一葉 二五節 桜の告白
川のせせらぎの音が聞こえる。落ちた崖の上、警邏隊の者が私達を追いかけようと道を探す音も。
それでも、私は金の瞳に縫い止められてその場から動けなかった。
――桜様には、巫術の光が見えていない……?
「嘘……」
掠れきった、吐息ともつかない言葉が私の口から溢れる。
桜様は痛みに歪んだ微笑みを私に向けたまま身を起こし、その場にあった木にもたれかかった。そして、痛みを逃がす様に大きく息を吐く。
微かに煌めくだけになった白金の光が、火傷をした肩に集まった。
自然と、私も肩へと視線を向ける。
「あぁ……やっぱり、君の目を誤魔化すことはできないんだね……」
肩を治してるのも分かるんだね、と桜様が笑う。
「桜、様には……」
「見えてないよ……肩は、僕が今、術を掛けてるから……」
でも、もう上手く動かないや、という言葉とともに肩にあった光が霧散した。
その光を、桜様の金の瞳は追わない。
巫術の光は消えて、月明かりだけが私達を照らし出した。
「本当に、」
桜様の言葉がまだ信じられなくて、信じたくなくて、私は焦って言葉を紡ぐ。
「本当に、見えてないのですか?ほら、最初の雷は、光もほんの僅かでしたし、炎は……そう!いきなりでしたし!」
桜様は黙って話し続ける私を見つめている。
私を見つめる金の瞳は、嘘を吐いているようには見えなくて。
――桜様は、本当に、見えていない……。
足下が崩れ落ちる感覚がした。
「どうして、」
月明かりを反射して静かに煌めく金の瞳を見つめながら、私は問いかける。
「どうして、そんな嘘を……?」
ずっと、信じていたのだ。
私が知らなかった、巫術の光を見る力を教えてくれた、桜様を。
あの、蝋梅の花吹雪の中で、その金の瞳と目を合わせたときから。
ずっと。
「教えてください……」
痛む足を引きずり、桜様へと近づいていく。
「何故、桜様は私の目の力を知っていたのですか……?」
かさりと、私に踏まれた落ち葉が割れる。
「私に……“混じりの仔”に近づいた理由は?」
ゆっくりと、金の瞳に近づく。
桜様は何も言わず微笑んだままその場に座っている。
私は、その場にへたり込み、縋り付くように桜様の外套を握りしめた。
「教えてください……!」
堪えきれなかった叫びが、せせらぎの音を切り裂いて辺り一面に響き渡る。
頭の冷静な部分が「大きな声を出したら警邏隊に場所がばれる」「今は逃げるのが先決」と叫んでいても、どうしても動けなかった。
――桜様が分からない……。
初めて会った時は綺麗な人だと思った。
でも、庵で話した桜様はただ綺麗な人ではなくて。
上位者の立場で冷静に私を観察して、どう私を動かそうかと考えていた桜様は正直近寄りがたかった。目の力を教えてもらわなければ、自分からは近寄らなかっただろう。
それでも、桜様と言葉を交わす内に、ただ怖い人ではないと分かって。
癒やしの巫術を掛ける前に優しく触れてくれた手の温もりや、私をからかいながらも優しい光をたたえていた瞳に、いつの間にかほだされていて。
蘭様がいると分かっていても、少しだけ想像してしまったのだ。
――このまま、桜様の隣にいられたら、と。
「私は……私は、この目の力が、桜様のお役に立てたらと……、ただ、それだけを思って……」
目の前の金の瞳がぼやけていく。
勝手に溢れた涙がただ煩わしかった。
「菜乃華……」
掠れた声が、私の名を呼ぶ。
ゆっくり上げられた手が、そっと頬に触れる。
触れた手は、いつもより体温が低い。
それが分かるくらい、桜様の手に助けられていたのに。
「どうして……」
ぼろぼろと零れる涙を止められない。
――私が桜様を信じていられたのは、この光を桜様も見ているとおっしゃってくれたから……。
その前提が崩れてしまったら、もう桜様のことを信じられる気がしない。
「教えてください……桜様は、」
打ちひしがれた私は、桜様の金の瞳を避けるために桜様の胸に顔を埋めた。
ふわりと香る、白檀と、桜様の汗のにおい。
呼吸の為に上下する胸の動きだって感じ取れるのに。
今はただ、桜様が遠い。
だから、教えて欲しい。
「桜様は、私に、何をして欲しいのですか……?」
もう一度、私にあなたを信じさせて欲しい。
問いかけた言葉は、今にも消えて無くなりそうなほど掠れて頼りない。
でも、それが今の私にできる精一杯だった。
「……菜乃華、」
名を呼ばれ、顔を上げる。
ぼやける視界の先、冴え冴えとした月明かりが桜様の顔を照らし出す。
月明かりの先、私を見つめる桜様の金の瞳は優しく微笑んでいて。
息が止まる。
――どうして。
どうして、そんなに優しく微笑んでいるの?
「僕が、」
痛みに掠れる声が、そっと私に語り掛ける。
いつの間にか、私の涙も止まっていた。
「菜乃華に、してほしい、ことは……」
頬に触れていた手が、涙の跡をそっと辿る。
耳に桜様の手が触れた。
「この国を、」
月明かりを映した金の瞳が、柔く緩む。
「天峰国を、救って欲しいんだ」
その言葉とともに、風が止む。
あたりが静寂に包まれた。
――この国を、救う?
「……そんなの、」
静寂を破ったのは、私の言葉。
「そんなの、できるわけが……!」
「菜乃華なら、できるよ」
私の言葉を遮るように、桜様が言葉を重ねる。
その言葉には、強い気持ちが籠められているように思えて思わず黙り込む。
そんな私を、桜様は変わらず優しい笑みのまま見守っている。
「菜乃華なら、できる」
「どうして……何を根拠に……」
「だって、菜乃華は、」
耳に触れていた桜様の手が頭の後ろへと回る。
そのまま、躊躇うことなく桜様は私を抱きしめた。
「菜乃華は、俺を救ってくれたから……」
普段より低い声が、熱い吐息とともに耳元で囁かれた。
その言葉に体の芯が一瞬で沸き立つ。
――俺……?
いつもと違う呼び方が、私の煮えた思考を一瞬だけ現実に引き戻した。
――私が、桜様を救った?
――一体いつ?どこで?
疑問は湧き出て止まらない。
それでも、今は。
今だけは、桜様の腕の中にいられたら……。
「いたぞ!金の髪の混じりだ!」
私の細やかな願いは荒々しい怒鳴り声のせいで無残にも潰えた。
言葉とともに、眩しいくらいの光が私の目を刺す。
「手間取らせやがって……」
侮蔑を含んだ目が私を睨み付ける。
私達を追ってきた警邏隊が、追いついてきた。
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