一葉 二十七節 天峰 榊
煌々と周囲を照らしていた炎が消え、辺りが宵闇に包まれる。
目の前で起こったあり得ない光景に、誰も何も言わず、その場に沈黙が落ちた。
――今のあの力は、あの時の……。
萩太郎の巫術の光を見破った時に起こった、時の流れへの干渉。
あの時も同じ、私の強い願いに応えたかのように時がゆっくりと流れた。
――あの力は一体、何なの……?
「菜乃華、今の力は……!」
「さ、桜様……」
ゆっくりと立ち上がった桜様が力強く私の肩を掴む。
「ねぇ、今のって菜乃華が起こしたんだよね……?!光は、巫術の光は見えた?!」
「お、落ち着いてください……!」
自制の利いていない力強く握られた肩の痛みと、熱に浮かされた金の瞳に見つめられて、背筋に冷たい物が走る。
――桜様が、私に近づいた理由って……。
この、時に干渉する力を利用したいから?
「っ、化け物……!!」
私達を引き裂くように、恐怖に濡れた声が周囲に響き渡った。
声を発したのは巫術を止められた警邏隊員だけど、私を見る全員の瞳に浮かんでいるのは、恐怖。
「山神様のお力を消した……!?」
「なんなんだお前は……」
「巫術は使えず、あまつさえその力を消し去るなど……」
化け物。
私を異端者として拒絶する彼らの目に、言いしれない恐怖を感じた。
「っ、私は……!」
耐えきれず、私は彼らに向かって叫ぶ。
「私は、化け物ではありません!この国の王族、天峰なの……」
「黙れぇ!!」
恐怖に駆られた隊員が、私の言葉を遮る。
その手に握られているのは、一振りの太刀。
「あり得ない……俺の巫術が消されるなんて……そんなの……」
酷く荒れるその隊員の目は、もう現実を見ていない。
「菜乃華、下がっ……」
「っ、逃がすか化け物!王族を騙る偽物がぁぁ!!」
桜様の声に反応した隊員が、黄色い光を身に纏わせながら、尋常じゃない早さでこちらへと迫る。
「っ、危ない!!」
その言葉と同時に、桜様が私の肩を押して地面へと転がす。
慌てて見上げた先、桜様の頭上に迫る白刃に月光が落ちる。
刃はすぐそこまで迫っていた。
「桜様……!いやぁぁぁぁ!!」
私が叫んだ瞬間。
背後から新緑の光とともに吹いた業風が相手を怯ませて。
「ぐっ……ぐぁぁぁぁ!!」
そして、間髪入れずに飛んできた深緑の光を纏った投擲ナイフが隊員の腕に刺さった。
痛みに太刀を取り落とした隊員の前に翻るのは、深緑の長い髪。
「桜様、菜乃華様、ご無事ですか?!」
「蘭様……!」
「っ、遅いよ、蘭!」
深緑の光を身に纏わせた蘭様が、隙無く投擲ナイフを構えて警邏隊と対峙する。
そして遅れて。
「菜乃華!」
「父様……?!父様ぁ!」
髪を乱しながら、父様が斜面を駆け下りてきてくれた。
その父様に思わず抱きつく。
――これで、助かりました……!!
父様がいるのだ。警邏隊はさすがにこれ以上は手が出せないはず。
そして、その考えは正しかった。
「お、おい、柊哉様だぞ?!」
「それに、あの娘は紬の……!」
「じゃあ、あの少年は、まさか……?!」
二人の姿を見た警邏隊はすっかり戦意消失していて。
蘭様に頬を治療してもらっていた桜様が、観念したかの様に小さく呟いた。
「……もう、隠す理由がないな」
桜様がその言葉とともに帽子を脱ぐ。
帽子の下、月明かりでも漆黒に光る濡羽色の髪がさらりとこぼれ落ちて。
冷たく光る金の瞳が、容赦なく警邏隊を射貫いた。
瞬間、隊長がその場に跪く。
「さ、榊様……!」
「どうして榊様がここに……?!」
「馬鹿者!今すぐ跪け!!」
――あぁ、やはりあなたは……。
私の胸に諦めに似た哀愁の思いがよぎる。
分かっていたのだ、最初から。
修練場に現れない、でも、主家や王族に匹敵するお立場で。
自由に宮廷内を闊歩できて。
父様や楮乃家とも簡単に面会ができ。
紬家の娘を連れている、少年。
そんな人物は、ただ一人。
「あぁ、僕の顔は知ってるんだね?いかにも……」
氷の様に冷たい声。
静かながらも威厳がある、その姿は。
「僕の名は天峰榊……。父、槐が世話になっているよ」
白梅様の孫であり。
数多の巫術を行使し、父である槐様よりも国王に近いとされている、巫術の申し子。
――天峰 榊様……。
私と同じ、王族の一人。
「ただ、父上が率いる警邏隊がここまでならず者の集まりだとは思わなかったよ」
冷えた金の瞳が、一人一人警邏隊の顔を射貫く。
警邏隊はさっきまでの威勢が嘘のように縮こまり平服している。
「一度ならず、二度までも僕達に手を出した……。ただで済むとは思わないでくれ」
「榊様……!」
「お許しを……!」
「……あぁ、そうだ、君」
桜……榊様は許しを乞う声には目もくれず、一人の隊員の前で足を止めた。
その隊員は、私を目の敵にし、一際激しい攻撃を仕掛けたその人で。
「あ……」
「よくも菜乃華を……王族を、獣と呼んだな」
凍てつくような金の瞳と声に、隊員は喘ぐような声しか出せない。
その耳元に榊様が口を寄せた。
「その言葉、後悔するが良い……。執行人の前で、な」
「あ……あ、う、うわぁぁぁぁ!!」
悲鳴を上げた隊員へ、深緑の光を纏った蘭様が手刀を振るう。
一拍の後、意識を刈り取られた隊員が地に伏せた。
蘭様は手刀を行った手を擦りながら、私達へと振り返った。
「遅くなってしまい申し訳ありません、菜乃華様、桜……」
「もういいよ、蘭寿」
「……はい、榊様」
榊様の一言で、蘭……蘭寿様が呼び名を戻す。
そして、蘭寿様は私の前に跪いた。
「改めまして、名を告げさせていただきます。私の名は紬蘭寿。天峰榊様の付き人でございます……。こうして、名を告げられた事、光栄に存じます」
「……あ」
これまでとは違う改まった態度に、頭を殴られたような気がした。
――これが、王族になるということ。
全ての民の上に立ち、山神様の神託を受け取り、その言葉を民に還元する、巫の一族。
対等な……姉妹のような関係になれないと、ちゃんと分かっていた。
だから、私は。
「……面を、あげなさい」
父様の腕から離れて、私は跪いたままの蘭寿様の前へと歩み寄った。
そして、顔を上げた蘭寿様に、付けていた髪飾りを差し出す。
「……此度、私は榊様にもあなたにも大変助けられました。榊様は酷い怪我を負いながらも私を守ってくださいました……。感謝を込めて、これをあなたに」
震えそうな声を抑えて、蘭様のような凛とした声で。
後ろに控えたままの警邏隊に、私がれっきとした王族であると理解させるために。
私は、王族として、付き人の紬家の娘に装飾品を下げ渡した。
「蘭寿、菜乃華様の御意思だ。受け取れ」
「……ありがたく存じます」
蘭寿様は「よくできました」と言わんばかりに深緑の瞳を緩ませて恭しく私の髪飾りを受け取った。
そして、大事そうに髪飾りを袂に入れて、立ち上がる。
「榊様、私はこの場所を槐様にお伝えしてきます。この者達を連行するのに人手が必要ですから」
「頼んだ。この場は僕がみている」
「はい」
そう言って、蘭寿様は深緑を纏いながら手早く残りの隊員の意識を刈り取って、その場を離れた。
残されたのは、私と、父様と、榊様だけ。
蘭寿様を見届けてから、榊様がその場に跪いた。
「柊哉様、申し訳ありませんでした」
「さ、かき様……?」
「……立ちなさい、榊君。君は悪くないだろう」
私の肩を支えるように手を回した父様が、榊様に優しく促す。
榊様はその言葉で立ち上がるけれど、その顔は苦渋に満ちたままだ。
「ですが、僕がもっと上手く立ち回れば、菜乃華がここまで怪我をすることはありませんでした……」
「不測の事態が起こったのだろう?それは、あとで詳しく聞かせてもらうよ」
「あの……父様はいつ、榊様と顔合わせを?」
慣れた様子で話し出す二人に、無作法と思いつつもつい会話に入ってしまった。
「ん?今回の件に関しては、下街探索の時に榊君が挨拶に来てくれたからその時だね。榊君自体とはほら、僕と槐様は従兄弟だから」
「あ……」
そう言われて納得する。確かに、あの時榊様は父様に許可を取ったと言っていたし、槐様とは今も交流がある。男系王族として榊様と親交があってもおかしくない。
――なら、桜様の存在を隠さなくても良かったのですね。
むしろ、隠してしまったことで父様に誤解されてるんじゃ、と思い至ったところで、隣に立つ父様の雰囲気が重くなった。
「それよりも……こうして二人が気兼ねなく話せる時は、これからはそう取れないだろう……。もう、今までのような関係ではいられない」
「え?」
「……最後に、しっかり榊君と話しなさい。僕は少し離れたところにいるから」
父様が痛ましそうに目を細めて私を頭を撫でる。そのまま数歩離れた木の幹の裏に隠れた。
――最後……?どうして……?
確かに、今回の襲撃の後始末でしばらくは蘭寿様のお屋敷には行けないだろう。だからといって、これが最後と言うのはあまりにも唐突過ぎる。
「……菜乃華」
「榊さ……ま?」
呼ばれた名につられて振り返り、言葉をなくす。
背後から月明かりに照らされた榊様は、何かを……これからの別離を堪えるように、顔を強ばらせていて。
――本当に、これが最後……?
冷えた夜風が一陣、私の髪を揺らした。
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