二葉 一節 不穏な気配
神託の儀。
十五歳を迎えた王族が正式に王族を名乗るため、そして、山神様の巫としてその身を尽くすと証明するため、山神様から神託を賜る儀式。
その儀式を無事に終えることが、私が混血の王族として生きていく為の最初の一歩になるのに。
――萩太郎は一体どうしてしまったの?
生気を失った顔に、どこを見ているか分からない光を失った瞳。
その異様な姿に私は言葉が出ない。
「菜乃華様、この方は?」
「お通ししても良いのですか?」
「あ……」
二人の声で我に返る。
初対面のせりとなずなも、萩太郎の様子を警戒している。
せりは扉の前で萩太郎を視界に入れたまま動かないし、なずなも自然と私の前に立ち、萩太郎を私の視界に入れないようにしている。
――私が動揺していてはいけません。
私はゆっくりと立ち上がった。
「せり、なずな、下がっていいですよ」
少し固い声で二人に下がるように指示を出す。
躊躇いがちに下がった二人の横を私はゆっくりと通り過ぎる。
そして、萩太郎がいる扉の前へと立った。
「……あなたは、楮乃萩太郎で間違いないですか?」
「はい、菜乃華様」
迷いなく肯定した声に温もりはなく。
――まるで、萩太郎の形をした人形を相手にしているみたいですね……。
これが、楮乃家が施した再教育の成果なのだろうか?
「そう。では、部屋に入って隅に控えていなさい」
「はい」
以前の萩太郎ならば、このような扱いをしたら冷徹な瞳でこちらを睨み付け、罵詈雑言の限りを尽くすはずなのに。
萩太郎は静かに頷いて、私の言うとおりに隅へと向かい、板の間に正座した。
そして、瞬きすら忘れたように萩太郎は動かない。
――おかしい……。
萩太郎を視界に入れつつも、まずは二人への説明が先、と私の後ろに控えていた二人に向かい合う。
「紹介が遅れましたね。この方は楮乃萩太郎。楮乃家の嫡男であり、私の付き人の一人で……婚約者です」
「楮乃家の?!」
「婚約者……!」
せりはこの男が五大主家の嫡男?と驚いていて、なずなの方は婚約者、という言葉の響きにとらわれている。
――なずなが考えるような甘い関係ではなかったですよ?
なずなの夢みがちな反応に思わず苦笑いが溢れる。
そう、そんな甘い関係ではなかったのだ、私と萩太郎は。
七歳の初対面の時から憎まれて、差し出した手ははたき落とされて、その後も会う度に「混じりのくせに」と蔑まれた。
そんな萩太郎なのだから、せりなずなに対してもなにかしらの行動を起こすはずなのに。
――こんなの、萩太郎ではありません。
だからといって、私は一体どうしたら……。
「菜乃華様?」
考え込んでいた私を不思議に思ったのか、なずなが私を窺うように顔を寄せる。
きらりと光る空色の瞳を見て、脳裏に榊様の言葉が蘇った。
“菜乃華は、菜乃華にしかできないことをするんだ”
そう言って、柔く微笑んだ榊様の顔を、私はまだ覚えている。
――私は、私にしかできないことをしなければいけません……!
それが、榊様が見せてくれた王族としての姿なのだから。
――私が、萩太郎を元の彼に戻さないと。
そのためには、楮乃家でなにがあったのかを正確に調べないといけない。
でも。
「……」
ちらりと、目の前に控えるせりなずなを見やる。
二人とも真っ直ぐに私を見つめてきて、私を信頼してくれているのが分かる。
「菜乃華様?」
「何かありましたか?」
私の行動に二人を巻き込みたくはない。
けれど、私が信頼できるのはこの二人しかいないから。
静かに息を吐く。
そして、蘭寿様の姿を思い浮かべながら、声を出す。
「……せり、なずな」
重く響いた彼らの名に、二人は一瞬で表情を引き締めた。
「二人は、紬家で隠密を学びましたか?」
「えっと……」
「隠密の方は私が。なずなには側付きの仕事と、その際の菜乃華様の護衛方法を主に教えてもらっていたので」
「そう。二人で上手く役割分担をしたのね」
たしかに、異性のせりには単独行動に必要な隠密を、同性のなずなには護衛をというのは理にかなっている。
ゆっくり頷いて、考える為の時間を作る。
そして、再度二人を見据えた。
「二人も察していると思いますが……この萩太郎の様子は普通ではありません」
「はい」
「そう、ですよね。少し怖いです……」
怯えた声で話すなずなに、二人を巻き込もうとしていることへの申し訳なさが募る。
それでも、私は萩太郎を救うと決めたのだ。
「萩太郎は私の付き人でしたが、その態度が目に余り、あなた達が付き人として訓練を受けている間、同じように楮乃家で付き人としての再教育を受けていました……そこで、萩太郎に何かあったのではないかと考えています」
私の言葉に二人が揃って息をのむ。
私はもう一度息を吐いて気持ちを整える。
「この状態の萩太郎を、私は認める訳にはいきません。だから、二人にお願いがあります」
そこで一旦区切る。
声が震えないように。
私の恐れが二人に伝わらないように。
胸の奥の震えを押し込めて、私は息を整えた。
「萩太郎に何があったのか……楮乃家でどのような教育を施されたのか、調べて欲しいのです」
私の言葉に、二人の目が驚きで見開かれる。
「相手は五大主家の楮乃です。それ相応の危険があるでしょう……ですが、私には二人しか、」
「大丈夫です、菜乃華様」
私の言葉を、なずながそっと手を取って止める。
その後ろでせりが力強く頷いた。
「えぇ。菜乃華様からの初めてのお願いです。やり遂げてみせますよ」
「私は隠密はできませんので、菜乃華様の側におりますね」
「あ……」
二人の力強い言葉に、強ばっていた気持ちが解ける。
――二人なら、大丈夫。
だから、私は主として二人を支えるだけだ。
「せり、なずな」
主として、改めて二人に声を掛ける。
「萩太郎に何があったのか。楮乃家でどのような教育を施されたのか、そのすべてを私の元へ。そして――」
私を見つめる二対の空色へ、信頼を託して。
「その間、楮乃家へ萩太郎が連れ戻されることがないよう、守護を」
二人へ、心を込めて笑いかける。
「よろしくお願いしますね」
その言葉に、二人がさっと跪く。
「「かしこまりました、菜乃華様」」
二人の揃った声に、もう後戻りはできないと私はもう一度覚悟を決めた。




