前葉裏 一節 楮乃の落ちこぼれ
楮乃家。
山神様から賜った巫術を、家で作っていた和紙に籠め護符を作る事に成功した、この天峰国に古くからある五大主家の一門。
そんな楮乃家当主長男として生まれた俺は、恵まれた人生を歩むはずだった。
あの日、俺が巫術を賜るまでは。
「わぁぁ……!」
巫術を賜ったのが嬉しくて、その勢いのまま庭にあった黒松のてっぺんまで登った四歳の俺。
開けた視界と頬を撫でる風を堪能していたら、黒松の根元に母上がいるのに気づいてしまった。
「母上!」
黒松の上から声を掛けると、一瞬探した後に上を向き俺を見つけた母上。
大きく開いた茶色の瞳に映った感情を、当時の俺は察することもできず。
見つけてもらったことが嬉しくて、賜ったばかりの巫術を息を吸うように使って黒松から駆け下りた。
そして、静かに佇んだままの母上に駆け寄った。
「母上!見てください!巫術をたまわりました!」
褒めて欲しくて、喜んで欲しくて、声を張り上げ顔を上げた先にあったのは、光を宿さない濃茶の瞳。
「母上……?」
怖くなって声を上げた俺に対し、母上の手がそっと肩に添えられる。
そして、そのまま力なく崩れ落ちた。
「どうして……?」
俯いた母上から力なく言葉が溢れ落ちる。
「どうして、膂力の巫術なんか……付与の巫術は?!護符は?!楮乃の嫡男でしょう?!」
掴まれた肩が痛い。
景色を捉えられないほど強く体を揺さぶられて気持ち悪くなる。
「い、いたい!はなして!」
咄嗟に巫術を使って母上を突き放した。
「きゃぁぁ!」
気づいた時には、母上の体は縁側まで飛ばされていて。
「あ……」
真っ白になってしまった俺の目に映ったのは、絶望に染まった母上の顔。
「どうして……あなたは楮乃の一人息子なのに、どうして……」
か細く震えた声で母上が呟く。
母上が呟く度に、濃茶の瞳から光が消えていく。
謝らねばと息をするも、喉の奥に絡まった声は最後まで出ることはなく。
母様の絶叫が庭に、屋敷に響き渡る。
「乱暴者の巫術なんて……この、楮乃の落ちこぼれが!!」
ざんばらにほどけた髪の隙間から覗く、絶望から憎悪に変わった濃茶の瞳に。
喉も裂かんとばかりに叫ばれた“落ちこぼれ”という言葉に。
俺の中の何かが壊れた音が聞こえた気がした。
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膂力の巫術しか持たない“楮乃の落ちこぼれ”
それでも、俺は母上に認めてもらおうと必死に努力した。
巫術の制御だけでなく、剣術や棒術、暗器の扱いやそれらの体の使い方。
家業である製紙業も宮廷での文官業務も、できる範囲で資料を取り寄せて自分の物にした。
“全てを完璧に熟すことができれば、もう一度、母上に認めてもらえる”
その一心で、剣を握り、暗器で血を流し、目の下に隈を作って書を読み漁る日々。
そう信じて努力した俺が打ちのめされたのは、母上の慟哭から五年後の深眠の季節。
もうすぐ春告風が吹きそうな時期だった。
「婚約者……?」
寒々としたがらんどうな部屋。
私物がなく、あるのは備え付けの文机だけ。
部屋の持ち主である父上も、どこか部屋に馴染んでいないように感じる。
そんな、持ち主ですら入るのが久しぶりな父上の私室に呼び出された俺は、ついさっき父上に告げられた言葉を繰り返して呟いた。
「正確には従者兼婚約者候補、だ。間違えるな」
「っ、申し訳ありません!」
重く、俺の頭を押さえつけるような威圧感のある声に、勢いよく頭を下げた。
父上はそんな俺を一瞥することもなく、文机に置かれた茶器を手に取る。
かたりと、茶器が置かれる音だけが重苦しい空間に響いた。
「お前、王族の名をどこまで知っている?」
「は。現女王白梅様、王配松風様、長男槐様、長女あざみ様、槐様の長男榊様、そして白梅様の甥、柊哉様です」
「ふん、さすがにこの程度の常識は持ち合わせているか……」
墨色の瞳が俺を値踏みしている。
内心の焦りを隠して、俺はその目を見返した。
「アルメリア侵攻は?」
「七……いえ、六年前に槐様が単騎でアルメリアに侵攻した事件、ですよね?」
「あぁ。その時、槐様はアルメリアから一人、姫君を連れて帰ってきた」
「え……?」
初めて明かされた事実に、思わず声が出る。
その声に向けられた父上の冷たい一瞥に、慌てて口を引き締め直した。
「連れてこられた姫……ヘレナ姫は柊哉様と婚姻を結び、侵攻から一年後に赤子を産んだそうだ」
これだから蛮族は慎みが無い、と父上がぼやく。
――俺が付くのは“混じりの仔”なのか……?!
混じりの仔。
蛮族と交わって生まれた、獣の仔。
それでも、父上の手前、喚く訳にはいかない。
――父上には何か考えがあるはず……!
俺は静かに父上が話を進めるのを待った。
「王配の松風様は紬の傍家の出、槐様には紬の当主が侍従として付き、妻の芙蓉様もこれまた紬の傍家……榊様にも紬の一人娘が付くそうだ」
歴代、平行の巫術を駆使して王族の側付きを多く輩出してきた紬家。
文官として王族の政治を支える楮乃家にとって、王族の身辺を支える紬家は長年に渡る天敵である。
そう、家人が話すのをずっと聞いてきた。
「あざみ様に取り入れれば良かったが、この花咲の季節に神託の儀だ。時間が無い。ヘレナ姫の娘……菜乃華様は幸いお前と三つ違いだ。上手く娘を通じて柊哉様と繋ぎを作り、王族の情報を流せ。それがお前の役割だ」
「……はい!」
――父上の狙いは、娘ではなく柊哉様だった!
書庫殿の番人、柊哉様。
天峰国の公文書の全てが集まるのが書庫殿だ。そこに息子である俺を送り込みたい。
――父上は俺を認めてくれている!
父上の為にも励まねば、と意気込んだ俺に温度のないため息が投げられた。
ため息の出所は、目の前に座る父上で。
「落ちこぼれでも、せいぜいそれぐらいの役には立て」
「は……」
何を言われたのか、理解できなかった。
凍り付く俺の横を、父上は一瞥することなく通り過ぎて。
部屋を出る刹那、背を向けた父上が告げた言葉が。
俺を絶望へと突き落とした。
「混じりの仔程度なら落ちこぼれでも釣り合う……いい厄介払いができた」
その言葉とともに閉じられた障子が、外から光も閉ざして。
視界が、暗くなる。
その日から数日後。
俺は、“混じりの仔”と初めて会うことになる。




