前葉裏 二節 書庫殿にて
父上に私室に呼ばれてから一週間後。
俺は、父上と母上とともに白杉神社へ……宮廷へと向かっていた。
白杉神社があるのは、神織山の四合目ほど。
山腹にそびえ立つ、黒々とした樹皮の白銀杉に圧倒されながら、俺は黙って父上と母上の後をついていった。
――どうして、黒いのに“白銀杉”と呼ばれているんだ?
咄嗟に、父上に尋ねてみようと口を開け、言葉が出ずにそのまま口を閉じる。
ずっと頭の中を巡るのは、父上が漏らした落ちこぼれ、厄介払いと言う言葉。
あれが、父上の本心なのだろうか?
口を噛みしめ、目に付いた枝をわざと音を立てながら踏み割る。
あれが、父上の本心であるわけがない。
俺はちゃんと父上の役に立ってみせる。
下を向いていた頭を上げて、前を歩く父上の背を見つめながら静かに昇る。
山の中、等間隔に並ぶ鳥居を一つ、また一つと通り抜けて。
急速に視界が開ける。
「あ……」
一際大きな鳥居の向こう。
朱色に塗られた柱と、青銅色の屋根。
そして、陽を浴びて白く輝く漆喰の壁。
白杉神社の拝殿がそこにはあった。
――ここが、白杉神社……。
鳥居を一歩入っただけで分かる。
ここには何かが……山神様がいらっしゃる。
どこからかじっと見られているような、薄らとのし掛かる威圧感。
落ち着かないまま、左右に視線を振る。
当然、そこには何もない。
「何をしている。こちらだ」
「っ、はい!」
父上はこの空気に慣れているのか、さっと拝殿に一礼してから東へ向かう小道へと進んでいく。
見様見真似で俺も拝殿へと一礼をし、父上と母上の後を追う。
拝殿を抜けてまた山道を歩み出す。
すると、ここまでずっと黙ったままだった母上の口が開いた。
「……柊哉様もお気の毒に」
その声は、まるで呪詛の様に低く淀んでいて。
ぞくりと背筋が冷えた。
「蛮族の姫を宛がわれ、混じりの仔を設けることになるとは……槐様は一体何を……」
「口を慎め」
父上の静かな一喝が山に響いた。
「拝殿を外れたとしても、ここは宮廷だ……つまらぬ口をきくな」
「も、申し訳ありません……!」
母上が勢いよくその場で頭を下げる。
父上はそんな母上も一瞥することなく、一人先へと歩み出した。
慌てて父上を追う母上の後ろを俺もついて行く。
――蛮族の姫、か。
きっと傲慢で気が強く、我が儘な性格なのだろう。
槐様ではなく柊哉様に嫁いだのもきっとそのせいだ。
なら、俺が付く混じりの仔もそんな性格を受け継いでいるのだろう。
それどころか、父である柊哉様から邪険にされているのなら、姫よりも輪を掛けて我が儘な性格になっているかもしれない。
まだ会ってもないのに既に気が滅入る。
――今からこれじゃ、駄目だ。
首を振って気合いを入れ直す。
俺の役目は我が儘な混じりの仔を上手く宥めすかし、柊哉様に取り入って宮廷の情報を抜くこと。
上手くやってやるさ、絶対に。
落ちこぼれなんて、誰にも二度と言わせない。
そんな事を考えながら歩いていたら、山道が開け一つの建物が見えてきた。
拝殿より一段高い高床式の床に、湿気を逃がすための木造の扉。
大きな瓦屋根は雨漏りを防ぐためだろう。
――ここが、書庫殿。
蛮族の姫と混じりが住むところ。
そこは、俺が考えていたものと全く違っていた。
山から開かれたそこは春先の柔らかな日差しが溢れ、温かな空気が流れている。
建物の脇に植えられた桜は満開で、風が吹く度に花びらが数枚舞っていて。
そんな中、建物の正面に立つ人影が三つ。
「あぁ、来てくださいましたか」
「ご足労頂き、ありがとうございます」
濡羽色の髪に新緑の瞳……柊哉様が安堵を滲ませた声で俺達を出迎える。
そして、柊哉様の隣に立つ金糸の髪を持つ姫が流暢な言葉で感謝を述べた。
――姫が、この国の言葉を喋っている……?!
蛮族の姫のはずなのに、どうして。
「楮乃家当主、楮乃蘇芳、ご用命により見参いたしました」
「っ、楮乃三葉と申します……お呼びいただき、ありがとうございます」
「お初にお目に掛かります。楮乃、萩太郎と申します」
父上が冷静に柊哉様に挨拶を返しているのに対し、母上の声は上ずっていて動揺していて。
俺も、内心の動揺を押し殺しながら礼をする。
――蛮族の姫なのだろう?どうして、こんなに天峰語が流暢なんだ?!
蛮族の国は山神様の加護を賜れない。
だから、天峰国より貧しくて野蛮なはずで。
そんなところの姫なのだから、ろくな教養も持ち合わせてないはずなのに。
目の前の柊哉様は姫の腰を大事そうに抱き、姫の方も頭を柊哉様に預け、穏やかな眼差しでこちらを見つめている。
――あんな目、知らない。
あんなに優しくて穏やかな目なんて、俺は母上から一度も向けられた事……。
「あぁ、萩太郎君に会うのは初めてだったね。私は天峰柊哉。書庫殿の番人だ。そして……」
「柊哉様の妻、ヘレナです。今日はきてくれてありがとう」
姫……ヘレナ様が、宝石の様に輝く水色の瞳を緩めて柔く微笑む。
その姿に言葉が出ない。
呆けたままヘレナ姫を見つめていたら、俺の目の前に少女が躍り出た。
「初めまして!」
ヘレナ姫より少しくすんでいるけれど、それでも綺麗な香色の髪。
桜色の唇は笑みを湛えたまま、でも話したそうに小さく開いたままで。
「私、天峰菜乃華と申します!」
柊哉様譲りの新緑の瞳が、ヘレナ様に負けないくらいきらきらと輝いている。
そして、そんな少女を一歩引いた場所で柊哉様とヘレナ様が微笑ましそうに見ている。
「今日、あなたと会うのを楽しみにしていたんです」
歌うように言葉を紡ぐ少女は、微笑みながらそっと俺に手を差し出す。
「これから、よろしくお願いします、萩太郎!」
――どうして混じりのくせに、そんな目で笑える……!!
笑顔とともに差し出された手を。
「――っ、触るな!」
俺は、思いっきり払い除けた。
「え……」
新緑の瞳が驚きに開かれる。
それが何故か嬉しくて。
「お前“混じりの仔”だろ?」
あぁ、このまま言い募れば父上から叱られるのは分かっているのに。
菜乃華を傷つける為の言葉が止まらない。
「巫術も使えない“混じりの仔”を、俺は主だなんて……婚約者だなんて認めない」
言葉を紡ぐ度に、輝きを失っていく新緑の瞳。
それを見ていると胸の奥がぞくりと震えた。
――そうだ。
俺は、こいつより上だ。
「俺は、絶対認めないからな」
そう……認めない。
混じりの仔で、楮乃の嫡男である俺より下であるはずなのに。
あんな風に、父と母に慈しみ守られ育ててもらってるなんて。
あんな風に笑っているなんて。
俺は、絶対に認めない。
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