も至らぬ考えばかりで……。勉強になりました」
「うん……。菜乃華が、その覚悟をちゃんと持っているみたいで良かった」
その言葉とともに、父様の瞳が翳る。
「伯母様はその覚悟をお持ちになれなかったから……だから今……」
私に聞かせるつもりの無かった言葉が、静かすぎる部屋に殊更大きく響いてしまう。
「伯母様……白梅様、ですか?」
「いや、今のは独り言だ。気にしないで……。さ、こうしてる間にも時間は進んでいく。急ぎ、萩太郎君の部屋を整えようか」
私の問いかけをさらりと躱して席を立つ父様。
戸に向かうその背は「何も聞くな」と語っている様な気がして。
「わかりました……」
私は何も聞かずに父様の後に続く。
――白梅様は、覚悟をお持ちでなかった……?
父様の独り言が、やけに頭に残って離れなかった。
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